第35話

よく晴れた朝、スズメが鳴いている。




 コックコートを着たさとしは、

お店の前の掃除を終えて、

手描きのお店の看板

『スコティッシュフォールド』を丁寧に傾きを整えて、さらに下にある看板の『closed』から『open』に切り替えた。駐車場の車に乗って待っていたお客さんがどんどん降りてきて、中に入ってきた。





「いらっしゃいませ。空いてるお席へどうぞ。紗栄、お客様、いらっしゃったぞ。」




 厨房へ行くと、準備をしていた紗栄が、苦しそうにうずくまっていた。




 

 さっきまで、元気にホールの準備や掃除をしていたはずなのに、突然だった。




「さ、紗栄。大丈夫か?」




 かかんで、様子を確かめた。



 今から開店でこれから働くぞと言う時だったのに、さとしは焦りを見せる。



 お腹をおさえて、苦しそうだった。




 カレンダーを見ると時期はまた妊娠して6ヶ月、まだまだ産まれるには早い。




 悪阻も少しあったが、お腹を痛むのは今回が初めてだった。




 激痛が走り、立つことままならない。



 さとしは一度お客様に今日はお店を開くことができない理由を伝えに行き、次回ランチが安くなるデジタルクーポン券を発行することを約束し、お帰りいただいてから、店を閉めた。




 openとひっくり返した看板をcloseに戻した。



 母屋のリビングのソファで休んでいた紗栄は、苦しんでいた。



 さとしは、必要な保険証や財布などのバックや荷物を車の後部座席に積んで紗栄に自分の肩を貸して、助手席を横にした状態で乗せた。


 

「あと、病院連絡しておくからな。この診察券のところでいいんだよな?」




 保険証入れのケースから紗栄の診察券を見せた。



 紗栄は黙って頷いた。



 テキパキ行動してくれて、すごく助かった。




 痛すぎてお礼を言うのも忘れるくらいだった。



 スマホを取り出して、電話番号を入力した。




 かかりつけの産婦人科に連絡した。




 苦しんでいる状況を説明すると、受付の方から看護師に変わり、医師と電話で相談したようで、緊急に診察とするということで、着いたら受付まで申し出るようにと言われた。




 今の妊娠中期は世間一般では安定期と言われるが、個人差によって症状が悪化する場合も考えられる。




 さとしは、冷静に対応し、車をクリニックまで走らせた。




病院に着いて、紗栄を下す前に受付に申し出ると、車椅子を貸してくれた。




 さとしは玄関に停めていた車から紗栄を下ろして車椅子に乗せて、病院内に連れて行く。




 受付で手続きを済ませると中から看護師が出てきて、対応してくれた。




「今、出産中の患者さんがいらっしゃいますので、そちらの対応が終わり次第、先生が来ますからそれまでこちらのベッドで休んでいてくださいね。あと、今先生が来る前に赤ちゃんの心音確認しておきますか。お腹失礼しますね。」




 待合室で心配になりながら、さとしは待ち構える。




 車を駐車場に戻すのを思い出し、一度外に出て、車を移動させて、必要な荷物を後部座席から持ってきた。




 平日もあってか、今日は割と空いていたようだった。待合室に戻り、両手を握りながら待っていた。




 看護師の佐藤は、慎重に赤ちゃんの心音を探す。無言で作業をしていたため、尚更緊張した。




「あの、赤ちゃん大丈夫ですか?」




「ちょっと待ってくださいね。大越さん、電話で聞いていたんですが、痛みの他に出血はありませんでしたか?」



「そうですね、来る前に一度トイレに行ったんですが、少し出血していたかもしれないです。痛すぎて、もう、それどころではないのですが…。でも、何だかいつもよりお腹が冷たい感じがして…。」



「先生に確認してもらうので、少々お待ちくださいね。」



 看護師の、佐藤はその場を離れて、先生を呼びに行った。何分間かぼんやりと待つ時間があった。これからどうなるんだろうと不安がよぎる。




「はい。お待たせしました。大越さん。心音確認させてもらうからね。」




 先生が汗をかいてやってきた。



 出産の対応をしてきたばかりで、急いで来てくれたみたいだった。




 紗栄は看護師がいた時から、診察室の中にあるベッドで横になっていた。




 そのまま、器具を使って心音確認しているが、先生は黙ったまま何も言わない。



「大越さん、ごめんね。内診もやってみていいかなあ? 隣の1番に入ってね。」



 その場から離れて、荷物をゆっくり持って隣の診察台に座った。



 

 経膣のエコー検査をするとのことだった。




 さっきは、お腹の上から心音確認をしてたが、今度は中の方を見ると言うことらしい。




 検査をする時、多少、激痛が走った。



 体がどうにかなってしまったのか。




「はい。深呼吸してね。検査は終わりましたので、診察室の方でお話しします。着替えて、移動してください。」




 先生は至って冷静な対応だった。




 紗栄は、痛みに耐えながら、着替えを済ませて、診察室へ移動した。



「大越さん。検査して、分かったことなんだけど…お腹の中の赤ちゃんは、残念ながら、もう息をしていないんだよ。お腹が冷たくなっていたのは、その影響だと思う。大体お腹の中に入って約22週ってことは5ヶ月で、安定期のはずなんだけどね。こればっかりは個人差とかあって体調が良くなかったとか、ちょっと力尽きちゃったかな…。」





 ショックのあまり言葉にならなかった。一瞬、ごくんと飲み込んで。




「あ。あの…この後はどうするんですか?」



「そ、そうだよね。このままにはしておけないから、お腹の中から赤ちゃんを取り出す手術をします。赤ちゃんが大越さんの体の中に入ったままは良くないから、今日はそのまま入院してもらって、あとレントゲンや血液検査して、明日手術しましょう。ちょうどベッドは空いていたから後から看護師の方から詳しく説明があるので、何か細かいことは看護師の方に聞いてください。」




 紗栄は現実を受け止められなくて、半分くらいの話の内容が入って来なかった。ぼんやりして、入院することだけは覚えていたため、先生に質問する余裕もなかった。





「大越さん。誰のせいでもないからね。とにかく体はお大事にしてください。」





 診察室から待合室へ移動した。





 待合室で待っていたさとしに冷静に状況を説明し、入院の準備をして荷物を買って来てほしいこと、両親に連絡してほしいことを伝えた。




 気丈に振る舞って私は大丈夫だよと平気な顔で対応した。




 それを聞いていたさとしは、心中を察してはいたが、入院の準備もしなくちゃいけないこともあり、眉毛をハの字にして、何とも言えない表情を見せた。





 目を伏せて、すぐに切り替えて、話し出す。




「…紗栄、お母さん呼んでここに来てもらうか。俺が準備に行ってしまうと紗栄が1人になるから。」




 最善な対応を考えて、今出来ることはそれだと思った。



 紗栄は黙って頷いた。


 


 さとしは、早急に産婦人科に来てもらうよう、義母の美智子に電話した。



 ちょうど、目と鼻の先に紗栄の実家があったため、車で5分以内で到着できるそうだった。



そうしてる間に、看護師から名前を呼ばれ、病室に案内された。





 痛みは多少おさまっていたため、自分の足で歩くことはできていた。




 さとしは、荷物などの必要なものが書かれたリストを預かって、クリニックを出た。洗面用具やパジャマ以外に、家に無いものや、買って来なくてはいけないものがあり、お産用パッドなど、女子にしか分からないものもあった。


 


 念のため、花鈴に確認して、買って来てもらうよう頼んだ。


 


 出産経験が2回もあり、当時必要だったものも知っていたため、すぐに用意できたが、さとしは、何の理由で入院となったかは花鈴には伝えなかった。


 


 翌日の仕事が、他県だったため、時間がないからと、花鈴は物を届けると紗栄には会わずにして、すぐに自宅に帰って行った。



 

 その時、洸と深月は、裕樹とともに自宅にいた。花鈴は、外出で気分転換ができると喜んでいた。


 

 花鈴は、ラインで紗栄にお大事にスタンプを送ってあっさりしていた。


 

 約15分経たないうちに母の美智子はクリニックの病室に現れた。



 慌てて来たのか、着衣が乱れていた。


 

 駆けつけてくれて紗栄は単純に嬉しかった。



 「紗栄、どう? 調子は?」




 ビニール袋に飲み物のお茶数本と雑誌が入っていた。



 気分転換にということだろう。


 

 テーブルに置かれた。



「ありがとう。うん、まぁまぁかな。点滴してて、明日手術だから。」




 つわりの影響もあって、食事もろくに取れていなかったため、点滴をされた。




 大体の症状をさとしの電話で聞いていた美智子。



 

 あまり、詳しく聞くのは傷つくだろうとあえてそれ以上は聞かなかった。




「さとしくんは? 荷物、取りに行ったって聞いたけど、まだ来てないの?」




「あ、うん。なんか、家にあるものだけじゃなくて、買いに行かなきゃないものもあったみたいで、さっきラインで聞いたら、花鈴に頼んだって言ってた。今は、家で準備してるって、あともう少ししたら、来るかな。割と、家から近いところのクリニック選んでたから大丈夫だよ。」





 スマホでラインを確認して、こたえた。横の椅子に座った美智子は、紗栄の背中をさすった。



「大丈夫、大丈夫。そしたら、さとしくんが来るまで私がいてあげるからね。」



「うん。ありがとう。…でも、大丈夫?お父さんの夕ご飯、作る時間じゃないの?」



 クリニックの時計を見て、午後5時になりかけているのが分かった。



 窓の外を見ると、だんだんと暗くなってきた。



「いいの、いいの。今日、お父さん、夜勤だから。気にしないで。私は、もう早めの夕ご飯食べて来たから。」




「お父さん、まだ介護の仕事?」



「そうなのよ。今は役職ついてしまったもんだから、新人や同僚の代わりに夜勤出ることもあってね。忙しくやっているよ。大体の日中は事務仕事なんだけど、夜勤だけは人手不足だからね。」




何気ないいつもの会話は気分を落ち着かせてくれた。



 美智子は、あえて、違う話をして、気持ちを和らげようとさせた。




「そういや、紗栄、これ。温かいのよ。同僚の人に教えてもらったんだけど、遠赤外線で暖かさで着てるだけでポカポカするよ。」



 急に、始まったインナーあったか自慢。

 今は秋。


 もうすぐ、暦の上では冬になる。


 冬の支度をしておいてもいいかもしれない。



「へぇ、そうなんだ。素材は、肌に優しいそうだね。今のところに引っ越してから、冬はどれくらい雪降るかわからないけど、山に近いからきっと降るよね。」




「そうね。家でも、結構積もるから、その年にもよるけど、紗栄たちのところは山に近いから、除雪機用意して置いた方がいいんじゃないかしら。今度、お父さんと相談して、買っておくから。いる?」



 スマホで通販の除雪機を見始めた。




「え、いいよ。高い買い物でしょう。お母さんたちだって、大変なんだし。」




「何言ってるの。いつになってもあなたは私達の子供なんだから、遠慮しないで。何年も、会ってなかった分、親の役目果たさせてよ。」




「は、はい。お言葉に甘えて、よろしくお願いします。」



 笑みが溢れる2人をドアの隙間から見えたさとしは、ノックして入った。



「こんばんは。お義母さん。今日は、ありがとうございました。本当、助かりました。これ、ほんの気持ちです。」




 慌てて買った近くにあった自販機のあったかいカフェオレペットボトルを差し出した。




「こんばんは。あら、別にいいのに。気にしないで、本当。成すべき仕事を果たしてるだけなんだから。でも、せっかくだから受け取るわね。」



 

  美智子はテーブルに置かれたカフェオレを受け取った。


 

 買ったばかりで温かった。



「さてと、さとしくんも来たわけだし、私はお暇するわ。んじゃよろしくね。旦那さま。」



 そう言って、さとしの肩をポンと叩くと、美智子は病室を後にした。


 

 さとしは、軽くお辞儀をした。




「あ、ちょっと、お義母さんのお見送りしてくるわ。すぐ戻る。」




「うん。お願い。」




 紗栄は、何か話したそうだと思って勘付いていた。




「お義母さん! 今日は本当にありがとうございました。あの、電話でのことなんですが、花鈴夫婦には、詳しいことは言わないでいただきたいんですけど…。」




「あ、あぁ。そうね。あの2人は、確かにこの件は言わないでおいた方が良いわね。紗栄は、気にする内容ね。分かった。適当に交わしておくわ。紗栄、今回の件に関してはかなり落ち込んでるみた。さとしくん、フォローしてあげてね。」



「は、はい。最善を尽くします。」




「まぁ、無理せずに。何かあったら、また連絡ちょうだい。私、今、数時間のパートだからお父さんより融通がきく方だから。」



 美智子は、乗ってきた軽自動車に乗り込んで、去っていった。




さとしは、姿が見えなくなるまで、見送った。



 紗栄のいる病室に戻り、



「ごめん。今帰ったよ、お義母さん。遅くなって本当ごめん。紗栄のパジャマ、洗濯したばかりだったから急いで乾燥機かけてたら、こんな時間になった。でも、病衣あるならそのままレンタルしてても良かったな。入院って慣れてなくて何準備したらいいかわからないな。」



 それを聞いて、紗栄はクスッと笑う。


 必死で準備してくれていたんだろうと想像すると嬉しかった。  

 

 普段の家事はほとんど紗栄任せだったため、久しぶりに衣服の管理で大変だったろうなぁと頭に浮かぶ。



「な、なんで笑うのさ。これでも必死こいて準備したんだぞ。何か、訳わからないパッドって書いてるし、ラインに送ったけど花鈴に頼んだけどさ。すぐ帰ったけどな。あ、それと今回の件は大っぴらにしないでおくな。しばらくはお店も1週間かな、お休みしよう。な?」



「え? なんで? さとし、動けるでしょう。そんなに休んだらお客さん減っちゃうよ。せめて3日にしようよ。私がいなくても、何とかなるって。この機会にバイトくん入れたら?」




 拍子抜けするさとしは、考え直した。




「え?バイト入れるの? 覚えるまでに時間かかるじゃない。コストかからない? 紗栄がいた方が安定するって。俺は調理専門なのに、ホールもするってこと? …あれ、でも、それはそれで人寄せになるかな?」




「なに、それ。自慢? 俺カッコイイ自慢でしょう。てか、前より老け込んでかっこよさぶれてるから! タバコ吸いすぎて、白髪増えているし。自惚れしすぎ!」



 突然、髪をかきあげて、




「ロマンスグレーって知ってる?」



「ばか。もう寝る。お休み。」



 ふとんにもぐりこむ紗栄。



「なに、怒ってるんだよぉ。もっとお話ししようよぉ。紗栄ちゃん。」




 紗栄の体をさするさとし。



 そうしているうちに疲れたのか、ふとんの上に体をよせて座ったまま、紗栄よりも先にいびきをかいて眠っていた。



クリニックと家との行き来で疲れたのか、珍しく、家の中をあさって探すのに体力を消耗したらしい。



 眠っているのにお腹がぐーぐーなっている。



 ご飯を食べてないはず。



 食欲より睡眠欲が勝ったらしい。

 


 付き添い用の簡易ベッドが

 近くにあったのに、寝てしまった。



 さとしより先に寝ようとしていたのに、何だか悔しかった。


 

 

 改めて、横になり、スマホをいじって、『流産』『死産』というワードを検索した。



 経験談を確認して、どうしたか、どう切り替えて次に繋げたかをいろんなサイトを見て、納得するものはないかみた。



 中には、お空に帰って、着替えを取りに行ったという表現があったり、産まれる時期を間違えて、またやってくるんだという表現があった。



 どんなアドバイスを見ても、どうして私じゃなくてはいけなかったと自責の念にかられた。




 先生には誰のせいでもないというけれど、いっそのこと自分のせいって言ってもらった方がすっきりしたかもしれない。



 それとも、先生の処置のせい。



 いや、でも、どんな状況であれ、人のせいにはしたくない。




現実に起こったことは冷静に受け止め、未来に繋げることの方が先だ。



 ただ、手術は出産する時とさほど変わらない。



 ただ、息をしていない子が出てくる。


 それを見て、私は受け止められるのかと明日の手術が怖いと紗栄は、布団の中で眠れぬ夜を過ごした。

  



 横で寝ているさとしには、本音を言えなかった。



 すごく楽しみにしてくれていた。



 お腹を何度も確認して胎動があるとか、パパだと言って話しかけたりしてた。



 自分もショックだけど、きっと同じくらい大きいショックだったじゃないかと思っていた。

 




 明日になったら、そのまま火葬をしなくてはいけないんだろうなと考えた。




 名前もつけてあげないと。

 

 

 全部のミッションをできるか不安でいっぱいだった。




 両方の目にクマを作っていた。





 明日が来てほしくないと人生の中で初めて思った。

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