無礼と謝礼の三分前


 ゲートを抜けると、豪華な王宮の中でも一際絢爛な広間に出た。ふかふかなレッドカーペットのその先、緩やかな階段の上に玉座があり、そこに虫も殺さないような穏やかな表情で、それでいて威厳に満ちた雰囲気を漂わせる、恰幅のいい老人が座していた。国王レオン氏である。


「高いところから失礼。遠路遙々よくいらっしゃいましたな、魔王殿、婿殿」


「ええ、本当に。うちの夫は社交の場が苦手なのだから、あまりこういう会に誘わないでいただきたいわね」


 開口一番、ルシファルはそう言った。客として態度が不遜すぎる。「いえ、私なら大丈夫です」と、とりあえず訂正しておく。

 確かに私がああいう場を苦手としているのは事実であるが、それは別に私自身の問題ではなく、正直に言えば彼女のせいである。お世辞だとか社交辞令だとか、そういった概念と無縁のルシファルは外交には向いていない。そんなものするべきでない、というレベルに適していない。とはいえ一国の主として、全てを人に任せるわけにもいかない。だから私が彼女をフォローしながら外交する羽目になって、それが大変だから苦手なのだ。まあそんなことを伝えて変わる彼女ではないので、何も言わないが。


「滅相もない。お久しぶりです、国王陛下」


「気を使わずとも構わんよ。私も形式ばった固いやり取りだとか、本心を偽っての外交は苦手だ。そういった意味では、極めて素直な魔王殿には好感が持てる」


 それこそ社交辞令だとは思うが、いくら国王一人の好感を得られようが、この不遜な魔王を全人民が受け入れてくれるとは思えない。一歩間違えば、いつ戦争が再開されようがおかしくないのだ。それを止めてくれているのはひとえに、この人や周りの尽力によるものである。


「先日は式典に参加することができず、本当に申し訳ありませんでした」


「急病ならしょうがない。その後体の調子は大丈夫かね?」


「ええ、まあ」


 極めて素直と評された女は、その数秒後には嘘を吐いていた。そもそもその病気って物自体が半分くらい仮病である。


「して国王、本日は何故私たちをお呼びに?」


「いや、別に大した用でもないよ。先日会えなかったからね、様子が心配で呼ばせてもらっただけさ」


「それなら映像通話でもよかったんじゃないかしら? そちらの方が手間がかからないし」


「そういってくれるな。やはり映像よりも直に会った方がよい。魔王殿だって、婿殿と毎日通話するよりも毎日会えた方が嬉しいだろう?」


「そんなの当然ですわ。この人以外とならどうだっていいけれど」


「ふむ。ここまで自分に興味がないことが伝わってくると、逆に気楽に感じるな」


 ハッハッハ、と王は高らかに笑った。その朗らかな表情からは、特に気分を害した様子はない。寛容すぎて逆に恐怖すら覚える。


「さて、魔王殿。申し訳ないが、少しだけ婿殿と二人きりにしてくださらんかな?」


「お断りしますわ」


 ルシファルは淡々と答えた。


「なに、すぐに終わる。それさえ済めば、もう今日は自由に過ごしてもらって構わない」


「私がいたら都合の悪いことでもあるのかしら?」


「男同士、少し話したいことがあってね。そういう意味では確かに都合が悪いといえる」


「ルシファルさん、お願いします」


「……ふむ、いいでしょう」


 手短にお願いしますわ、と言ってルシファルは踵を返した。控えていたセバスが、恐らく客室に繋げられたゲートを開く。もう一度だけ振り返り、私の方を向いてからゲートを潜っていった。


「さて、呼び止めて悪いね、婿殿」


「大丈夫です。とはいえ少し驚きました」


 国王と対面するのももう二桁近くになるが、このように私が呼び止められたのは初めてだ。自分で言うのもなんだが、私自身に突出した才能はない。あくまで魔王のおまけに過ぎない。そんな私に、一国の──ひいては現人類のトップが、一体何の用だというのか? 


「謙遜することはない、貴殿は傑物だ。あの魔王を惚れさせ、魔族と人間の長い戦いの歴史を終わらせたのだから」


「私の力じゃありませんよ。それこそ国王がいてくれなかったらこんなに丸く収まらなかったでしょうし、何より、みんな戦いに飽き飽きしてたからでしょう」


「いいや、間違いなく貴殿のおかげだよ。君の説得がなければ、魔王は止まらなかった。それに今も、君が魔王の楔になってくれている」


「……ずいぶん直接的な物言いですね」


 今まで対面したときとのギャップに少し戸惑いながら、国王の真意を探る。確かに否定しようのない事実ではあるが、この人がそういったことを口に出してくるのが意外だった。


「すまない、言い方が悪かった。そう警戒しないで頂きたい、別に何か企んでいるわけではない。ただ、一言貴殿に伝えたかっただけなのだ」


 国王は襟を正し、立ち上がって頭を下げた。


「ありがとう。貴殿のおかげで世界は救われた」


「──頭を上げてください、国王。私は別に何もしてないです」


 嘘ではない。本当に何もしていない。私はそこにいただけで、私は話しただけだ。この人に頭を下げられるほどの働きはしていないのだ。


「いいや、貴殿が魔王に戦いをやめるよう働きかけたのは知っている。それがなければ争いは今も続いていただろう」


「そんなの……ただ当然のことを言っただけですよ」


『誰も戦いを望んでいない──もちろん僕も含めて』そう言っただけだ。それで、戦争は終結した。


「誰もがそう言ってきた。それでも止まらなかった。なれば、それは貴殿の力じゃろうて」


「……ありがとうございます、その言葉、素直に受け取っておきます」


 そういうと王は、頭を上げて皺の刻まれた顔をくしゃっと歪めた。


「またいつか、別の形で礼をさせて頂きたい。今や魔王の婿となった貴殿が喜ぶような物を授けられるか、少し不安だが」


「私としては、王に感謝の言葉を頂いた時点で十分なんですけれどね……そろそろ彼女の我慢の限界が近いと思うので、今日はもう失礼します」


「うむ、それではまた──いや、最後にもう一つだけ聞きたい。下世話な話で申し訳ないが、ずっと気になっていたことがある。貴殿は如何にして魔王の心を射止めたのだ?」


「──さあ? 物珍しかったから、とかじゃないですかね」


 一礼して、セバスが開いたゲートへ向かう。思っていたよりも話し込んでしまった。恐らくルシファルは今頃へそを曲げて、ベッドに寝転がっている。歩きながら、先程の王からの言葉が脳裏にあった。私は世界を救ってなどいない、私はただ────────

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