第16話 自分探しの旅って、いいわね!

 私の真剣な言葉を父が笑い飛ばす。


「お前のような温室育ちの貴族の娘が、一体どうやって暮らしていくと言うんだ。どうせ泣いて帰って来るのがオチだろうよ。このバカ娘!」

 

「そうよ、ビクトリア、生きていくのは大変なんだから。侯爵令嬢が市井に下るだなんて前代未聞よ。なんて世間体の悪いことを考えるのかしら、この子ったら。とにかく冷静におなりなさい」


 父の言葉に、母が頷きながら同調する。

 

 どれほど無理だと言われても、私の決意は変わらなかった。


「ご安心ください。覚悟の上です。もう、ここに戻ることはありません。今まで本当にありがとうございました」


 深々と頭を下げ、足早に屋敷を出て行く。


 門を目指し歩いていると、慌てて追いかけて来た両親が『行かせないぞ』と言わんばかりに立ち塞がった。

 

 今さらながらに私の本気を悟り、まずいと思い至ったらしい。

 

 衝動的でギャンブル癖のある父は、ろくに調べもせず安易に投資に手を出し、借金を増やし続けている。

 

 見栄っ張りな母は、他の貴族夫人にマウントを取りたいがために、高額商品を買うのをやめられない。


 家督を継ぐはずの兄は無責任な放蕩息子で、「自分探しの旅に出る!」と言って家を出たきり戻らない。気ままな兄が羨ましいわ!


 たまに『お金、送って下さい』という手紙が届くから生きているとは思うが、一体どこで何してるのやら。


 そんな家族が生きるには、私がお金持ちの男性に嫁ぎ資金援助を受けるしかない。


 侯爵家存続の鍵を握る『わたし』が、本気で家を出ようとしていることに、両親は今さらながらに慌てているようだった。


 青い顔をした父が柄にもない猫撫で声をあげる。


「なぁ、ビクトリア。考え直してくれ。オスカー殿下の件は水に流そう。お前は優秀で美人だから、すぐにいい嫁ぎ先が見つかるさ」

 

「そうそう、機嫌を直してビクトリア。気分転換に昼からお買い物でも行きましょう? 」


 私は首を横に振った。


 途端、両親が怖い顔をして迫ってくる。

 

「お前は、育ててもらった恩を忘れるような薄情者じゃないよな?」


「とりあえず、出て行くのは止めてちょうだい。優しくて良い子のビクトリア。これからも私たちを助けてくれるわよね? ね?」


 甘やかし作戦が通用しないと分かった途端、今度は『恩』や『良い子』という単語を用いて、私の心と人情に訴えかけてくる。


 なりふり構わず娘を引き留めようとする二人の姿に、胸が痛んだ。

 

 私だって、家族を突き放すのは辛いし苦しい。

 育ててもらった恩を返せず申し訳ない気持ちもある。

 

 だが、ここで引き返したら全てが元どおりになってしまう。


 

 私が前へ進むために。

 家族のためではなく自分の人生を歩むために。


 今こそ不健全な親子関係に終止符を打つときだ。

 

 

「私は、お二人のことを愛していました。ですが、私だけが我慢して、与えられるはずのない愛情を求めて犠牲になる。そんな家族関係は、終わりにしたいのです」

 

 ちょうどその時、手配していた馬車が屋敷前に到着した。


 そばに控えていたレイラがすかさず旅行カバンを馬車に運んで行く。


「どうか、お元気で」


 私は走って立ち尽くす両親の横を通り過ぎ、馬車へと乗り込んだ。


「お嬢様、どうかお元気で」


「ええ、あなたも。今までありがとう」


 長年仕えてくれた侍女のレイラが、涙のにじむ目元を拭いながら恭しく頭を下げる。


 それに頷き返し、御者に「出してください」と声をかけると、すぐに馬車が動き出した。


「まっ、まってくれビクトリア!」


「お願いよ、出て行かないで!」


「ビクトリア! ビクトリア――!」


 両親の切実な叫び声が聞こえたが、私は一度も振り返らなかった。

 

 そのかわり、心の中で囁く。

『さようなら、愛していました』


 

 過去を振り払い、爽やかな風とともに私は屋敷を去った。

 

 

 向かったのは、王都から馬車で三十分ほど離れた新都市だった。


 これから、新生活が始まるんだ――。

 

 馬車の窓から流れる景色を眺め、私は期待に胸を高鳴らせた。

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