第37話
空のお葬式を終えて、3ヶ月。
午前10時。お店の看板をopenにひっくり返した。
今日は、紗栄が店の玄関の掃除当番だった。
バイトの谷口遼平(たにくちりょうへい)という市内に通う大学生が入ってちょうど一ヶ月。
お店の回転率も順調に回っている。
キッチン兼ホールの仕事を任せていたが、今日は仕事を覚えることもあって、ホールのみに入ってもらっていた。
お客さんからの評判は上々で、昔のさとしを鏡にしているような背格好だった。
ふとした仕草にドキッとする紗栄。
どこか懐かしさを、覚える。
「遼平! これ持ってて~。」
さとしが作り終えたハンバーグランチセットをカウンターの棚に置いた。
「はい。今行きます。すいません、仕事がありますので…。」
マダムのお母様たちに声をかけられた遼平は、うまくすり抜けて業務に戻る。
「あら、やだ。もっと喋ってくれてもいいじゃないのねー。」
「そうよね。話すのも仕事のうちよね!」
「いや、ここ、カフェだから。あの子はホストじゃないでしょ!仕事の邪魔しちゃダメよ、鈴木さん。」
3人のマダムたちは大きな声で談笑していた。
時々、気になるのか遼平に話しかける。
それなりに他のお客さんが来ているのに業務に支障をきたしている。
こめかみに筋が入るが、グッと我慢をしてこられた。
「次、カレーライスセットだから、紗栄、ご飯よそってくれない?」
「はいはい。今やります。」
食器をトレイに乗せてテーブルをふきんで拭いていたら、遼平が。
「俺、これ運びますから紗栄さんはあっちに。」
「あ。ありがとう。んじゃ、よろしく。」
さとしのイライラを、察知した遼平は、テキパキこなしていく。
感情を、出している人の交わし方はよく慣れているようだった。
ホールの仕事が手薄になると、洗い場の方で腕まくりして、予洗いしてから食器洗い機に手際良く並べていく。
さとしの方も、ランチタイムの忙しい時間を過ぎた隙にまかないを作った。
今日はサラダ付きの鶏からあげプレートだった。
キッチンの隅っこに小さなイスを3脚並べて、プレートの横にナイフとフォークを準備した。
丸くよそったご飯の上にはお子様ランチのようにイギリス国旗やアメリカ国旗の爪楊枝が、刺さっていた。
さとしは自分のご飯に日本の国旗を、刺す。
「これ、可愛いね。ランチには出さないの?」
「今、こういうの危ないから出せないのよ。親が注意すれば良い話なんだろうけどね。間違って喉に刺すお子さんとかいたらお店も責任問われるでしょ。まかないだけの旗ね。」
食器の片付け方に追われていた遼平も、戻ってきた。
「さ、食べよう。いただきます。」
「いただきます。」
両手を合わせて、それぞれ食べ始める。
「いつもありがとうございます。いただきます。」
遼平は、大学に通いながら、合間を見て来てくれている。
面接の時は、カッコつけすぎていて、仕事できるのかと不安になったら、制服を着せたら、スイッチが入るのか真面目に仕事をしてくれている。
悔しいことにさとしよりも高身長。昔、バスケをしていたと話す。
東京からわさわざこちらに引っ越して、一人暮らしをしているらしい。
夢に見たあの坂本と同じ顔ぶりをしていたため、予知夢を見たのかと思った。
「遼平は、東京で暮らしてたんだろ?何でこっちに来たの?」
「いやぁ、仙台の方が好きで、こっちの方の大学に来たら、そのまま暮らせるかなあと思って、特に深い意味はないっす。」
さとしと遼平は、大学の話で花を咲かせていると、静かにその場を離れて紗栄は1人、母屋のリビングにいた。
あまりお腹が空いてなかったのもあり、それよりもお子様ランチの話に敏感になっていて、子供の話はしたくなかった。
お客さんで子連れで来ているママさんたちを見ると、自分の中の嫌な気持ちが湧き出てきて、そこにいられなくなる。
どうして、私にはいないのと自問自答を繰り返すようになる。
毎年届く年賀状の結婚しましたは抵抗なく見られるのに、子どもが生まれて賑やかになりましたの類の年賀状は目を伏せたくなった。
いくら仲の良い友達でもその瞬間だけは嫌いになる。
ラインのプロフィール写真の赤ちゃんの姿を見るのも、拒否反応を示した。
連絡を取りたくない。
身近に存在する花鈴の子どもでさえも会いたくないと、感じる。
甥っ子なのに。
大事にしたい家族なのに、嫉妬心が頭の中を張り巡って、いたたまれなくなる。
さとしは、気分転換にお酒やタバコで気持ちを紛らしているが、紗栄には何も発散するものがない。
発散するにも行動することの、パワーを失っている。
「紗栄さん、そろそろ午前の部終了で、札交換してきても良いですか? 14時半ですもんね。」
母屋の方にいた紗栄に遼平は声をかける。
ひと通り、さとしと話して話題が尽きたのか、さとしは裏口から外に一服に行ったようだった。
「…大丈夫ですか?」
壁に体をつけ、膝を抱えて、ぼんやりしていたせいか、覇気がないように見えたようだった。
起きあがろうとしたとき、床に足を滑らせて転びそうになった。
遼平は背中を支えようとした瞬間、手の置く場所を間違えてお互いに慌てていた。
不意うちに遼平の唇が紗栄の唇が触れ合った。
予想だにしない出来事で慌てた紗栄は即座に遠くの方へ後退りした。
遼平は頭をかきむしって、土下座した。
「も、申し訳ありません!! いや。ほんと、事故です。いや、もう、ぶつかって、あ、俺、血、出てますけど、紗栄さん、大丈夫ですか?」
遼平の唇からサラッと血が滴り落ちた。
紗栄はそれどころじゃなく、目がクラクラして、頭から煙が出そうだった。
紗栄の方も少し血が出ていた。
急いで、テーブルのそばにあったティッシュを紗栄の手元に持って行った。
遼平もティッシュで口をおさえた。
「おーい。まだ札交換しなくていいの?お客さん来ちゃうけど、延長して仕事するの?」
下の階にいたさとしが、母屋のリビングに向かって叫んで、こちらに向かってくる。
何となくバレたくなかった遼平は近くにあった毛布を自分と紗栄にかけて、隠した。
子どもの頃に遊んだかくれんぼをしているみたいだった。
リビングにいないことを確認すると、さとしはすぐに戻って行った。
2人がいた場所は、リビングよりもっと奥の服を整理する部屋だった。
ちょうど影になっていて見えなかった。
小さい声で
「口、大丈夫ですか?ほら、血、出てますよ。」
持っていたティッシュをおさえた。
お互いに口にティッシュを持っている。
変な感じだった。
にらめっこしてるみたいに、笑いが止まらなかった。
声を出さないようにするので必死だった。
「紗栄さんって、前にモデルしてませんでしたか?」
「え? 何で知ってるの?」
毛布で被りながら内緒話している。
「あ、俺、東京住んでたって言ってたじゃないですか。従兄に坂本健太郎っているんですけど、実は一緒に仕事したことがあって…SAEさんと写真撮ったって掲載された雑誌見せられてたから、そうかなあって思って。」
「え、その話、広めないでくれる? 私たち一悶着あったからマスコミとかには言わないで。絶対。」
「言わないですよ。確認したくて聞いたんです。俺、さとしさん、リスペクトしてるんです。知ってました?SAEファンの間でマネージャーのさとしさんの写真集作られてたんですよ。公式じゃないの知ってたけど、メルカリで買っちゃいました。」
スマホを出して、さとしの盗撮であろう写真を見せてくれた。
何だか、自分がモデルなのに、マネージャーの写真が盛り上がってるって複雑な気分だった。
スマホの時計を見るととっくにお店を閉める時間が過ぎていた。
紗栄は慌てて、下に降りていった。
「その話、あとで、もう1回聞かせてね。」
ドタドタと音を立てて降りていく。
「紗栄、どこ行くの? 看板なら直したよ。てか、2階にいたのかよ。さっき行ったとき、いなかったけど。」
キッチンの椅子に座っていたさとしは、横から声をかけた。
「え、あ、ごめんなさい。やってくれたんだね。遅くなって…あ。2階のLED電球切れてたみたいで、遼平くんにやってもらってたんよ。ほら、私、届かないからね。」
「え、交換したばかりなのに? 不良品だったかな?2階って奥の物置部屋でしょ?」
「うん、そう。でも何とかなったから。背高いとハシゴ無しでも届くから助かるよね。さとしも背高いけどさ。さっき、忙しかったでしょう。」
さとしは、何で自分に頼まないだと機嫌を害した。
いつも見ない待合室に置いてあった新聞を読み始めた。
しばし沈黙が続く。
その頃、遼平は、かぶった毛布を動かすことはせず、ラインを開き、坂本健太郎にメッセージを送った。
『健兄、久しぶり。元気だった? 面白い話あるんだけど聞く?』
絶対言わないと言ってたはずなのに、遼平はどうしてもインプットしたものをアウトプットしたいようで、紗栄とさとしがここでカフェを、してることをモデルの坂本健太郎に話してしまう。
そして、今、自分はバイトとして働いてることも話してしまう。
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