第3話

 地味な女子を貫き通した。


それをはた見たらいじめられてるって思われるかもしれない。


私にはそれが居心地よかった。


学校では一人の時間が長いけど、家に帰れば好きな本に没頭できる。



 隣の部屋では妹たちがイチャついている。


あれから五年の月日が経ち、

私は高校生、妹は中学生になっていた。



「ちょっと花鈴、静かにしてくれないかな?」



 私たちの部屋はパーテーション分けられていて、物音はすぐに聞こえる。


嫌な環境だった。


姉妹は大きくなるにつれて生きづらくなっていくものだ。



「え、ちょっと待って、さとし。お姉が何か言ってるから。」



 花鈴は、部屋を出て、廊下を通り、紗栄の部屋の扉の前で乱れた服を直した。


羽織っていたカーディガンが彼氏のさとしとのじゃれ合いで崩れていた。


深呼吸をして、扉越しに話しかける。



「姉ちゃん、うるさくしてごめん。今、外出るから。ほら、さとし、行くよ!」



(さとしさんでしょうが。年上なのに呼び捨てしてるんだから。)



 花鈴は、謝罪してすぐにさとしと家を出た。


さとしは、黙って花鈴について行く。


紗栄は、自分と同い年のさとしに対して、タメ口で話していることにイラだちを隠せずにいた。


花鈴の彼氏のさとしは、紗栄と同級生でクラスメイト、たまたま下校中のさとしと会った花鈴は、自宅の最寄り駅のホームで花鈴の落とし物を拾ってもらったきっかけで仲良くなった。



後から聞いた紗栄はクラスメイトだと聞いて、少し嫌悪感を抱いていた。


素の自分を間接的に見られることに抵抗をものすごく感じていたのだ。


学校の紗栄は、側から見ても、いわゆる陰キャラクター、陽キャラクターのメンバーとの関わりを中学の時にして、酷い目に会ったことをきっかけに陰キャラクターデビューを高校入学の時に決めた。


思春期の人間と関わるのは懲りたのだ。


家に帰ると、陰キャラクターからギャルの格好に着替える。


学校では、本当にやりたいことを我慢して過ごしている。


学校も家も、読書をするのには変わりないが、活動的には地味に同じことをしている。


容姿だけ違う。


つけまつげをつけて、アイシャドウも濃くつける。


ヘアスタイルはふわふわのパーマのように、そして、足元はモコモコすぎるくらいのルーズソックス。


普段は紺色ソックスで目立たない格好をする。


それが紗英のプライベートの格好だった。


それをクラスメイトのさとしにはバレたくなかった。


だから、声だけで、未だ学校以外では会ったことはない。



そんなさとしのキャラクターは、ギャル男のような騒がしい陽キャラクターとたむろしてるかと思えば、一人ポツンと耳にイヤホンをつけて音楽を聴いたり、アニメ大好きの陰キャラクターの男子生徒達と盛り上がって話してる様子もあるカメレオンのような、一匹狼のような不思議なキャラクターさとしだった。陰でもない、陽でもない。



可もなく不可もなく? どっちつかずの男子だった。


興味がないというのは嘘になる。


でも気になる存在であったのには間違いなかった。


妹の彼氏になると聞いてから、紗栄は胸の奥の方につっかえる何かがあった。


一昔前に記者会見で「別に」って言う女優並に興味なさそうな態度を見せた。ため息が出る。



これも我慢しているってことなのか。


不登校にならず、どうにか対策を練って考えたのが、陰キャラクターを演じること。


それも、まさか出来なくなるとは思っても見なかった。



「ねぇ、ちょっと。あのさ。」



 長く続く坂道に息が上がる。


紗栄と花鈴の自宅は小高いところに建っていた。


さとしはさきを急ぐ花鈴の腕をつかんだ。


「え! 何?」


 坂道を走って進んで、息が上がる。


花鈴は肩で息をしながら、汗と涙を出していた。



「なに、泣いているの?」


「泣いてないって、さとしは、目が見えてないんじゃない?」



 笑いながら花鈴は、答える。



「だから、とまってよ!」


 歩きながら、話す花鈴を両肩に手をおさえてとめた。


深呼吸する花鈴。



「……もう、お姉ちゃんなんていなければいいのに! 静かにしてってうるさいし!」



 パシンとさとしは花鈴の頬を軽くたたく。


「落ち着けって。まずさ、仕方ないじゃん。同じ一つの部屋に二人で過ごすんだから。たった一人の姉貴をそんなふうに言うなよ。」



「は? さとしも味方してくれないんだ! せっかく二人っきりになれたと思ったのにさ。」



「そうは言ってないよ! 俺だって二人きりになりたいって思うし。それと姉貴は関係ないだろ? 別な場所行けばいい話だって。とりあえず、近くの公園行こう。ほら、ベンチ座ろう。」



 閑静な住宅をすぎると大きな公園があった。


電灯が光り始めている。


さとしは、花鈴をベンチに座らせて、自動販売機で飲み物を買った。


滅多に売っていない冬限定のコンソメオニオンスープを二本買って、開けてあげた。


「ほら、滅多に売ってないの、飲んでみな。うまいから。」



 少し気持ちが落ち着いたのか、花鈴はぐすんと泣きながらスープを飲んだ。


缶で飲むスープは珍しいもので特別に感じて美味しかった。


さとしもパシンと缶を開けてごくごくのみ始めた。


「えー珍しいものなのに、そんなに早く飲むの? もったいないよ!」



 花鈴は笑った。


さとしは吹きそうになる。


「いや、マジで俺はこれが好きなんだよ。うまいから。飲みたくて飲んだのよ!」



「ふーん。大事に飲めばいいのに。」


「……落ち着いた?」



 花鈴は静かに頷いた。

 さとしは続ける。



「俺さ、兄弟いたんだけど、死んだのよ。昔、用水路で遊んでたら弟が溺れちゃって…その時、誰も大人がいなくて頑張って助けようと思ったんだけど無理で、俺も溺れそうになって、通りかかった知らないおっちゃんが助けてくれて…」



 神妙な面持ちで話し始めたさとしは、何気なく、花鈴の左手を両手で握った。



「弟のかずやって言うんだけど、おっちゃん頑張って助けてくれたんだけど手遅れだったんんだ。辛かった。目の前で弟が死んだから。学校も行く気がしなくてさ。しばらく、不登校になってて、同級生に来いよって言われて行けるようになったんだけどさ。あの時の辛さは無いなぁって思うわけで、何が言いたいかって言うと、兄弟とか家族とか、ケンカしてしまうかもしれないけど、『いなくなってほしい』って言葉だけは俺には受け入れられないんだ。ごめん。そして、こんな重い話を花鈴に聞かせてしまって、申し訳ないんだけど…うわ、やっぱり泣くのね。困るよ、それ。おれ、どう対応したらいいかッ」



 言葉を言いかけた瞬間に花鈴はさとしの体をぎゅっと抱きしめた。


飲んでいた飲み物がカラカラ音を立ててベンチの下まで転がった。



「ごめんね、さとし。もう言わないから。気をつけるから! 泣いて良いんだよ!。」



「いや、どっちが?!」



 ダラダラ泣きながら花鈴はさとしをぎゅーと抱きしめる。


焦るさとし。


「俺、今、もう泣いてないし。大丈夫だって。」


 無理矢理腕で突き放すさとし。



「花鈴、何回も言うけどさ、姉貴は大事にしよう。俺は大丈夫だから。弟の話したけど、うち、三人兄弟で俺が長男で、もう一人三番目の弟いてさ、すごい元気なんだよ。だから、家族はいるし、平気だよ。心配しないで。」



 さとしは、花鈴に微笑みかけた。


なだめるのに必死だった。


花鈴を慰めていたのに反対の立場になってしまった。



「さとし、大変だったんだね。私、気をつけるね。イライラしちゃうのは、さとしの前だからできるんだけどさ。素が出ちゃったな。ごめんね。」



「うん。わかった。いいよ。大丈夫。」



 さとしは、花鈴の頭をヨシヨシと撫でた。


もう、さとしの中では彼女と言うより年下ということもあり、妹のような存在だなという気持ちになってきた。


慰めたりすることも多くなるのは自分の方。


本当は、自分だって、安らぐ場所が欲しい。


落ち着く場所が欲しいと感じていた。



「花鈴! 花鈴!」



 遠くで花鈴の名前を呼ぶ声が聞こえた。


厚化粧をした紗栄だった。


さとしには、さとしがクラスメイトということは黙っていた花鈴。


知っているのは、紗栄だけ。


花鈴の姉が近づいてきて、さとしは慌てた。



「あ、お姉さん。さっきはすいません。うるさくしてしまって…。」


「……。」


 複雑な思いの紗栄。


本当は自分のことをたくさん話したい。


クラスメイトであることを明かしたい。


でも、言ったら妹たちの関係を壊す。


我慢して平静を装った。



「あ、いえ。大丈夫です。寒いのに外に出てもらって逆に申し訳ないです。ありがとう。花鈴、お母さん呼んでるよ。」



 つけたてのつけまつ毛がずれ落ちそうだった。


目をこする。


花鈴は、少し不機嫌そうに



「わかった。ごめんね、さとし、明日学校帰りに、駅のホームで待ってるから会おうね。あと連絡してね。」



 手を握って話した。


まだ別れたくなさそうな様子だった。


さとしは手を撫でた。



「うん。んじゃまた明日。あとでラインする。」



 さとしは、煌びやかな街に向かって走り去った。


花鈴と紗栄は、少し離れて静かに家に帰った。坂道が重くのしかかる。


公園から家までが遠く感じる。



「お姉ちゃん、また、他校の制服着てるの?」



「だって、素性がバレたくないもん。私のことクラスメイトって伝えてないんでしょ?」



 紗栄はいとこの姉から譲り受けた私立高校制服に着替えていた。


ほぼコスプレに近い。


卒業したいとこの姉のるかに制服もう着ないから着てみる?ってすすめてられてからもう学校終わりに着ている。


自分自身を変えられる気がした。


違う学校の制服で変えたかった。


本当は陰キャラクターじゃないこと誰かに伝えたかった。


でも同じ学校の生徒には知られたくない。


演じたかった。


自分じゃない自分で過ごす。


それで平静を保ちたかった。



「言ってないよ。私はそんな面倒なことしたくない。よくできるよね。変な人って友達できないじゃん。」



「余計なお世話。私は友達作りたくないの。」



 そう言っておけば納得するだろう。


イライラを抑えられるだろうと自己満足だ。


本当は友達欲しい。


本音は欲しい。


でも妹に負けたくない。


でもいるかいないかで勝負したくない。私のあり方で勝負したい。


私は思春期という名の争いに関わりたくないだけだ。


これを過ぎれば、大人の世界になる。


それの世界になるのを私は待っている。


だから、こうやってやり過ごしている。


高校の三年は、友達はいらない。


でもギャルにはなりたい。


家では、学校でできないことしている。


変わり者って言われたって構わない。


生きたいから、やりたいことをしてるから、他人に左右されることではない。



「花鈴、何してたの? もう、ご飯できてるのに」



「さとしくんと公園デート!」



「え? 何。いつの間に彼氏? なんでお母さんに教えてくれなかったの? 紗栄は知ってた?」


「うん、少し。」



「えーーー、私だけ知らない? お父さんには?」



「言うわけないじゃん。ほら、ごはん食べようよ、お母さん。」



 出来上がったカレーライスを取り分けていく。


紗栄はスプーンとはしを並べた。


母は、飲み物を準備する。


食卓にカレーとサラダが並んだ。



「はい。んじゃ、いただきます。」



 みんなで手を合わせて食べ始めた。


父のいない食卓。


今日は遅番で帰りが二十時。


一緒に食べられるのは時々。


朝も早かったり遅かったりで、まともに会話できるのは一週間に一回程度。


休みの日に学校まで車で送迎する時くらいしか会話してない。


普段は駅まで母に送られている。


父ってこんなに話さない人だったかな。いや、職種が変わってから。


ずっと勤めていた会社が倒産してやめざる得なくなった。


転職して、今の会社、介護の経営者になった。経営者でも現場で働かなくてはならなくなった。


人手不足で次々入れ替わる。


雇ったと思ったらすぐやめていくらしい。


その現場サポートで結構大変そうだった。


夜勤を月に十回行くこともあって、父はほとんど夜にいることが少なかった。父と会う回数が少ない。


一緒に生活してるのに歯ブラシと髭剃りがあって、いるのかなって感覚しかない。会えてないけど、今朝もベッドで寝てる姿。


夜勤だからと寝てなくちゃいけないって話もできない。唯一、共有してるもの。


テレビでやっているマスコットキャラクター。


仕事バックに同じのつける。


ふわふわの猫のキーホルダー。


私は学校行く時のバックにつけてる。


一緒のもの。


会話してないけど、同じキーホルダー。ちょっと嬉しい。



「そういや、紗栄、もうすぐ三者面談じゃない? お母さんでいい?」



「えー。別に良いけど。」


「そんな言い方ないじゃない。お願いしますでしょ? お母さん、パート休んで行くんだから。」


「また始まった。恩着せ! うるさい!」


 紗栄は学校で我慢してる分、母親に対してはかなりの口ぶり。


本音ダダ漏れ。


発散場所は母親。


母も負けない。


疲れてる時は黙っているが、

譲らず、言い返す。


「んじゃ、明日。歩って学校行きな。ガソリン減らしたくないから!」


「すいませんでした! お願いします!」


「それ、謝ってないし! 絶対いやだ。行かないよ。パートも稼がない。お金なくなるね。学校も行けないね。ご飯も食べられない貧乏になるね。悲しいね。」


 泣きながら話す母。

どちらがか子供かわからなくなる。


「わかりましたー。大変申し訳ありませんでした。口が悪うございました。お仕事休んでいただいてありがとうございます。三者面談よろしくお願いします。」


「最初からそういえばいいじゃない。はい。よく言えました。お母さん、お仕事頑張ります! 二人のために私のために家族のために、えいえいおー。」


 そんな絡みが我が家では繰り広げられる。これは相当体力がいる。


何も言われたくなければ、言わなくていい。黙っていればいい。


それでも絡みたいのは家族だから。


会話したいから、喧嘩してでも、言いたいことを言う。


それが母が作った我が家の空気。



少し疲れるけど、それで良いのかもしれないって感じている。




翌日。


「おはよう。」

 


 パジャマ姿の妹が二階の部屋からおりてきた。


 私は、もう身支度を終えて、朝ごはんを食べていた。テーブルに物を置いた。


「花鈴、これ、落ちてたよ。

 大事なものでしょ。」


「え? これ、私のじゃないよ? 

 姉ちゃんのでしょ?」

 

拾ったのは、お父さんと共有しているキーホルダーの猫ちゃん。色違いのピンク。


茶色の猫の一つ持っていたからてっきり妹のものかと思っていた。


「お父さんが言っていたじゃん。それ、あまりにも気に入ってたから、もう一つ予備に買ってたんだって。でもね、それ、この間、可愛かったから借りたんだ。バックにつけてたんだけど、駅のホームで、さとしに拾ってもらってさ。それから付き合うようになったの! ありがとうね、お姉ちゃん。キューピッドのキーホルダーなんだ。」


「……へぇ、そうなんだ。」


 少しどころか史上最強にイライラした。

嫉妬ってこういう時に起きるんだ。

顔が赤くなるのを感じた。


私だって、ずっとこのキーホルダー、バックにつけてるし、落ちたことないし、なんで大事な私のキーホルダー落として、彼氏作ってるんだ。しかもクラスメイトってどういうこと。


「あ、お母さん。今日、朝ごはんいらないよ! もう、時間ないから。」


 花鈴は慌てて、制服に着替えた。


 夜のうちに三つ編みにしてたのを

 ほどいた。


 ちょうどよくパーマがかかったようにふわふわに可愛い髪型になった。


 花鈴は女子力が高い。

 化粧しなくてもそのままで十分可愛い。

 

 いわゆる白雪姫のように白い肌でぱっちりな猫のような目。


 顔のパーツがパーフェクトだった。

 まだ中学生なのに、高校生のような風貌だった。私立中学に通うため、電車通学だ。



「ほら。んじゃ、二人とも、

 駅まで送るからすぐ車乗って。」


「はーい。」


 紗栄も花鈴も、母の運転する車に乗った。車で片道七分程度の距離。自転車で行けなくもないが、世の中、物騒で最近、高校生が不審者に襲われたっていう話を聞く。母の車や父の運転する車に乗ることが多くなった。危険回避だった。



「いってきます。」



 二人揃って言う。車からおりてすぐに他人のように装う。紗栄は少しでも花鈴と姉妹であることを隠したい。



「いってらっしゃい。」


 母はそんなことを知らずに毎日過ごしている。言ったことがないから。姉妹が喧嘩しているとか言うと騒がしくなる。親の心は子供にとっては煩わしいこともあるのだ。行く道も反対方向。乗る路線も時間も全然違う。いつもと違うルーティンが訪れた。駅に着くとすぐに階段を登った。登った先の券売機あたりで後ろから声をかけられた。



「あ、あの。毛糸、ほつれてますよ。」


 それは、さとしだった。他人のように接してる。あれ、クラスメイト、昨日とは違う、ギャルじゃない。陰の三つ編みのメガネの話しかけづらい私のはず、なんで声かけるのよ。よく見ると、手編みのマフラーの毛糸が下の方にどんどんほつれていた。このままにしてたら、マフラーが毛糸になるところだった。



「あ、あ、あ。」



 触れば触るほど、マフラーが毛糸になっていく。玉結びがうまくできてなかったようだ。



「だ、大丈夫ですか?」



 すると、さとしは駅の中のコンビニにかけつけた。目の前からいなくなった。あたふた、マフラーをどうにか処理しようとしていたら、紺色の既製品のマフラーが目の前にあった。


「これ、今、セールしてみたいだから、

 よかったらつけて。」



 おつとめ品と書かれた値札で1000円が

300円となっていた。手編みマフラーより短めだったけども、ボロボロになった手編みマフラーより良いかもしれない。さとしは持っていた紙袋に手際よくボロボロマフラーを入れてくれた。


「ほら、さっき買った時もらった紙袋使えるよ。帰ったら、直せるから。頑張って。」


 ピロロロロロー


 電車の来ました合図の音が鳴り響く。さとしは焦った。


「うわ、遅刻する。早くしないと、ほら、きみも遅刻するでしょ! 行くよ!」


 さとしは慌てて、紗栄の手をひっぱって、駅のホームまでかけだした。


「え?え、え?」


 紗栄は、突然のことで何とも言えなかった。流れにそうように、ついていく。結局のところ、同じ学校で、同じクラスだから行くところは一緒。否定するつもりもなく、まぁいいかの気持ちでいた。胸の高鳴りはとめることはできなさそうだった。


 ピーピーピー


『ドア閉まります。ご注意ください。』


 電車のドアが閉まるアナウンスが聞こえた。さとしと紗栄は手をつなぎながら、電車の中のドアの前で息切れしていた。座席はほぼ埋まっていた。そして今いる場所もかなりギリギリの満員電車。動くのもやっと。走ってきたからか、落ち着いて息ができない。


「あ、ごめん。この電車で合ってたかな? てか、手繋いでた、ごめん。」


「……うん。大丈夫。」


 この状況で何が大丈夫なんだか自問自答した。全然大丈夫ではなかった。走ってきたから、息はハアハァしているし、心臓はバクバク止まらないし、電車の中は暖房で暑いし、ギリギリだから座席に座れてないしとか思っていたら、カーブに差し掛かったのか、車内が揺れて、私たちは、ドア付近にまでおされた。ギューギュー詰めだった。


「あのさ、きみ、雪村さんでしょ? 雪村紗栄。同じクラスの。違う?」


(バレてる! なんで、地味に過ごしてきたのに、これはまずい。さとしと一緒にいるのバレたらクラスの陽メンバーに目をつけられる。どうしよう。)


 いや、ここは、しらを切ろうか。


「あ、いえ。違いますけど。」


「嘘だよ。ほら、ここに思いっきり名前書いているじゃん。」


 ガーン!


 なんと、いつも書かない名前をなんとまぁ、あのキーホルダーに漢字で名前入り。フルネーム。お父さんをこの時ばかりは恨んでやろうかと思った。小さく書いてたのに、なんでよりによってクルって名前見える方になっている。慌てて隠した。


「あ、これ。私のではありません。」


「ブハッ。雪村さんって面白いね。

 前から見てたけど。」

 

(前から見てた? クラスメイトって知っているの。こんな地味な私の何が面白いんだろう。と言うか、嘘つけなかった! もう、完全にバレてる。)



 電車のアナウンスが聞こえた。学校の最寄り駅に着いていた。


「すいません、出ます。おります!」


「ほら、雪村さん。こっちだよ!」


 さとしはまた紗栄の手をひっぱり、出口によせた。どうにか混雑の中を抜けられた。いつもなら、そう毛糸がほつれなければ、こうはならなかった。いつも、座席に座って存在を隠すようにやり過ごしたのにこのありさま。神様、どうにか、この高校生活を平和に

過ごさせてください。


「あ、ありがとう。」


「どういたしまして。

 ほら、遅刻するから学校行こう。」

 

 さとしは、昨日とは違う雰囲気に見えた。花鈴が言っていた。さとしはカメレオンだと。人によって態度を変える演技しているって。悪く言えば、コウモリ。あっちの意見も聞いてこっちの意見も聞いて、本音を隠す。そんな人だ。学校の様子を見ていてもわかる。陽キャと陰キャとどちらでも付き合いができる天才に見えるけど、闇は深そう。


「ごめんなさい。ここまででいいよ。」


「え? 同じクラスなのに?」


「私、遠回りしていくから。用事あるし。」


「あ、うん。んじゃまた学校で。」


 学校で一回も話したことないのに、またねって意味がわからない。結局、いつもの毎日に戻るんだ。落ち着こう。冷静に、静かに過ごそう。


まあ、人生上手いように行かないってことは誰にでもあるってことで、

予期せぬことの連続。

学校まで歩くこと15分。

心臓を落ち着かせることで必死だった。



「さとしー! お前、ギリギリだな!」


 さとしの友人の和敏(かずとし)が肩を組みながら、言う。学校の昇降口前で声をかけられて、そのまま、下駄箱へ向かう。

この和敏も同じクラスだった。


「いや、普通だろ。」


「また女の子はべらかしてんのか?」


「何もしてないって。俺、付き合ってる彼女

なんていないし。」


「え?マジで? この間、駅で可愛い子と一緒に帰ってたジャン? あれ、彼女じゃねえの?やけに親密だって噂だけど。」


 さとしは変な顔をした。


「あれは、友達! 落とし物拾ったら、ライン交換しようってなってそれで会ってるだけ。彼女ではない!」


「ほへぇー…境界線があるのね。俺は女の子に声さえもかからないよ!」


「お前は筋肉バカでアナログだからだろ? いい加減、ラインのやり方覚えろよ。」


 和敏は折りたたみケータイをポケットから出して見せびらかした。


「俺は、電話出来てればそれで十分。ネットに振り回されたくないんだよ!」


 教室の中へ入ろうとした時、後ろの方で担任の先生がこちらを睨みつけている。


「ほら、和敏。やばいって没収されるぞ。」


「木村。何してるんだ?」


「いや、その、ケータイの電池確認を。」


ボタンを押す真似をしてみた。


「あのさ、木村。大越の言うとおり、そろそ

ろお前もスマホにしてくれよ。連絡事項のメールさえも送れないじゃないか。ラインができなくてもせめて、メールは受信してくれよ。おかげで俺のポケットマネーでわざわざ紙に印刷して連絡をお前の家に届けなきゃならないんだぞ? まー、学校から徒歩5分だけどな。」


 担任の五十嵐先生は、その怒りが止まらなかったようだ。今はIT社会。プリント一つもスマホへメール送信。それができなければ、紙を直接お届けとなる。木村家にはアナログ連絡だ。


「俺んち、貧乏だから、買えないの!厳しいの!」


「どこが、貧乏だよ。庭もプールも学校の隣にあるじゃないか! ご両親にも言っておくれよ。」


「いや、先生。家は立派かもしれないけど、我が家では無駄な出費はしない主義だからどうしても却下されるわけよ、わかる?悲しい我が家です。」


「なるほど。お金の掛け方が違うと言うことか。令和世代の君たちは大変な生活なんだね。おじさん、わからない。贅沢な暮らしをしてるはずなのに…とまあ、茶番はおいておいて、はい、朝のホームルーム無しで抜き打ちテストするぞー。勉強してるやつはラッキーだぞ。」


 クラスメイトは全員わーわーさけんでいる。


「誰がしてるか?! おととい文化祭終わったばかりなんだぞー! 疲れてるって、五十嵐先生!」


「いいから、いいから。席座れ!」


そんな中、いつの間にか教室に入っていた紗栄は静かに授業の準備をしていた。さとしは、先生とともにどさくさまぎれで教室に入ると、喋らずに右手をあげて手を振った。(よっ!)ともちろん相手は紗栄の方。紗栄は慌てて知らん顔した。さとしから貰ったマフラーはしっかりと机の脇にかけられている。


それを見落とさなかった、陽キャラクターの女子、伊藤美奈子は、紗栄を静かに睨みつけた。授業中も休憩中も構わず、おしゃべりする騒がしい子だった。大越さとしはクラスの目立つ存在だった。今まで誰とも会話ひとつしなかった雪村紗栄が人気者の大越さとしと話している。みんなが気になる仕草だった。


 紗栄の心の中は、何とも言えない様子だった。殺気立つ視線を後頭部に感じる。

これはもう、今までと様子が違う。


もう、この陰キャラクターでは過ごせない

予感さえ感じた。

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