第38話


 あいにくの土砂降りの雨。




 今日は、お客さんは誰も来ていなかった。




 紗栄は、ホールの掃除を念入りに行っていた。




 さとしはキッチンの冷蔵庫の中身をチェックし始めた。






 こう言う時にしかできないことをやっておこうと、床磨きも念入りにしていた。




 すると、昼12時を過ぎた頃、ドアの鈴が鳴り、傘を閉じて、中に入ってきた男性がいた。




 こんな台風に近い雨の中、わざわざ来るのは誰だろうと、入り口に目をやると見たことのある人が佇んでいた。



 

「お邪魔しまーす。結構、おしゃれなお店ですね。」




 以前、紗栄と一緒にモデルの写真撮影をした坂本健太郎だった。




 お忍びで1人で来店してきたようだ。



 さとしは、驚きのあまり、持っていたガラスコップを床に落とした。




 慌てて拾う。



 

「健太郎さん? なんで、ここが?」




 お客さんが来たと言うのにいらっしゃいませを言えなかった紗栄。




 驚いて空いた口が塞がらない。




 健太郎はお店全体を見まわす。





 内装や壁紙のデザインをとても魅力的に感じた。





「さすが、モデルをしていただけあって、センス抜群ですね。何で辞めちゃったんですか? せっかく一緒にした雑誌、結構売れ行き良かったのに、小笠原社長もかなり落ち込んでましたよ。ジェマンジをウチの会社に買収されてましたが…ってその話は良いんですけど。」



 


 健太郎は、空いてる席に座り、メニュー表を確認し始めた。





「あ、ありがとうございます。」





 キッチンの奥からさとしが出てきて話し出す。




「その節はお世話さまでした。ただ、俺たちがこのお店にいることはどこからお聞きしたんですか? どこにも公表していないんですけど。」




 健太郎は、Twitterを開き、さとしと紗栄が映った写真を開いて画面を2人に見せた。



 お客さんで来ていた誰かが拡散したらしく、あの人は今の状態で、元モデルのSAEがカフェで働いている情報が上がっている。




「コレかな。…真実を確かめに来てさ。出所は信頼おける情報だったみたいだね。」



「あ、あちゃー。バレてる。」




 目を右手で覆う。




 いずれわかることだろうとは思っていたが、こんなに早く広まるとは思ってなかった。



 続けて、健太郎は、さとしの非公式写真集がメルカリで売られていることを見せた。




「ちなみにこのことはご存知でしたか?」




「は? 何で俺の写真が売ってる訳?許可してないけど。しかも、これ盗撮…。」





 健太郎のスマホを奪い、マジマジと見た。





 紗栄とモデルで活動していた時のスーツ姿のさとしが写真集として売られている。




 売り切れになっているのもある。





 紗栄は事前に遼平から話を聞いていたため、驚くことはなかった。





「僕はこのことで、話に来たんです。さとしさん。本気でモデルの仕事をする気は無いですか?あなたは業界にとって、ザクザク稼げる宝箱のようなものなんです。ぜひとも一緒に…」





 健太郎の、スマホをテーブルに置き、真剣眼差しで見つめられた。




 さとしは後ろを振り返る。




「俺はどんなに言われてもやらない。お金の問題じゃ無い。今のここの生活で充分満足している。」




 そのままキッチンへ行って、仕込みを始めた。




 健太郎はため息をつき、近くにいた紗栄に話しかける。






「紗栄さん、どうしたらさとしさんをモデルの仕事に振り向かせることができるんですか?」




 腕を組んで考える。





「一度辞めて、ここに来てる時点でやるわけがないんですよ。私の仕事を目の当たりにして分かっているから、マスコミや社長に隠してでも、ここに来たんです。ご理解頂けますか?」




「うーん。こうやってTwitterで、騒いでる状態で何も起きないことは不可能だと思うけども…このカフェをもっと人気店にしたいとかそっちの方向からの仕事をしたいって思ったら、ぜひここに連絡してほしいんです。僕はさとしさんに期待しているので…指輪してるってことはご結婚されてるんですよね。夫婦で活動することも会社にとって売り上げに貢献できると思うのですけど。」




 左手にキラリと光る結婚指輪を見て、健太郎は言う。耳元で健太郎は小声で言う。




「僕と一緒に紗栄さん単独でいらしていただいても良いんですよ。福利厚生は僕の権限でどうとでも出来ます。僕が事務所の社長ですから。」




 片目ウィンクをすると、テーブルに名刺を置いて何も食べずに健太郎はお店を後にする。




 大きなこうもり傘を広げて土砂降りの中、向かい風の方に行ってしまった。




 紗栄は、何とも言えない複雑な気持ちになった。




 さとしの方が注目されて、私は二番煎じ。



 モデルの仕事をしていたのは自分なのに。




 紗栄は仕込みのさとしの横に行く。




「さとし、お金の問題じゃないって言うけど、本当は喉から手が出るほどお金が欲しいんじゃないの? 開店準備資金ローンとか払わなきゃいけないのたくさんあるじゃない。」




 下の段に置いていた寸胴鍋を取り出し、水をたっぷり入れ始めた。




 カレーのブイヨン作りをし始めた。




「あのなぁー、確かにウチの店は、ローンを組んで、その資金を払うことのハングリー精神で働いてるけど、モデル業で簡単にお金を稼いだところで、俺は満足しない。お金に余裕ができたところでそれは俺の稼ぎ方じゃない。それはすぐ無くなってもいいあぶく銭と一緒。今やっているこの料理で美味しいって言ってもらってからの稼いだものが俺にとってのお金で心が満足するものだから、お金は天下の回りものだろ?」




 身振り手振りでコンコンと説明する。




 過去に目の前に大金を置かれたまま使わなかった時間を思い出す。




 お金の稼ぎどころはどこか。





 仕事もなりたくてなっているものか。




 好きでやってるものなら喜んでやる。




 モテたくてモデルをやるわけじゃない。




 人を喜ばせるために頭から足の先まで神経を使う。




 尚更、トークなどのコミニュケーション能力が問われる。




 それはさとしにとっては望んでいる仕事ではない。




 むしろイヤイヤやる仕事になってしまう。




 それをやりこなせば、想像以上の大金を手に入るが、それ以上にお金をかけなければならないことも知っている。





 関わる全ての人を大切にすること。





 こと尚更、自分自身の体のメンテナンスにお金をかけること。





 それを考えたらいくら稼いでも満たされない何かがある。




 余るくらいにお金があっても、休みはほとんどない。





 そんな人生を続けたくないと芯から考えていた。




 紗栄の仕事をマネージャーとして見てて、感じていたことだった。




 人様に顔を身体を見せることはカッコいいだけでは成り立たないことは想像するだけで見えてくる。




 疲れている時にファンの方々に営業スマイルできるほど、心の器は大きくない。




 

 心から人に優しくするのは、紗栄のことを考えるだけで充分だった。





 あえて、表ではない裏方の調理に入るにはそんな意味があった。





 紗栄はさとしの話を聞いて納得する部分もあったけれど、何となく損してるところもあるなあと思った。

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