第5話

 私はアンネにしばらく休むから誰も部屋を通さないように言うと、ベランダに出る。


【どうするの?】


「こうするのっ」


 私は手すりの上に立つと、屋根飾りに飛びつく。


【!? あ、危ない!!】


 自分の身体とは違うからかなり手間取りつつ、屋根によじ登る。


【お、落ちたらどうするの!?】


「そんなヘマはしないから平気。でもオリヴィエ、もうちょっと筋肉つけてよね……って、箱入りのお姫様には必要ないか。でもこれから必要になるかも。とりあえず私に任せて。すぐに鍛えてあげるから。ムキムキに!」


【そ、それはちょっと……】


「冗談よ。私だって生前はムキムキじゃなかったし。スタイルには自信あったけど。――どう、高い所って気持ち良くない?」


 屋根から庭や城内が一望できる。


 高い塀の向こうで、白い外壁で統一された街並みが広がる。


【……ええ、気持ちいい。こんなに高い場所に登ったの、はじめて……】


 冷静なオリヴィエの声だけど、そこには確かに高揚感が含まれていた。


「あの建物は?」


【あの鐘楼のある建物が第一皇子ラインハルト様の館、その隣の尖塔と装飾が際立った館が第二皇子クロヴィス様の館。馬場に隣接して建てられた真新しい館が第三皇子ウィレム様のものよ。そして一番大きいな鳥が翼を広げたような大きな館が皇帝陛下の御座所】


「さすがは一国の主って感じ」


 私が会ったことのある金持ちの屋敷なんて目じゃない。


「――で、あのヤブ医者は普段、どこにいるの?」


【お医者様の部屋……というか、待機場所はこの館にあるわ。二階の……】


 オリヴィエの誘導に従い、私はバルコニーに着地した。部屋は薄暗い。留守らしい。


 室内に続く扉を開けようとしたがカギがかっていた。


【どうしよう】


「心配いらないわ」


 私は前髪を留めていた金属のピンを外すと、カギ穴に差し込んだ。


【何をしているの……】


「もうすぐ」


 カチンという手応えを感じるとピンをカギ穴から抜き、ノブに手をかけた。ガチャと音をたてて扉が開く。


【え! カギを開けたの? まるで間諜みたい……!】


「ま、こういう技術も時には必要だから」


 部屋は、広い一間。


「……薬の臭いがしない」


 嗅覚を働かせるが、薬草特有の苦味というか、青草さというものが部屋からはほとんどしない。


 その代わりにあるのが、埃ぽさと、酒と煙草のかおり。


「この世界では薬はどうやって作るの?」


【薬草を煎じるの。お城にはそのために薬草園もあるわ】


「見る限り、薬を調合するような器具はどこにもないわね……」


 作業台はあるが、長い間使われていないのだろう、埃がうっすらと積もっている。


【それじゃあ、処方された薬はどこで?】


「さあ、誰かに作らせたものか。街で買って来たものか。ともかくここで作ったものでないのは確か」


【そんな人が侍医をやっているなんて……】


 オリヴィエもさすがにショックを隠せないらしい。


 気持ちは分かる。こんな医者に診られたら逆に命を縮めかねない。


「それでオリヴィエ、何を探せばいいの?」


【マグマンが買収された証拠】


「……買収って、本当に?」


「そうじゃなかったら、毒を飲まされたことに気付かないはずがない。そんな診断が出れば騒ぎになるはず。でもなってないってことは……そういうこと」


 私は書き物机の引き出しを検めると、中には書類が雑然と詰め込まれている。


 引き出しが二重底になっていないかもチェックするが、不発。


 その代わり、いくつもの新品のトランプが出て来た。


「ゲームが好きみたいね」


【ただのゲームじゃないわ。賭博だと思う】


「どうしてそう言えるの?」


【マグマンが酒と煙草の臭いを隠すために、きつく香水をかけてるって言ったでしょ。でも部屋には酒も煙草も見つからない。酒と煙草はギャンブルの必需品。賭博場でたっぷり摂取してるのよ】


「……まあ、身体に臭いが染みつくくらい酒や煙草をやっていたとして……それがどうしたの?」


【身体に臭いが染みつくくらい酒や煙草をやっているくらい賭け事にのめり込んでいるとしたら、マグマンはギャンブル中毒ってことが考えられるわ。中毒者は金じゃなくって、スリルを得るために賭け事に熱中するし、スリルを得るために掛け金を積む……。ギャンブルに入れあげれば、どんな腕利きもいつかは大損をするわ。身の回りのものを片っ端から質草にするはず」


 だから薬を作る道具がなかったのだ。全部、金に換えたのだろう。


【本棚を見て】


「了解」


 私は部屋の一面の作り付けの大きな本棚に近づく。


 この本棚の本には一切、手がつけられていない。


 ケースに入れられたケースが、棚にずらりと並んでいる。


【不自然だと思わない?】


「なにが?」


【だって医学書は高額なのよ。売り払うならいの一番先に手をつけるはず】


「腐っても医者ってことじゃない?」


【……どうかしら。どこでもいいから本を一冊抜いてくれる?】


 試しにケースを一つ抜くが、予想していた重みがなく、肩すかしを覚えた。ケースは空だった。


「中身が……。どうして分かったの?」


【もしマグマンに医者としての誇りがあって本を売ってないにしては本棚に埃が積もりすぎてる。本の出し入れが頻繁に行われていたらこんな風にはならないはずでしょ】


「……なるほどね。でもどうしてわざわざケースだけ残してるんだろ。偽装工作?」


【……それもあるとは思うけど】


 どうやらオリヴィエは違う可能性を考えているみたいだ。


【よく見て】


 私は言われた通り、棚の上から下まで隅々まで眺める。


【――そこ】


「どれ?」


【『腑分けの技法』ていう本を抜いて』


 どうせまたケースだけだろうと思ってケースを棚から出そうとするが、今度はずっしりとした重みがあった。


「これは売らなかったみたいね。お気に入りとか? ていうか、腑分けって?」


【人体の解剖のことよ】


「それはそれは……」


 想像するだけで、薄気味が悪い。


【ケースから本を抜いて、開いて】


 言われた通りにすれば、本の中身は四角く刳り貫かれ、そこには宝石のはまった装飾品が収められていた。


 宝石を取り出し、明かりにかざしてみる。


 かなり手の込んだ装飾がほどこされた逸品。


「……どうしてこの本に隠されてるって分かったの? エスパー?」


【エスパーって何?】


「……私の世界の……魔法使い、みたいな?」


【この本の棚の前にだけ埃がなかったから。それって頻繁に出し入れしている証拠でしょ。それに、どうして他の本についてわざわざ売り払った本のケースを残しているのかって考えたの。偽装の為とも思ったけど、薬作りの道具さえ丸ごと売るような人間がそこまで頭が回るはずがない。となれば、木を隠すなら森の中、じゃないけれど、意味があるって思ったの】


「へえ。すごい」


【え、】


「え、って何? ああ、これでも褒めてるのよ」


【……うん。あ、ありがとう。褒められ慣れてなくって……】


 オリヴィエの声はかすかに弾んでいた。


 まるで子どもが不意にお菓子でも受け取ったみたいに。


 それがこれまで、オリヴィエのおかれた環境だったのだろう。


 物に囲まれていても幸せとは限らない。


 何もない世界で生きてきた私には、想像もできない世界だ。


「とにかく、こんな宝石をくれる相手はそうはいないわよね」


【ええ】


「でもこれだけじゃ弱いんじゃない? マグマンが盗んだって言われかねない」


【そうね……】


 その時、私の聴覚は部屋に近づく重たい足音を察知する。


 宝石をドレスのポケットにねじこむと、物陰に隠れた。


【ユリア、どうしたの……あ、マグマンが戻って……?】


「そういうこと」


 しばらくして部屋の鍵を開ける音がして、マグマンが部屋に入ってきた。


 マグマンは机に置かれた本を見つけると周囲を確かめるように辺りを見回し、本にとびついて中を見る。


「あぁ、そんな……!」


 絶望に声を上擦らせた。


「なにが、そんな、なんですか?」


 私が物陰から出ると、マグマンは喉の奥から悲鳴を漏らして後ずさる。


 椅子と足がぶつかり、無様に尻もちをつく。


「お、オリヴィエ様……」


「これをお探し?」


 私はポケットから宝石を取り出す。


「あ! ど、どうして……」


「悪いけど、これは没収させてもうらわ。あんたが毒殺犯とグルな証拠だから」


 マグマンは口をパクパクさせるが、言葉は出ない。


「あんたが馬鹿じゃない限り、私が毒を盛られたことに気付かないはずがない」


「っ!」


 マグマンの目がかすかに大きく見開かれた。そして不意に鼻を刺激する汗の匂い。焦りと動揺。


 マグマンが身体を小刻みに震えさせていた。


 気弱で自己主張しない臆病な王女が豹変したことに、驚きを隠せないのだろう。


「ど、毒? オリヴィエ様、な、何を仰って……」


「ウィレム様に毒を盛られたと言ってもいいのよ。おまけにあなたが、毒を盛った誰かに買収されて、明らかに誤診をしたことも」


「し、信じるはずがない……」


「信じるはずがない。そんなことはない、ではなく?」


「!」


「私は仮にも外国の王室の一員。ウィレム様が私たちに関心を持たずとも、皇帝陛下のお耳に達すればさすがに無下にはできないでしょう。実質は人質だとしても、立場は妃候補。私とあなた、どちらを信じると思う? 賭博に嵌まり、薬を作る道具すら売り払った宮廷医か、生死の境をさまよった哀れな王女、か」


「それだけはどうか……!」


 すでにマグマンは抗う気力を喪失して、今にも泣きだしそう。


【ユリア、今から私の言うとおりに話して。いい?】


 私は頷き、マグマンを睨み付けた。


「あんたには、その誰かさんたちを釣り出す計画に協力してもらう」


「何をすればいいのですか!?」


「――私を殺して欲しいの」


「何を……」


 マグマンは信じられないという顔をする。


「言われた通りに動けばいい。言うことをちゃんと聞けたら……」


 私はマグマンの前に宝石を見せる。


「あぁ!」


 伸ばされる手を避け、宝石をポケットへ収める。


「ちゃんと返して上げるから。いい?」


 マグマンはコクコクと大きく頷く。


「いい子ね。それから毒を調達したのは?」


「……る、ルイーザ様です。ルイーザ様宛の荷物の中に観賞用の植物があって。その根っこに毒があるらしく、その毒を試しに使ってみたいということで」


「どうしようもないのね」


「ですから私は何もしていません。ただオリヴィエ様が倒れられたのは毒のせいではないと診断しろと、テオドラ様に言われただけで……」


「なにをちゃっかり被害者ぶろうとしてるわけ。買収されて喜んで協力したくせに」


 マグマンはうなだれた。


 こんな奴、今すぐ始末してやりたいけど、オリヴィエはそれを望んでいない以上、仕方ない。

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