第4話
そして宮廷医の診断は過労。本当にとことんヤブだ。そして臭い。
過労に利くとか言われて処方された薬も胡散臭くて飲む気にもならない。
天井をぼうっと眺めていると、
【――ユリアさん、すみません……】
そうオリヴィエのおっかなびっくりの声が聞こえた。
「謝らなくていいから。でもどうするつもり? このままあいつらを野放しにする? それだけは納得できないわよ。こっちの命もかかってるんだから」
【……テオドラ様たちが、私に毒を盛ったのは本当、なんですか?】
「確信を得るために行動しようとして、あんたが邪魔したんでしょうが」
【そうでした……。すみません。でも毒を盛るなんて……」
「じゃあ、わざわざ見舞いに来て、緊張してるのはどう説明するわけ? 何かを隠してることは明らかじゃない?」
記憶を探っても、オリヴィエがテオドラたちの機嫌を損ねたり、対立したということはない。
普通ならばありえない。でも上流階級の本音を隠すことに長けた連中は、常人では決してしない思考力の持ち主であることも確かだ。
こちらに何の落ち度がなくともありえないことをしかねない。
オリヴィエは人間関係の機微に疎そうだし(私も人のことは言えないけど)、無意識のうちにも連中の地雷を踏み抜いてる可能性はある。まあ仮に踏み抜いていても殺されるいわれはないけど。
「……ていうか、ウィレムって皇子、本当に見舞いにこないわね……。にも自分の妃候補が死にかけて、そして奇跡のように意識を取り戻したのよ。普通、形だけでも見舞いに来るでしょ。違うの? それともこの世界ではそれが普通なの?」
【……普通では、ないと思います】
「一度も会ったこともない。それでよく妃候補としてやってられるわよね。私だったら、無理。馬鹿にされているとしか思えない。今すぐ国へ帰っても何とも言われないんじゃない?」
【それは……嫌です】
オリヴィエの語気が強くなる。頭痛を覚悟したけど、こなかった。
「ダメ、じゃなくって、嫌、ね」
オリヴィエの気持ちの一端に触れたような気がした。
「自分に興味を持たれないほうが、生まれ故郷よりマシってこと?」
【……私に聞かなくても、記憶を見れば……】
まただ。また、自らを嘲るような響きが言葉にこもる。
「あんたも分かってると思うけど、記憶は絵みたいにしか見られない。そこに私の気持ちも、あんたの気持ちも存在しない」
私は冷えた紅茶を自分でカップに注いで、口をつける。
マズッ。なにこの渋いお茶。甘味料たっぷりのミルクセーキが飲みたい。
「それに、私だって無遠慮に記憶を覗くような下世話な趣味はないわよ。これまで外道なことは散々してきたけど、人間性までは失ったつもりはない。殺しだって苦しませずにやってきたし、女子どもも殺めたことはない」
【少なくとも、こちらの宮廷では、私を怖がる方は誰もいらっしゃいませんから……】
そうオリヴィエはぽつりと呟くように言った。
【鏡の前に立ってもらえますか?」
言われた通り、姿見の目に立つ。
鏡の向こうに映るのは自分ではない少女。
燃え立つように赤い髪、円らな緑色の瞳。そこには理知的な光が浮かぶ。ふっくらとした頬に花びらのような可憐な唇。
小柄ではあるけど、手足は長くすらりとしている。
整った顔立ちや均整の取れたスタイルは、テオドラたちにも決して引けは取らない。
【私の髪、どう思いますか?】
「好みじゃないけど、綺麗なんじゃない?」
【ありがとうございます】
そう、オリヴィエは言った。本当に嬉しそうに。
「……そんな喜ばれるようなことを言ったつもりはないんだけど」
【でも私にはとても嬉しいんです。私は国の人々から『呪いの子』と呼ばれていたんです。こんなにも髪が赤いのは、母親の返り血のせいだって……】
鏡の中でオリヴィエは寂しそうに呟き、そして語る。
オリヴィエは南部の真珠と歌われるほど美しい、イーリアス王国の第三王女として生まれた。母親は王妃付きの侍、シンシャ。黒髪の美しい、知的で静かな女性。
懐妊が判明した時、宮廷は大騒ぎだったらしい。それまで父である国王は王妃との間に二人の王子と、二人の王女を儲け、他の国々のように愛人を囲うこともなかったから。
王はシンシャの為に都の郊外に館を作り、足繁く通った。
王妃は決して良くは思わなかっただろうが、王子を生んだのは自分。
それに仮に愛人との間に男子が生まれても、王位継承権はない。
それが大陸での広い常識だったから、特別嫌がらせを受けることもなかった。
やがてシンシャはオリヴィエを出産したが、赤子をその腕に抱くことは叶わなかった。
出産すると同時に、息を引き取ってしまったのだ。
そして生まれたオリヴィエは赤い髪に緑の瞳を持っていた。
緑の瞳が母親譲りなのは誰の目にも明らかだったが、赤い髪は一体誰のものなのか。
シンシャは黒髪。国王の髪色はブラウン。
その両親、曾祖父、そもそも王家の人間に赤毛の人間は誰もいなかった。
本当に国王の子なのかと誰もが疑ったが、そもそもシンシャの身近に、それは庶民から貴族にいたるまで赤毛の男は誰もいなかった。
国王はオリヴィエは間違いなく、自分とシンシャの子どもであると宣言した。しかし口さがない宮廷の貴族たちは好奇心に満ちた囀りを忘れない。
あれは『呪いの子。母親の命と引き替えに生まれた罪。王が妃を裏切り、下賤の女と結んだことを神はお許しにならなかった。だから女は死に、子は母の返り血を浴びた。あの不気味な赤毛を見ろ。まるで返り血のようじゃないか。あの娘は母の命を吸って産まれた吸血鬼だ――』。
父はシンシャの為に造らせた館でオリヴィエを育てることを決めた。宮廷ではどんな悪意がこの子に降りかかるか分からないから。
父である国王はオリヴィエに様々なものを与えてくれた。オモチャやペット、道化師に教育。その中で最もオリヴィエが惹かれたのが本だった。オリヴィエのために館に図書館を作ってくれるほどに。
【……ユリアさん、あなたの記憶を見ました。あの白い髪に、白いおひげの方はお父様、ですか?】
「? あれは、師匠ね」
【師匠……?】
「記憶を見れば分かるだろうけど、私は孤児だったの」
【あ、ごめんなさい】
「別に謝ることじゃない。どうでもいいし。ある時、孤児院にハンドラー――ギョームがやってきた。ギョームは私と何人かの子どもを引き取って育てた。一流の殺し屋に育てるためにね」
【……こんなことを言うのは不思議なんですけど、羨ましい】
「殺し屋の授業が?」
【違います。誰かにあれほど熱心に何かを教えてもらえることが、です。教えて褒められて、叱られて。まるで傍から見ると、本当の親子のよう……】
「そうね……。たしかに」
【ギョームさんのこと好き、ですよね」
依頼人にとって私たちは物だ。自分の望みを叶えるための道具。でもギョームは一度も、私たちのことを道具扱いはしなかった。訓練は鬼のように辛かったし、行儀作法にとっても驚くほど厳しかったけど、人として接してくれたんだと思う。
「…………そうね。でもあんたの父親だって、愛してくれたんでしょ。噂に左右されず」
【口では、そうです】
嘲りの響き。
【父はギョームさんのように何かを教えてくれることがありませんでした。兄や姉に乗馬を教えても私には教えてくれなかった。美しい庭を造ってくれたけれど、一緒にどこかの野山に出かけるようなことはなかった。愛していると言ってはくれたけど、一度も目を合わせてはくれませんでした……】
オリヴィエの家族は身の回りの世話をしてくれる下働きの夫婦と、老いた庭師、そしてペットの犬と猫。
寂しさを埋めるように、オリヴィエは様々な本を読んだ。わくわくする冒険小説に魔法と妖精が彩る童話、世界のさまざまな出来事の記録された百科全書、世界の成り立ちを記した歴史書――物語に没頭している間は、自分が孤独であること、愛されていないことを考えずに済んだ。
父も口さがない貴族たちと同様、心の底でオリヴィエがシンシャを殺したと思っているのだということに怯えなくて済んだ。
そしてオリヴィエが十六歳になった時、それまで一度たりとも来なかった王都からの使者が館を訪ね、父が読んでいることを伝えた。
はじめて訪れる王都に圧倒され、王城の荘厳さに感動すらしたオリヴィエに、父である国王は和平のため帝国の宮廷に入って欲しいと告げた。
初めて出会った妃、そして異母兄姉たち。
冷酷で冷ややかな眼差しに震えながら、オリヴィエは承諾した。いや、選択肢など最初から存在しなかった。
【変な話ですけど、王国の宮廷よりもこちらのほうが過ごしやすかったんです。髪の色が不気味だと言われることには慣れてましたし……。それになにより、ここでは誰も私を母を殺したと非難する人はいません】
だから今の私の居場所はここで、たとえウィレム様とお会いできなくとも、愛されなくても問題ないんです、とオリヴィエは朗らかに笑った。
「……だったら尚更、自分の居場所は守るべきなんじゃない?」
鏡にうつるオリヴィエの表情ははっとしたものに変わる。視線が揺れ、目を反らす。
「このままじゃいつ、殺されるか分からない。次、毒を盛られて助かるかどうかは分からない」
生まれ故郷ではなく、知り合いも親兄弟もいないこの宮廷こそ居場所と言ったオリヴィエ。それは私も同じ。この宮廷が今の私の居場所。私が知っている世界ではないこここそ。
「居場所はね、ただ黙ってるだけじゃ守れない。いい? あんたに与えられた館はあんたにとって居場所じゃなかった。そういう自覚があったんでしょ。母親の死をあんたのせいにして、幼い娘に罪の意識を負わせるのあんたの父親は馬鹿よ。救いようがない。あんたもその救いようのない馬鹿になり果てるつもり?」
【…………】
「はっきり言って、オリヴィエ」
「わ、私は……」
「どうしたいの?」
【私は……】
オリヴィエの声は震える。
オリヴィエの昂ぶった気持ちのあらわれか、宝石のように美しい瞳が涙ぐんでいる。
「はっきり教えて」
【私は、死にたく……ありませんっ! こんなところで何もなせないまま、死にたくありません!】
涙ぐんでいながら、不敵な笑みを浮かべる。その唇に浮かんだ笑みは、私の気持ちだ。
「言えるじゃない。今の気持ちはどう?」
【……スッキリ、しました。こんな気分、初めてです……】
「それも必要ない」
【それ?】
「ずっと、丁寧に話そうとするでしょ。いらないから。私たちは運命共同体。一蓮托生よ。他人行儀に接する必要はない」
【は、はい……ううん、分かった。ユリアさ……ユリア】
「そうよ。でもそこまで国を恨んでおきながら、私があの三バカ娘に手を出そうとした時、国に迷惑がってとめたでしょ。あれはどうして? むしろいい気味じゃない?」
【ただでさえ戦争のせいで民たちは苦しんでいます。父上たちは……はい、正直、どうでもいいんです。でも民を苦しめるわけにはいきません。たとえ宮廷で疎まれていても私は王族です。王族の一人として民を苦しめるということはありえません】
分かった、と私は頷く。
「さてと。気持ちも通じ合ったわけだから、あとはどうやって連中の化けの皮を剥がすか。それが問題ね」
【まずは考えを整理しましょう。机に向かってもらえる?】
「了解」
私はオリヴィエに従い紙とペンを用意して、そこに彼女の言う通り、関係性を書き連ねた。同じ人質と言っても、全員が同格ではない。
ラゴヴィッツ王国が国の大きさや力としてもコンラード王国、ザウロ共和国よりも頭一つ分抜けていて、それがここでも適用されている。
あの三人の関係性を見れば,一目でテオドラが牛耳っているのが分かる。
人質という関係においても差異をつけたがる神経は理解できないけれど。
【マグマン様は……】
「あんなヤブ医者に様づけはいらないわよ。真っ昼間から酒と煙草をやっているんだから」
【そうなの?】
「あいつのきつい香水の中に強いアルコール臭と煙草の臭い混じってたわ。臭いを消すためにきつく香水をかけてるんでしょうね」
【……もしそうなら、マグマンはただのヤブ医者ではないかもしれない】
「どういうこと?」
【マグマンの部屋に入れれば、確証をえられるものが見つかるかもしれないんだけど】
「それなら任せて。侵入は得意分野だから」
私は鏡に向かって笑いかけた。
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