第5話 旅立ち
その日、貴美子叔母さんの夫である谷津田俊哉さんの運転する車で、僕達は隣県にある病院へ向かう。普通に都市間を行くのならば、1時間ほどで隣の県に着くのだけど、今回は山の方へ向かっている。真っすぐ進んでいる訳でもない上に、途中からは山道なので時間も比べ物にならない。
「こんなに便の悪い所に、本当にいい病院があるのかしら」
「周りから切り離された環境が落ち着いて治療するのに向いているんじゃないか」
二人がそんな小さな言い合いをしているのを静かに聞いている。
本気で僕のことを心配している雰囲気を出している二人と共にいると、まるで本当の家族のように感じられて嬉しくなる僕を演じなければならない。
静かにしていれば、ただ笑顔を貼り付けておけば良いだけで少しは楽なのである。
上辺だけの家族を取り繕うことに全力で、本当のことを聞けない僕はとっても弱虫だと思う。
~~~
差し出した手を、『弱虫』と呼ばれていた少年がおずおずと握り返してくる。
「井口譲だ。これから、よろしくな」
「は、はい。『弱虫』です。こちらこそ、お願いします」
おどおどとしているが、ちゃんと答えてはくれた、のだが。
「名前を教えてくれよ。おい、『弱虫』なんて、酷過ぎて呼べないぞ」
それじゃあ、ただの悪口ではないか。ところが、少年は困ったように首を傾げているだけだ。
「まさか、名前が」
「は、はい。『弱虫』です」
僕はあんぐりと口を開けて呆けてしまった。
少年は幼い頃に、獣人族の住まう森へと捨てられていたらしい。そこからは、森の子として他の獣人の子と一緒に育てられたということだ。
「全く、獣人達も酷いよな。悪口のような名前を付けて、蔑んで喜ぶなんて」
僕の倫理観的にはそうなるのだが、彼らからするとまた少し違うらしい。
「皆は悪い人たちではありません。僕が弱くて、勇気も無いから」
聞くところによると、獣人族は成人して初めて一人前の戦士と認められ、真名を与えられるのだと。それ以前の子供達は、親元を離れて一所で暮らす。それを、皆で面倒を見ていくらしい。
名前がないと不便だから、自然と特徴で呼ぶようになる。『欠け耳』『たれ目』『ブタ猫』等々、悪口と取られかねない呼称は、なにも『弱虫』だけではないみたいだ。
「困ったな」
それが名前じゃ仕方がないのかもしれないが、呼び難いことこの上ない。
「では、ジョウ様が名前を付けてくれませんか」
「でも、獣人族は成人の時に真名を頂くんだろ」
だから、勝手に名付けるのは駄目だろう。
あれ? 呼び名なら構わないのかな? どうせ成人の折に真名が付けられるのなら、大袈裟に考える必要はないのかもしれない。
「うぅん。まあ、呼び名なら僕が付けても良いのかも」
「えっ? 真名の話ですよ。基本的には親が付けるのですが、僕の場合はいないですし、人族なのでなあなあのまま保留になっていましたし、やっとです」
それでは尚更、重大なことなのではないか。って、あれ? 保留? やっと?
「ええっ、君って成人しているの? いくつよ」
そうか、ここは異世界だから成人年齢が低いんだな。10歳とか12歳とかなのかもしれない。
「はい。今年成人したての15歳です」
年下だと思っていたのに、現状2つ上だったとは。
あれ、なんか期待の籠った瞳で見つめられている気が。えっ、これって本当に僕が名前を付けなきゃいけない流れ? 仕方がないから、考えるとしよう。
「うーん……ビルトゥス、なんてどうかな」
あれ、反応がない。中二過ぎたか。
「僕の世界の古い言葉で『勇気』を意味するんだけど」
「そんな大層な名前を頂けるのですね……それで?」
あれれ、なんだ、その予想外の反応は。名前を付けて終わりじゃないのかな。
「それで、とは」
わからないことは聞けば良い。
「族名はどうすれば? 族長の『ナコ』を名乗らせて頂く予定でしたが、元々あれはトラ族の意ですし」
つまり、苗字ということかな。
「僕は井口なんだけど」
「イグーチェ? ですか。イグーチェ=ビルトゥス! かっこいいですね。ありがとうございます」
うん、突っ込み所はあれど、もうそれでいいよ。
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