第36話



 

病室のベッドから見える外は隣の建物だった。何の風景もない。





反対側の窓からは小さな公園が見えた。





ふとんを頭までかぶっていても結局は一睡もできなかった。





 ふと、ふとんをよけるとさとしはいなくなっていた。





 喉が渇いて、ラウンジに行ってみた。





 今はどこの病院も禁煙で愛煙家は居場所がない。





 缶コーヒー片手にぼんやりとソファに座っていた。




「眠れなかった?」




 目の下に大きなクマを作っていた紗栄の顔を見て言う。





 こくりと頷いた。





 さとしは、何も言わずに、自販機のボタンを押して、温かいミルクティーを選んでいた。





 大好きなミルクティー、あんなにカフェインを気をして、コーヒーも紅茶もデカフェにしていたけど、今日くらいは飲んでも平気なんだろうなと知ってか知らずか分からないが、そっと手渡した。




 

「夢、見たんだ。バイト雇うって話出てたからか、あの、前にモデルの写真撮影で一緒だった坂本さん?に似てる人がバイト面接に来たんよ。俺、却下って言ってる夢。ウケるでしょ?」





 どうでもいい話をして話題を逸らしたかったんだろうと内心思った。




「最悪だね。坂本さん、全然関係ないし、しかも面接に来た子がもっとかわいそうだわ。」





「だってさ、夢の話だけど、そのバイトに来た子は俺と同じ大学だった訳で、将来の夢は調理師免許取って、三つ星レストランになることだって言ってたのよ。俺に成し得なかったことを突きつけられたって思って…尚更腹立った。」





 両足を伸ばして天井を見た。






 紗栄はミルクティーをゆっくりと飲んだ。





「それって、さとしの本当に夢なんじゃないの? でも大学出た後、別な仕事選んでたよね。大手の雑貨屋のバイヤーだよね?企画とか広報もやってたって…。全然違う仕事だったよね。」






「うん、そうだね。それはそれでやりがいあって、楽しかったけど、資格持っててもさ、現実見ちゃうと怖気付くんだよね。そのまま、どこかの店で調理として入ろうかと思ったけど、バイトのまま終わってしまいそうだなあって感じて…自分のお店出してからやろうって思ってたから、雑貨の仕事は言わば、踏み台でお金をとにかく稼ぎたかったのよ。まあ、その甲斐もあって、色々あったけど親父の力借りて店できたからさ。あと、紗栄のお父さんと。やりたいことやれてるなあとは感じてるんだけど、紗栄のこと大事にしてなかったかなと反省してたところ…ごめんな、こき使って。」







「全然、平気だよ。むしろ、私は何か物作りしたいって思ってたし、カフェに併設して焼いて作った食器とかデザインした服とかこじんまりだけど、売れるなんてできないと思ってたから、嬉しいんだ。まだまだ知名度は無いけど、小遣い稼ぎに丁度いいし、料理の方も補助的な仕事好きだし、お客さんと接するのも案外好きなんだなあって最近感じてたんだ。マンチカンの優子さんみたいな風になれるといいなっていつも思う。」







 紗栄は、ミルクティーを飲みながら、働いてる時の自分を想像した。




 

 できることならすぐにでも仕事復帰したいと考えていたが、今はこの調子。




 思い出して、今の現実に打ちひしがれた。



 私は今、亡くなった子どもを抱えている。




 また泣きそうになったのを堪えて、トイレに向かった。




「紗栄?」





 さっきまで、笑顔で話していたのに急に表情を変えたのをさとしは見逃さなかった。





 黙って個室の中にあるトイレに行く紗栄について行った。




 ドア越しに




「無理、すんなよ。取り繕わなくていい。俺だって平気な顔してるけど辛いんだ。無理に笑わなくてもいいんだ。泣きたい時は思いっきり泣けばいい。今は泣いていい。誰も見てない。俺も見ないから。」




 

 その声を聞いて、紗栄は声を押し殺して泣いた。






 話を逸らして本質につかないことを言ってもどうしても思い出す。






 5分ほど泣いてすっきりして、気持ちを切り替えて、鏡を見て笑顔を作った。






クマがまだ出ている。





ドアを開けてすぐにさとしはそっと肩を抱いて、頭を撫でた。





「ヨシヨシ。戻ってきた。」




 犬猫のペットのような扱いを受けた。苛立ちを覚えた。





「私はペットじゃない!!」




「まて、おすわり!」




「ワン! …って違うわ!」




 夫婦漫才かのような掛け合いだが、観客は誰もいなかった。



 額同士をくっつけて、見つめ合うと思いきや、頭突きをされた。




 少し額があざのように赤くなった。




「何か期待してる?」




「べ、別に!」




 結婚してからと言うもの、釣った魚には餌をやらないと言うか、安心し切っているのかいじわるすることが多くなってきている。



 恋と愛は違うだろうなと感じる。





 結婚は生活が全てで、同棲のようなウキウキドキドキなんて、少なくなっている。家事をどっちするかとか、争うことの方が多い。深くため息をついた。





「落ち着いたら、温泉にでも入りに行こう。旅館とか良いよね。浴衣とか着てさ。」




「下心ありすぎるよね…。」




「素直じゃないなあ、楽しく生きようよ。女子は浴衣好きじゃないの?」





「浴衣好きだよ。あまり着る機会がないから。」




「そういや、浴衣姿見たことないや!ドレスは着たところあったけど、和装は無いもんね。成人式の振袖も、見損ねたなぁ。会ってないもんね。」




「え? 私、成人式、行ってないよ。振袖も着てないし。」




「嘘? あの中にいなかったの? 結構みんな来てたのに、もったいない。二次会まであって盛り上がってたけど、ほぼ合コンみたいになってたけどな。」





 また複雑な顔になる紗栄。



 

 何だか聞きたくないエピソードがたくさん出てきそうで、その場から離れた。




 また墓穴を掘って機嫌を悪くさせている。



 それに気づかないさとし。





 そんな心境の中、なんだかんだで手術の時間になった。




 もう、いろんな話をして、あんなに落ち込んでた気持ちは小さくなった。



 ただ、単に製造ラインのお菓子のように、淡々と処置を受けた。




 

 もう、恐怖は消えていた。




 

 あとは術後の経過観察。



 あるものが無くなって寂しいやらスッキリやら難しい気持ちになった。




 そのまま明日は火葬場へ家族だけで小さな葬式を取り行う。




 名前を決めるのに時間がかからなかった。



 

 お空に帰るとよく言うから

 名前は『大越空(おおごえそら)』

 大きく羽ばたいて、

 戻ってくることを願った。




 男の子か女の子か分からなかったが、どちらでも大丈夫な名前にした。





 お葬式が終わったあと、さとし、紗栄、美智子、修二の4人で会食料理を食べに行った。





 結納の儀式を終えて1ヶ月ぶりの食事だった。



 お造りやシチューホットパイなど珍しい料理がたくさん出てきた。



「お酒、飲みますか?」



「おう。んじゃ、付き合おうかな。」




 さとしはビール瓶を修二の持つコップに注ぐ。修二はさとしにビールを注ぎ返した。軽く会釈をして献杯をする。




「お店、来週から開けるんだよな?」



「そうですね。紗栄にはしばらく休んでもらって、バイトの子と一緒にやろうと考えてました。」




 お刺身を食べながら話し出す。




「まあ、それが1番無難な考えだな。体が持たないだろうから。前からバイト入れておけばよかったんじゃないのか?」




「コスト面がかかりますから、悩んでたんですね。若い人はすぐ辞めることが多いって聞きますし、でも今回ウチに来てくれた子はやる気があるみたいなので、安心しました。」




 ビールを飲み干し、手酌酒で飲みつづける修二。




「まあ。上司になるといろいろ大変だよな。経営のことも視野に入れて考えないといけないもんな。さとしくん、よくやってるよ。俺は確かに肩書きあるけどトップではないから経営のことはさっぱりだからな。」





「そうなんですかね。人はどんな場所でもいますし、相手をどう動かすかが大切かなと上司にならなくても同じかと俺は考えます。ついてくる来ないはその後って、難しいですけどね。世の中、一筋縄では行かないことの方が多いですもんね。お互いお疲れさまです。」





 さとしは余計なこと言ったかなと口を閉ざした。お酒が入っていたため、言わなくて良いことまで言ってしまったかなと思った。




修二は、さとしの仕事への情熱を知り、感心していた。



割と何も考えず仕事をこなしている修二にとっては違う世界だなと感じていた。




まっすぐに思いを仕事にぶつけられるさとしの考えに年下ながら尊敬の意を持った。




「さとしくん。これからも紗栄のこと頼んだよ。君になら安心して任せられそうだ。」





 ビールが美味しく感じたのか何度もお代わりして飲んでいた。




それを言われたさとしは頬を赤らめた。





酔っていたからではない。




素直に嬉しかった。





 紗栄は母と最近の話題のこたつみたいな靴下の話で盛り上がっていた。





 

 子どもが1人天国へ旅立ったが、さとしと紗栄にとっては生活を改める良いきっかけになった。






 2人だけでお店を回すのではなく、従業員を増やすことに。





 もし、神様が存在するとしたら、もしかしたら、無理しているから生活の基盤を整えてからまたやり直してみてと言いたかったのかもしれない。





 滞りなく、お葬式は済み、小さなお墓に埋葬した。




 

 その日は雲ひとつない風もない穏やかな空だった。






 きっとあの子はあの空の向こうで優雅に過ごしていることだろう。







 東の空には三日月の白い月が、浮かんで見えた。

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