第13話

カーテン越しに朝日が差し込み、眩しく感じた。温かいモコモコのふとんが体を温めてくれていた。下はモコモコのシーツにふかふかのベッド。今日は何曜日だったかなぁと寝返りをうってぬくぬくしていると目の前のソファに毛布をかけ横になって寝ているさとしがいた。目の丸くして、布団の中をのぞくと昨日のスーツのままだった。ここは、どこだとふとんをよけた。

「え……えっと、昨日何していたっけなぁ。」

 額に指を置いて思い出す。仕事帰りに雨の中、さとしに会って、居酒屋でお酒飲み過ぎて、そこからが覚えてない。

「……ん? 起きた? 大丈夫か?」

 紗栄がゴソゴソと動いているのを感じ取ったのか、さとしはムクっと起きた。見ると、スエットとパーカー姿になっていた。ビシッとスーツを着ているところがまた見たくなった。普段着を見ると、学生の頃と変わり映えしなかった。そして、紗栄はだんだんと怒りが込み上げてきた。このお酒で記憶が無くなって、朝起きたらお持ち帰りにされたってよくあるドラマのストーリー。私にはそれさえもない魅力もない女性だったのかと喪失感が湧き上がってきた。

「ちょっと、脂がノっていて活きの良いお魚を食べずに腐らせるつもりですか?」

「……どした? まだお酒抜けてない? 昨日の居酒屋で刺身あったかな? 食べたかったのか?」

 頭の上に疑問符がうかんだ。紗栄は遠回しに欲求が満たされてないことを表現したが伝わらなかった。駄々をこねる子どものようになっている。

「寝てる時、寒くなかった? 俺のパジャマあったんだけど、起こすの悪いなって思ってそのまま寝かしちゃった。スーツシワシワだよな、今、妹の服代わりに貸すから、アイロンしといてやるからシャワー浴びてきなよ。」

 さとしはクローゼットからバスタオルとフェイスタオル、妹のものであろう服を用意してくれた。いたれりつくせりだった。おしゃれな黒のワイドパンツとストライプセーターだった。そして、ストッキング。変に気使ってくれるこの有り難さに何も言えなくなった。何だか女性を知り尽くしているところに身震いを感じる。

「たまに、俺の家に妹泊まり来るんだよ。家出だってさ、まだ大学生なんだけど…サイズ、多分同じ背格好だから合うと思うよ。」

「…うん。」

 妹のものっと言っておきながら、服には値札がついたまま、まさか女装の趣味があったりして、と内心笑いながら、洗面所に素直にいく。さとしは、思い出したように慌てて廊下で紗栄を追い越して中を確認しに行く。

「どうかした?」

「いや、恥ずかしいものないかなってちょっと確かめたかった。だけど、大丈夫だった。」

 さとしは洗面所に置いてあった2本の歯ブラシのうち、ピンク色の歯ブラシをさっとポケットに隠した。日常的に妹が帰ってくるわけないだろうと思って隠した。さとしに妹いたのだろうかと疑問に思わない紗栄だった。

「え、なに、恥ずかしいものって、変なの~。」

 未だ謎のさとしの1人暮らし。女性ものの服があること、ピンクの歯ブラシ、紗栄は気づいていたが可愛い2つのマグカップ、まさか私のために準備する訳ないし、十年会っていなかったのだから彼女の1人や2人いてもおかしくはないんだけど、そもそもなんで高校卒業してから連絡も会うこともしてなかったのか思い出せなかった。あんなに一緒にいたのに、あんなに大事にしてくれていたのに、そばにいて欲しかったはずのなのに、突き離したのは紗栄自身だったことをさとしは鮮明に覚えている。

 高校の時、ずっと手を繋ぐことをしていない、ましてやキスなんてもってのほかで、ある時期を境に紗栄はとてもガードが硬くなっていた。さとし自身も手に負えないくらい男性を拒絶していた時期があった。

 雪村の家族関係に問題があった時だった。


 電車のホーム事件が起きて、花鈴がSNSで誹謗中傷のターゲットにされていた時、雪村家では塀にペンキで落書きされて、ご近所では噂がひろがり、テレビ局の取材でカメラマンや新聞記者でごった返ししていたため、一家はその家に住むのは困難だったため、美智子の兄である勝彦叔父さんのところに雲隠れしていた。花鈴はそのまま、裕樹と一緒にアメリカに行ってしまったが、残った両親と紗栄は、勝彦叔父さんのところでしばらく一緒に過ごさなければならなかった。はじめは仲睦まじく暮らしていたが、女の子を育てたことがなかった勝彦は、良からぬ考えになってしまっていて、夕飯終わりの妻や兄弟、雪村家族の目を盗んでは、受験勉強だと家庭教師のふりして、離れの部屋に連れられて、紗栄の体を弄んでいた。それから高校2年から3年まで続いていて、誰にも言えずに過ごしていたが唯一心を開いてたさとしには警戒心を表現できていた。精神的に病んでいたことを知ったさとしは、理由を知らずとも静かに身を引こうと卒業と同時に連絡を途絶えていた。本当は心から大事に思っていた紗栄だったが、無理に傷つけることはできないと想っていてのことだった。本人の真実を知ったのは誹謗中傷のほとぼりが冷めて大学生活を送っていた時だった。学校の近くに親子3人で引越しして、母親から見て、紗栄が父親をすごい形相で警戒したことを境に心療内科に相談したら、叔父にレイプされていたことを打ち明かした。さとしと会うことが無くなったことで男性に対する自己を表現するのは父親しかなかったためだ。通常に学生生活は送っていたため、両親は全然気づかずにいたのだ。叔父の要求に応えなかったから、家を出なくてはいけなくなることを恐れた。我慢すれば、勉強も教えてくれるし、塾に通わなくてもお金はかからずとも要求に応えればと自分を押し殺して、2年間過ごしていた。国公立の大学に見事現役合格していた。大学入学とともに叔父家族が住む家から脱出できたため、ターニングポイントとなった。実際のところ、叔父は好きでも嫌いでもなかったが、勉強に関しては真剣に教えてくれていたので、お礼のつもりで差し出していたものだった。心と体のバランスは良くなかったが、結果として成績は良くなったので、紗栄としては結果オーライでいいじゃないかと言い聞かせていた。心の奥底ではなんで相手はさとしじゃないだと勝手に涙が頬を伝うこともあった。何度も行為があったのに何もなかったのは、ちょうどその頃婦人科の治療でピルを飲み続けていたため、不幸中の幸いと行ったところだ。



ーーー



 洗面所でシャワーをしようと支度していたが、服を脱ぎ、タオルを体全体に巻いていたら、さとしはドアをノックした。

「紗栄、ごめん。中、入っていい?」

「え? 今、服、脱いじゃったところだから。このあとつけまつ毛を……」

 声が裏返っていた。本当は興味持ってくれて嬉しかったのに、嫌がるそぶりをしてみせた。言いかけてすぐにさとしは後ろから両肩をギュッと抱きしめた。

「ごめん、少しだけこのままで居させて……。」

目をつぶって感極まったのか、それだけで満足したようだった

「充電完了。朝ごはん作ろうっと。」

 さとしは、そう言うと、鼻歌を歌いながら、さっとその場からいなくなり、台所の方へ行ってしまった。バサっと両脇に巻いていたバスタオルが落ちる。両膝からビタンと腰が抜けて座った。両手の震えと心臓がこれでもかってくらいにドクンドクンとなり続けている。嬉しいのか怖いのか体が落ち着かなかった。

(違う、そうじゃない。大丈夫、あれは叔父さんじゃない。私の中では受け入れて良い人、落ち着け自分。私は平気。私は大丈夫。)

 そう言霊のように言い聞かせた。過去のトラウマが走馬灯のように頭に巡ってくる。大丈夫だったはず、望んでいたはず、それとも寂しくなって気持ちが落ち着かないのか。彼女らしき人が一緒に暮らしてたであろうお風呂の中に女性用シャンプーが見えたからか。さとしは歯ブラシよりもシャンプーも隠すべきだった。良かなぬ想像でマイナス思考になった。涙が止まらなかった。状況を察したのか、洗面所の物音に敏感に反応した。またドアをノックした。

「紗栄、大丈夫? 何回もごめん。朝ごはん、出来たから。一緒食べよう。」

 そっとドアを開けると、紗栄はバスタオルがはだけて、裸のままうずくまっていた。様子がおかしいと慌てて、体を見ないように目を閉じて急いで体にバスタオルをくるくる巻いて、お姫様抱っこで温かいリビングのソファに寝かせた。すぐにモコモコの毛布もかけた。

「…紗栄、紗栄。落ち着いて。俺、見える?」

 目の近くに手を振ってこちらを向かせた。少し過呼吸気味になっていた。

「これでゆっくり息してみて。」

 茶色の紙袋を広げて口にあてた。

「大丈夫、俺はここにいるよ。1人にしないから。今までずっと会えなくてごめんな。実は最近、紗栄のこと紗栄のお母さんから電話で聞いてたんだよ。高校の時、俺のこと避けてたのにはいろいろ理由があったんだな。気づいてあげられなくてごめん。てっきり俺は紗栄に嫌われてしまったのかと思っていたよ。」

 紗栄は正気に戻り、バスタオルが巻いているとかどうでも良くなり、風呂上がりの子どもようにさとしに正面からギュッと泣きながら抱きしめた。

「私はそんなに魅力が無いなの?私じゃダメなの?私はさとしのこと想っているのに体が拒否する…もう普通の人間じゃないのかもしれない。」 

 未だに両手の震えが止まらない。さとしはギュッと両手を握ってあげた。紗栄の右手を自分の左胸に持っていき、心臓の高鳴りを教えたあげた。

「俺もすっごいドキドキしている。紗栄の近くにいるのが嘘みたい。嬉し過ぎてもう死んでもいいくらい。」

 紗栄の額に自分の頭を近付ける。お互いに最高の笑顔を見せ合った。

「紗栄、大好きだよ。心の底から愛してる。」

「私も愛してる。」

 さとしは、声が枯れるほど言いたかった。目の前にどんなに可愛い人、綺麗な人と過ごしていても、心ここに在らずの生活が続いて無理に建前を作ってそれがバレてみんな離れていく。本当に好きな人と本当の気持ちを素直に出せる自分になれることに幸福感を感じていた。紗栄には素を出しなよとアドバイスしていたのに、1番自分が素を出せない生活を送り続けていた。

 さとしは嬉しさのあまりにそのまま紗栄を抱っこしてお風呂場へ連れていく。キャッキャと海で遊ぶカップルのように2人でバスタイムを楽しんだ。会社の人気商品だと説明しながら泡風呂になる入浴剤を湯船の中に投入した。湯船に入り、お互いに泡を掛け合ったり、背中を洗い合った。鼻や頬についた泡をそっと取り除いてあげた。さっきまでの泣き顔が嘘のように笑顔で満ち溢れていた。右手で額から頬をなぞり、顎をクイっと上げて、そっと唇を重ね合わせた。心臓が高々と鳴り響く、抵抗を感じることなく受け入れることができたようで、体の震えは止まっていた。今度は紗栄の方からさとしの下唇にそっと触れてみた。嬉し過ぎて両耳がお猿みたいに赤くなってしまった。鼓動が止められない。2人は熱い抱擁を交わし、何度もキスを交わした。これまでずっとできなかったことが大きな滝が落ちてくるがごとく、熱い熱い愛を確かめ合った。お風呂に入っているのにそれ以上に2人の愛は熱すぎていた。お風呂の中では飽き足らず、お湯で泡を流し終わってからモコモコシーツのベッドにも移動して裸でいることを忘れるくらいにキャッキャと愛を確かめ合った。事が済んでからここにいることが信じられなくてどこかふわふわの雲の上にいるような高揚感を感じた。心と体の想いが通じ合える瞬間ってこんなにも幸せなんだと思った。2人は、天井を見つめ、さとしは話し出した。

「俺ね、実は紗栄のこと、高校の時、花鈴と会う前からずっと気になってた。同じ電車の同じ車両に乗ってたの気づかなかった? 紗栄がメガネして陰のキャラでいる時からもう一目惚れしてたの。あの姿は偽物だっても知ってたし、無理してるって直感で感じてた。」

「嘘、そんなに前から見てたの? ストーカーみたいなことしてたんだね。気づかなかった。」

「ス、ストーカーみたいな嫌がらせしてないよ。あの、キーホルダーが落ちた時は、ラッキーって思ったわけ。クラスメイトだってこと知ってたし、自然な接点持つには遠回しに関わろうって思ってさ。妹の花鈴に近づいたんだよね。あの子は本当に肉食系って少し恐かったけども…」

 紗栄はその時のことを思い出す。自宅に遊び来た時は、積極的に花鈴に手を出してたはずと、どうして私はこんなにも熟成させといたんだと、熟成肉も腐れてまずくなるんだぞ。またイライラしてきた。

「私は熟成肉なんだね。」

「は? 違うよ。凄く丁寧に扱いたかったんだよ。国宝みたいにね。紗栄は脆そうだからさ。怒らないで、ね。美味しく頂きましたから。それはそうと、現実でもお腹空いたからごはん食べよう。温め直すから。」

 ごまかすように、手際良くテキパキとスエットの服に着替えて、朝ごはんの準備に取り掛かる。紗栄は用意してもらった服に着替えた。ついでに洗面所で化粧もしておいた。

「紗栄、できたよ。飲み物は、ブラックコーヒーでいい? 砂糖いらないよね。」

「うん。ありがとう。いただきます。さとしのごはん、初めて食べるの嬉しい。」

 ポーチドエッグとレタスとパプリカのサラダ、厚切りのバタートースト、あったかコーンスープが綺麗に並べられていた。ホテルの朝食のようだった「今、働いてる会社は、雑貨とアパレルなんだよ。だから、その服は、昨年の福袋の中身で時々来るから取っておいたのよ。あれ、紗栄は今どこ住んでるの?」

 ごはんを食べながら話が止まらない2人。

「あ、今友達と2人でアパート借りて住んでるんだけど、連絡するの忘れてた。高校の同級生だよ。恭子、覚えてない? 伊藤美奈子にいじめられた時、隣の席だった子。大学も一緒に同じところだったから大学からずっと一緒に暮らしている。ごめん、電話してくる。」

「へぇ、そうなんだ。うん、電話しといで、心配してるって。」

 コーヒーを飲みながら答えた。ずっと1人だった紗栄のいじめがきっかけで友人が増えてそれからずっとの付き合いがあるんだとホッとしていた。見守ってくれている人がいて、親目線のように感じていた。電話が終わって、戻ってきた。

「電話終わったよ。恭子も、家帰ってなかったって言っていた。実家に帰ってたみたい。もうすぐ、恭子家出るって言ってたからなぁ。結婚するし

……。結婚お祝い何にしようかな。」

 寂しそうにボソッとつぶやきながら、パクッとトーストを食べた。

「え、恭子ちゃん結婚するの?」

「うん。大学時代の彼氏と。」

「そっか。うちの会社で結婚祝いギフトいっぱいあるよ。見に行く? 同じ職場には行きたくないから、ちょっと遠い市外店舗になら連れて行くよ。いつ結婚するって?」

「……今年の6月だって。家を出るのは、来月かな。引っ越しの時にもう渡しておいてもいいかなぁ。」

 さとしは話を聞きながら食器を片付け始めた。トーストを加えながら、話し出す。

「んじゃ今日行こうよ。車出すから。仕事休みで、まだ11時だし。ちょっと待って着替えてくるから。出る準備しててもらえる?」

「今日?今から? まぁ良いけど。」

 クローゼットから取り出したグレーのパーカーに濃いめのブルーデニムを履き、ブラックコーチジャケットを羽織った。髪にワックスを付けてプチプチ生えた髭を剃り、身なりを整えた。

「ねぇ、さとしってそんなに稼ぎいいの?」

「ん?別に普通じゃない?正社員だけど、なんで?」

「この部屋結構広いし、良いもの揃ってるなぁって。」

「満足頂けたようで何よりですね。ほら行ける?しっかり羽織ってね。外は寒いから」

 ソファに置いてあった紗栄のコートを着せた。玄関をドアを開けて、外に出た。レディファーストの対応をとり、こちらですと案内した。ホテルマンのようだった。少し照れながら、紗栄はヒールのあるパンプスの音を鳴らし外に出た。

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