第10話 それでは皆様、ご機嫌よう――!

「殿下の仰るとおり、私はずっと『第二王子』としての貴方ばかり見て来ました。ひとりの男性として愛し向き合っていなかったと、今では反省しております」


「ビクトリア……」

 

 王子としてではなく、ひとりの人間として愛されたかった。

 

 オスカーのその気持ちは、少し分かる気がする。


 前世の私も、女優としてではなく、娘として母に愛されたかったから。

 

 私は緊張で強ばる顔をゆるめて、ふんわり。なるべく悪女オーラを放たないよう、柔らかくほほ笑んだ。


「オスカー様、どうかエリザさんとお幸せに」


「……! ビクトリア……僕は……」


 オスカーは我に返ったように目を見開き、何か言いたげに口を開いた。だがエリザに片手を握られ、とっさに閉口する。


 切なそうに目を細め、無言でひたすら私を見つめている。


 そっちから酷いやり方で婚約破棄をしたくせに、今さら未練たらしい視線を向けないで欲しいわ。


 何か言われる前に退散しなきゃと、私はドレスを掴んで、最上級の優雅なお辞儀をしてみせた。


「それでは皆様、ご機嫌よう――!」


 私は前世で培った演技力と発声テクニックをフル活用し、爽やかな笑みを浮かべ、透き通るような美しい声で挨拶をした。


 私の悪役らしからぬ清々しい姿に、誰もが惚けたように釘付けになる。

 

 すると『待ってくれ』というオスカーのかすかな声が聞こえた。が、今さら私の知ったことじゃない。

 

 もう二度と会うこともないでしょう。


 私はドレスの裾をひるがえしパーティ会場を後にした。



 

◇◇

 

 

 ビクトリアが去ったホールでは、人々が潜めた声で囁き合っていた。


「普通に考えて、ビクトリア様が謝罪するのは、おかしくありませんこと?」


 令嬢たちが眉をひそめる。

 

「そうですわよ。元はと言えば、あの宮廷侍女がオスカー様に不用意に近付いたのが原因でしょう?」

 

「エリザさんも身の程知らずだけど、オスカー様も酷いわよねぇ。ビクトリア様の態度が気にくわないからって、公の場で婚約破棄して当てつけみたいに新恋人をはべらせるなんて」


「王様も王妃様も、昔からオスカー様には甘いからなぁ。ワガママ放題で育って来たんだろうさ。少しでも気に入らないことがあると癇癪を起す、まるで子供だ」


「おい、聞かれたらどうする。口を慎め」

 

 

 数々の不敬な陰口は、エリザの耳には届いたものの、オスカーには聞こえていなかったようだ。

 

 それもそのはず。オスカーは先程から心ここにあらずといった様子で、ビクトリアが去った扉をじっと眺め、時折ため息をついている。


「オスカー様、先程からぼうっとしていますが、大丈夫ですの……?」


「あっ、ああ。大丈夫だ」

 

 エリザに声をかけられたオスカーは、はっとしてエリザに向き直った。

 

 だがすぐさま先程と同じように、恋しそうに扉を見つめてしまう。


 エリザはむっとして、いきなり立ち上がった。


「急にどうしたんだい?」


 オスカーの問いかけに、エリザは投げやりな口調で答えた。


「私、もう疲れちゃいました! ここを出ましょうよ、殿下」


「それは駄目だよ。これも公務の一環。父上と兄上の名代として、皆と共に勝利を祝わなければ」


「殿下は公務と私、どっちが大事なのっ?」


 ぷくっと頬を膨らませてエリザが問う。顔は可愛らしいが、その質問はうんざりするほど面倒だった。


「もちろんエリザさ」


「じゃあエリザのお願い聞いてくれるでしょう?」


「だから、それは出来ないと言っているだろう。頼むから、口調もちゃんとしてくれ」


「やーだ!やだ、やぁーだ」


 駄々っ子のように体を揺らしながらエリザはぐずっている。

 

 彼女は二十歳のオスカーより四歳も若いし、多少面倒なことを言われても、これまでは年下のワガママだと思いほほ笑ましく許せた。


 だが今は違う。無性に苛立ちが込み上げてきてしまう。

 

 ――こいつは、こんなに馬鹿だったか?


 もしや、今までは猫をかぶっていたのか? 第二王妃夫人の座を手に入れた途端、本性を現した……? いや、そんなまさか……。

 

 オスカーは片手で額を押え、目を瞑って頭を振る。これは悪い夢だ。自分の見そめた女性が、まさかこんな品性のない女性だったなんて信じたくない。


 祈るような気持ちで目を開けるが、視界に映ったのは、先程と変わらぬエリザの幼稚なふくれっ面だけだった。

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