幸福と決裂の一秒前
「まおううううううう、ひさしぶりいいいいいいいい!!!」
「こらこら、はしゃがないの」
その小柄な体躯を目いっぱい広げて、彼女はルシファルに抱きついた。「よしよし」と頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細める。子どもっぽいというか、ペットっぽいというか。辺りの風景に反比例して牧歌的なその光景を見てか、ザラキアが「尊い……」と呟いたが聞かなかったことにした。
「それで、今日は何の用事で来たの?」
「まおうにあいたかったから!」
「あら、それだけ?」
「え、そそそそそれだけって言われてもあたしの友達なんてまおうくらいしかいないしそれだって頻繁に会えるわけじゃないから今回だって毎日会いたいのをがまんして二年ぶりくらいに来たわけだしあたしの日々のがまんをそれだけって一言で片づけられちゃうのはどうにも悲しいっていうか泣いちゃいそうっていうかごめんちょっと涙出てきた…………」
「はいはい、ごめんなさいね」
「きゅう…………」
ルシファルがどこからが取り出したハンカチでルーティの目元を拭くと、とろんとした表情になって再び抱きついた。面倒なところも多いが、ルシファルに対する彼女は基本的に甘えん坊である。どちらかと言えば姉と妹か、もっといえば母と娘の関係性に近い。
「……こほん」
「ひっ、ザラキア……いたんだ……」
彼の姿を見て、ルーティは彼女の後ろに隠れる。同じ四地王であろうと、ルシファル以外は苦手らしいのだ。
「貴様の骸の群れの行進が五月蝿いだの怖いだのと、近隣住民から苦情が入っている。もうちょっとどうにかならんのか?」
「だ、だって……周りにみんながいないと怖くてうごけなくなっちゃうし……」
「そうは言っても限度があるだろう。あと一回り二回り、いや十回りくらい規模を減らせんか?」
「そ、そこまで減らしちゃうと……なんかあった時……死んじゃう…………」
厳選した骸を連れた彼女に『何かある』とすれば、それはこの国の危機と言っても過言では無いので、死ぬ事はないだろうと思って、ほんの少しだけ、笑い声を漏らしてしまった。しかし彼女の敏感な耳にはそれで十分だったようで、
「…………………………!」
血相を変え、ルーティは鋭い瞳でこちらを睨む。込められているのは明らかに殺気だった。これにはいくらなんでも二人とも反応し、即座に警戒の体制をとる。
「……ルーティ、どういうつもりかしら?」
「どどどどういうつもりって言われても…………まおう、そいつが来てからおかしいよ。ちょっとのことに敏感になったり、話し方だとか、あたしたちへの態度まで変えたり……おかしいよね、ザ、ザラキア?」
「……まあ、それについては異論がない」
ザラキアも、冷たい目でこちらを見る。庇うようにルシファルが前に出た。
「──貴様ら、我が伴侶が気に食わないというのか?」
「う、うん。目をさましてよ、まおう! あのころみたいにさ、骸の山を築こうよ!」
「……ザラキア、貴様もか?」
「──ルーティよ」
ザラキアは、ゆっくりと体を翻した。黒いマントをたなびかせ、ルーティを見遣る。
「確かに婿は気に食わん。殺したいほど気に食わん。此奴のせいで魔王様は腑抜けてしまわれた」
「ね、そうでしょ!?」
「だが、悪いことばかりではない。世界は平和になった。領地は豊かになった。人の技術で、生活は格段に向上した。そして、何より今、魔王様は幸せだ」
「……ほう」
見なくともわかる。ルシファルは、魔王の名に相応しい、凄惨な笑みを浮かべた。
「そ、そんなのどうでもいいよ……だってあたしはいま、なにも面白くない……おまえのせいだ、全部おまえの」
──刹那、心臓が急速に鼓動を早める。呪術師たる彼女の言葉は、文字通り呪いだ。心臓にかかる負荷は、しかしルシファルが飛ばした威圧の波動によって吹き飛んだ。息を荒らげる。呼吸が辛くなる。
「貴様──死にたいのか?」
「ヒッ……!? だ、だってまおうはそいつのせいで──」
「お待ちください、魔王様」
今にも始まりそうな争いを、紙一重で沈めたのはザラキアだった。
「奴は今、婿を否定しました。魔王様の幸福を否定しました。しかし同時に──私の幸せをも、否定しました」
「ならばどうする? ザラキアよ」
「決まっております、魔王様。このわからず屋を武力でわからせる」
そういうとザラキアの周りに、轟音と共に無数の武器が飛来した。素人目にも、それらが歴戦の武具であることは瞭然だった。
「いいよ……だったら! おまえを殺して! むこも殺す!!」
「やれるものならやってみろ──四地王同士、とことん殺り合おうではないかッ!」
──骸の群れは、一斉に進行を始めた。
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