その場所へ帰ろう

ふもと かかし

プロローグ

第1話 蒸し暑い夜に思い出す

 もあもあと纏わりつく湿度とともに、温度もぐんぐんと上がっていく。不快指数はうなぎのぼりだ。それもこれも、エアコンが活動停止してしまったことに起因する。

 とはいっても、真夏の夜にエアコンが故障したとか、そういった類の話ではない。エアコンは、タイマーによって正常にその活動を停止しただけであるのだから。


 僕はエアコンのリモコンに手を伸ばすこともせずに、ただ一心不乱に目を閉じていた。

『もう少しだ、もう少しで』

 眠れそうなのだ。


 ここのところ、僕の寝つきは悪い。所謂不眠症というものだ。それでも、頑張れば薬なしで眠れる。医者からも薬に頼り過ぎるなと言われているし、昨日は薬を使ったから今日は控えた。それで、眠るのに苦労しているというわけだ。

 それでもなんとか、夜中と朝の中間地点くらいに、不眠を倒してくれそうな睡魔がやってきた。

『これで、ようやく』

 意識を手放そうとした、その時。


『助けて』

 見目麗しいエルフの少女の、悲壮感漂う顔が脳裏に浮かぶ。

『助けて』

 逞しい体躯のわりに低身長のドワーフである厳めしいおっさんの、苦悶に歪む顔が訴えかけてくる。

『助けて』

 おどおどとして自信なさげな人族の少年の、泣いて縋る顔が焼き付いて離れない。


 眠れない原因は、はっきりしている。


 僕は数ヶ月ほど、今住んでいる所とは別の世界へ行っていた。そこに残してきた彼らが、僕の睡眠を妨げているのだ。

 おかしいな、確か別れ際の彼らは、寂しさを湛えていたとはいえ、笑顔だった、筈なのに。


~~~

 僕から全てを奪った海が、『ウゾルク』という世界へと行くことになる全ての始まりといえる。

 僕の両親は、この海が連れ去り帰らぬ人となった。皮肉なことに、父は海をこよなく愛し、海辺でダイビングショップを経営していたのだ。母は、父の店へお昼のお弁当を届けに行っていた。


 もう不運としか言いようがない。その時に起きた大地震のもたらした津波が、二人を連れ去ったのだから。

 数ヶ月が経ち、遺体の無いままに両親の葬儀が行われる。一人息子の僕がしっかりしないといけなかったのだろうが、生憎、まだ中学二年生の子供に出来ることは無かった。


 叔母夫婦が何もかもをやってくれたが、それが余計に僕に疎外感を与える。だから僕は、海へと向かったのだ。

「ばかやろぉぉぉ!」

 もやもやを腹の底から吐き出す。息の続く限りに叫んだ。おかげで幾分かすっきりとした。


「おっと」

 心がすっきりすると、体の方もすっきりとしたくなったらしく、ぶるっときてしまう。

 この辺りは、復興が後回しにされている為に、もよおした僕の駆け込む施設が皆無なのだ。大ぴらに立ちしょんするのも憚られたので、岩場の陰におりて用を足す。


 そこへ大波がやってきて、僕は波に飲まれてしまった。


 上も下もわからないほどに、きりもみ回転しながら暗い方へと押し進められていく。やがて回転は落ち着いたものの、戻り流れからは逃れられない。息を止めているのも限界がきて、『ごぼり』と息を吐き出してしまう。離れていく泡を見つめながら。

『ああ、死ぬんだ』

 そう思った。


 だが、次の瞬間には真っ白い空間を揺蕩っているではないか。死後の世界なのかと思ったが、そこはウゾルクへの扉だった。


~~~

 思い出を無理矢理に押し込めて、微睡みの世界へと旅立とうとするが。

『助けて、たすけて、タスケテ、た・す・け……』

 あと一歩のところで怨嗟の声に捕まってしまう。エルフの顔が、ドワーフの顔が、少年の顔が、父の顔が、母の顔が、現れては消え、消えては現れる。苦悶と怨念に満ちた顔で迫りながら。


「うわあぁぁぁ!」

 叫び声と共に起き上がる。お陰で、微睡みは霧散してしまった。

「はっ、はぁっ、はっ、はっ」

 暗闇に乱れた息遣いだけが響く。


『パチッ』

 音と共に視界が真っ白に埋め尽くされる。


「まさか」

 真っ白以外に何も見えない。

「ウゾルクへの扉!」

 そう僕が名付けたあの真っ白な空間へ、また来てしまったというのか。

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