再開と謁見の十五分前
廃ビルの中に設置されたゲートを抜けると、空間魔法でマクロニアの王宮、その中の庭へと運ばれる。サッカーでも野球でも、大抵のスポーツは出来てしまいそうな広さの芝生だ。見上げれば、夕陽を受け、金銀ミスリルオリハルコンと、豪奢な宝石たちで装飾された立派な宮殿が目に映る。普段であれば観光客向けに一般開放されている庭だが、パーティーのある今日は締め切られており、人っ子一人いない。
数秒して、目の前に執事服の男が転移してきた。
「お待ちしておりました、魔王様方」
肩に手を当て、男は恭しくお辞儀する。流れるような身のこなしから、一連の動作への慣れが伝わってきた。人のよさそうな顔立ちに、ショート気味の白髪、左目にかかるモノクル。絵に描いたような執事がそこにいた。
「遅れてしまって申し訳ありません」
「いえ、滅相もございません。執事長のセバスティアンと申します、セバスとお呼びください。それではご案内させていただきます」
「よろしくお願いしますわ」
セバスの後について、彼の抜けてきたゲートをそのまま潜る。その先はクリスタル製のシャンデリアが照らす綺麗な廊下であり、目の前には巨人サイズの大きな扉があった。セバスはそれを開き、「それでは、ごゆるりとお楽しみください」と一礼した。ふう、と小さく息を吐く。
「あら? 緊張してるの?」
ルシファルは悪戯に微笑んで言った。
「そりゃあ、まあ。本来私ごときが来られる場所じゃありませんからね。社交界のマナーなんて未だによくわかりませんし、粗相をして恥をかかないか、心配で心配で堪りませんよ」
「大丈夫よ、あなたなら上手くやれるわ」
それに、もしもあなたを馬鹿にする愚か者がいたら、私が──とルシファルが何かを言いかけたが、詳しく聞きたくないので、手を引いて歩き始める。そもそもそんな人、もういるわけがない。
中では既に、数多くの賓客が杯を交わし、料理に舌鼓を打っていた。その誰もがテレビなどでよく目にする各界の著名人であり、一般人たる私としては、緊張の度合いが少し増してしまう。とはいえ臆してもいられない、なるべく目立たないようにテーブルに近づいていく。しかしそんな健気な努力は、すぐに水泡と帰す。
「あ、我が友! その影と幸の薄そうな雰囲気は間違いなく我が友だ! おーい、俺だよ! 君の親友、高貴な
「……最悪だ」
陽気な声に振り返り、笑顔でこちらに近づいてくる金髪高身長イケメンに、思わず卓上の飲み物でもぶっかけてやりたくなる。しかしそれをグッと堪え、ため息交じりに口を開く。
「久しぶり、光己。ところで前に約束した、こういう場所では話しかけてくるなって話はどうなった?」
「え? いやだなぁ我が友、こういう場所で話しかけなきゃ、オレたち一生話せないじゃないか! だからこれからも話しかけ続ける、って前回君が来なかった時に一人で決めたんだけど……悲しいが、どうしても嫌ならもう二度と君に話しかけないと約束……しよう……ぐすっ……」
「あーいや、大丈夫だから! これからも話しかけていいから、だから泣くな!?」
「うん、ありがとう我が友!」
そもそも話しかけてほしくなかったのは『目立ちたくないから』という酷く自分本位な理由であり、それも目立ってしまった今や何の意味もない。慰めるとけろりと泣き止み、光己は軽く抱き着いてくる。昔っからすぐ調子に乗るし、泣き虫なのも変わっていない。変わったのは身長くらいだ。旧友との再会を嬉しく思いながらも、背後に突き刺さる無数の視線と隣に感じる無言の圧力のため、光己を引き離す。
光己は同郷の友人であり、同じ釜の飯を食って育った仲である。同い年であることも相まって仲が良かったのだが、十二歳の時その素質を見初められ、名門である
「最近どうだい、我が友?」
「最近というか、今の気分は割と最悪だね。空気の圧がすごい」
「………………」
「んんー? こんなに楽しい社交の場だというのに、何が最悪なんだい。夫婦揃って、そんな顰めっ面じゃよくないですよ。ルシファル嬢?」
誰のせいだと思ってるんだ、という言葉が読心するまでもなく伝わってくる。そんな様子のルシファルである。私に対して親しげな光己が気に食わないのか、彼女は彼のことをあまりよく思っていないらしい。ただ、数少ない私が友とする男である上、十文字一族は魔王とあれど触れづらい、面倒な地位の貴族であるため、ルシファルの癇癪一つでどうこうするわけにはいかないのだ。ジンや私が散々言い聞かせているので、こういった場では基本的に何もしないが。そこ以外でどうだかは、まあ。
閑話休題。とはいえ、光己は後ろ盾がなくとも何かされるタイプの人間ではない。それは家柄のためだけでなく、たとえルシファルが不機嫌になろうとすぐ、「とはいえ、その顰めっ面であれど君は美しい。笑えばもっと素敵なのは確かだが。いやー、お嫁さんがこんな絶世の美女だなんて、我が友は本当に幸せ者だなー!」とまさにこんな風に、白々しい称賛を投げかけるからである。
「そ、そう? やっぱり?」
古より恐れられし魔王は、意外と褒められ慣れていない。緩んだ頬に手を当て、小首を傾げる。照れ始めたらもう、光己への怒りは何処へやらである。いつもそうなのだけれど、この辺になるとこちらを見つめる野次馬の目も消えていくので、ある意味有難い恒例の展開である。
「ええ。夜の方も、さぞかし良いのだろうなと羨ましい限りで──」
「夜?」
「あ、ああ! ルシファルさん本当に可愛いよな! 私は本当に幸せ者だよ光己!」
「あだっ!?」
「もうっ、あなたったら」
光己を小突きながら、ルシファルに笑顔を向ける。不満そうにこちらを見つめる光己ではあったが、約束を破る方が悪い。奴もそれを薄々わかっているようで、嘆息して話を変えた。
「ところで、近々そちらに伺ってもよろしいですか?」
「え? ええ、こちらは別に構わないけれど……」
「よく家の許可が降りたな?」
「ああ。まあいくら頑固な父上とはいえ、此度は俺の我儘じゃなくて堅実かつ現実的な商談だからね。頷かざるを得なかったのだろう」
現十文字家当主、十文字
「まあ、詳しい話はおいおい詰めよう。今はこの素晴らしいパーティーを楽しもうじゃないか!」
こちらの動揺を察してか、光己はそこで話を切り上げた。「積もる話もあるが、それもまた後日。また会おう、我が友よ!」と輝く笑顔で手を振って、優雅な社交場の中心へと向かっていった。ああ見えてやり手の男だ、色々なお偉いさんへのご挨拶もあるのだろう。
「まったく。本当に変な人よね、彼は」
「そうですね、最高に変な奴です」
私なんかを友とする時点で、相当に変な奴である。「何だか嬉しそうね」と頬をつついてくるルシファルに、「変な奴って、見てて楽しいじゃないですか」と返した。
「ご歓談のところ失礼します、魔王様ご夫妻」
「……!」
背後から響いたバリトンボイスに、体が小さく跳ねた。足音も気配もなかったはずだ。それでいて最近何処かで聞いたような声。小さく息を吐いて振り返る。
「心臓に悪いですよ、セバスさん」
「これは重ね重ね失礼しました」
セバスが恭しくお辞儀して言う。恐らく先程のように転移魔法で背後に現れたのだろう。私もルシファルも別に気にするタイプではないけど、割と本当に失礼な行為なのではなかろうか。
「少々お時間よろしいでしょうか?」
「よろしくてよ。手短に済むのであれば、ね」
威圧すらすることなく、ルシファルは真顔で答える。どうやら珍しいことに、結構機嫌がいいらしい。セバスは微笑んでお辞儀をし、背後のゲートを示す。
「我が主、国王レオン・ミレニウス・13世がお待ちです」
──この前の仮病について怒られなきゃいいな、とだけ思った。
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