03 横顔と茜空






 一月になると、撮影に向けて本格的な準備が始まった。


 柚月ゆずき絢斗あやとが出演するシーンは、一月から二月までかけて撮影が行われる。

 テスト期間に重ならずに撮影ができるように、現場のスタッフが調整してくれた。


「先生、美術室でちょっと寝かせて……」


 柚月は昨日の夜おそくまで、台本を読み込んでいた。

 仮眠かみんをとらないと帰り道で倒れそうな気がして、授業おわりに美術室に寄った。


「あらあら。保健室で寝させてもらったら?」

「保健室、好きじゃないから」

「よくこんな硬い椅子の上で寝られるわねぇ……」


 とうとう明日、柚月はクランクインとなる。


 スタジオを借りるスケジュールの関係で、なんと初日にキスシーンの撮影が行われることになっている。


「ドラマが決まって、やっぱり大変?」

「身体よりも、気持ちが疲れてる、かも」


 ゆううつに、ゆううつが重なった。

 先生が、心配した様子で柚月に言う。


「いつでも美術室においで。話聞くことしか、できないけど」


 柚月は美術部に所属していた。

 友達に誘われて人数あわせで入部しただけ、だけど。


 週1回の集まり以外は自由。今日は部員はだれも来ていない。

 先生のことは好きだから、柚月は時々こうやって美術室に来ている。


「先生、これから職員会議なの。

 念のため美術室のカギかけておくから、帰る時は職員室までカギを取りきに来てね」

「たぶん、先生が戻るまでここで寝てる……」

「ハイハイ。本当につらいなら、早く帰って寝た方がいいわよ」


 柚月は教室のすみに椅子を並べて、ブランケットをき、その上に横になる。

 どこでも寝られるのが柚月の一番の特技だ。


(明日が来なければいいのに……)


 先生が扉にカギをかける音を聞きながら、柚月は目を閉じた。

 台本も持ってきてはいたけど、開く気にはなれなかった。


 台本は穴があくほど読みこんだ。あと足りないのは、心の準備だけ。


(すごくたたかれたらどうしよう。それどころか、撮影がうまくいかなくてろされるかもしれない)


 普段から、エゴサーチはしないようにしている。

 いまはドラマに関する記事すら見るのがこわくて、テレビもネットも、SNSさえも見ずに過ごしていた。


 『やっぱり読モに役者はつとまらない』

 『泉くんの相手役なのに下手くそ』


 なのに、自分をたたく言葉ばかりが頭に浮かぶ。

 『LiCoCo』の単独表紙デビューの時よりも、ずっとプレッシャーを感じていた。


(やるだけやって……ダメならもう、引退しよう)


 そう思わないと、プレッシャーに押しつぶされて破裂しそうだった。


 思ったほど身長も伸びなくて、モデルとしてやっていけるのも、せいぜいあと二、三年。

 演技もダメならいさぎよく引退しようと、柚月はあらためて心に決めた。






 物音がして、うっすら目を開ける。

 椅子の上で、いつのまにか眠っていたみたいだ。


(先生、戻ってきたのかな……)


 窓の外は、少し日がかげっている。


 ぼんやりしたまま、物音のしたほうに目をやる。

 なぜか美術室のすみに、絢斗がいた。


(泉……くん……?)


 絢斗は椅子に座り、ボソボソとなにかをつぶやきながら、真剣な表情をしている。


 夢かなと、寝ぼけた頭のまま柚月は考える。


(夢に出てくるほど不安ってことかな。いよいよヤバいな、私……)


 柚月はそんな自分にあきれてしまった。


 西日を浴びた横顔があまりにもキレイで、柚月は夢うつつでその姿をながめる。


(泉くん、石膏像せっこうぞうに……話しかけてる……? ほんと、変な夢……)


 絢斗が向かい合っているのは、美術のデッサンで使う石膏像だった。

 ヴィーナスかなにか、女の人の姿をしている。


「…………だけは、ほんとの俺を見ててよ」


 聞こえた声は、ドラマの台本にあったセリフだった。

 すると、絢斗は身を乗り出した。


 夕日を浴びた絢斗の横顔が、白い石膏像に重なる。


「え…………」


 なんと、絢斗は石膏像に───キスをしたのだ。


 驚きのあまり、柚月は思わず声をらしてしまった。

 絢斗はバッと石膏像からくちびるを離し、柚月のほうを振り返る。


「お……逢坂おうさか……!!」


 絢斗は柚月がいることに、まったく気付いていなかったようだ。


 柚月はようやく、これが夢ではないことに気が付いた。

 柚月は椅子に寝たまま固まり、動けない。


「ご……ごめん……」


 ようやくしぼりだした声で、柚月は謝った。

 見てはいけないものを見てしまったことだけは、柚月にも理解できた。


「な、な、なっ……なんでっ…………!!!」

「え、と……一応私、美術部員で……」

「でもっ、カギ……!!!」

仮眠かみんさせてもらってたの。先生が、鍵かけてくれてて……」


 二人とも、この上なく混乱していた。

 絢斗の顔は真っ赤で、声はうわずっていた。


 絢斗は誰もいないと思って、美術室に入ってきたんだろう。

 机のかげになって、柚月がいることに気付かなかったみたいだ。


「よりによって…………逢坂に…………!!」

「あの、ほんと……ごめんね」

「うわー、ほんとムリ……!!

 時間よ戻れ時間よ戻れ時間よ戻れ……」

「…………」


 両手で顔をおおい、絢斗は念じる。

 残酷ざんこくなことに、時間が戻ることはなかった。


 そこで柚月はようやく、気が付いた。


「今のって、もしかして……練習?」


 絢斗は耳まで真っ赤にして、両手で顔をかくしたままコクンと頷いた。






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