第4話
悪夢の時間。
私にとって、学生生活が雲泥の差を生むくらい最悪な事態になるとは夢にも思わなかった。
こうなることを予期していたから陰キャラクターを貫き通したかったのに、
人生うまくいかないことの方が多いと両親に言われていた。ならば、どうするか。
回避する術を身につける。
藤井君の将棋のように、先手を読む。
起きたものには立ち向かわないと進めないこともある。
登校して、学校の長い廊下を音楽を聴きながら教室に向かっていた。いつも通りに平静を装う。大丈夫、きっと。私の自分軸をしっかりしておけば何とかなる。
「よっ! 紗栄さん! 元気?」
最初のトラップ。大越さとし。気軽に話しかけるようになった。これからの事件の元凶って言っても過言ではない。もちろん、スルー。ラインの既読スルーと同じ。でも、表情は笑顔で交わす。平然と私は教室に入り、いつもの席につく。はい、お決まりのコースきました。机に悪口書きまくる幼稚な行動。
【死ね、バカ。あほ、あんただれ?】
と書かれていた。
(ほら、来た。何もしてない。ただ、大越さとしに手を振られただけ。ちくしょーこれ、油性ペンだし。あ。そういや、昔やってた裏技のテレビで消しゴムで消せるって言ってたな。)
紗栄はこんなこともあろうかと、大きな大きなふざけたような消しゴムをバックから取り出して、思いっきり消してやった。
これ、油性ペンでよかったかもって安堵した。ホームルーム中もせっせと時間掛かったが、消すことができた。幼稚園児や小学生のようないじめをする人がこの中にいるなんて、程度の高い高校に入ったと思ったのに全然人間性のないやつばかりだったのかとイライラしてきた。
「おはようさーん。ほら、授業始めるぞー。ごめんな。今日、先生遅刻しました。ホームルームしない代わりに、お詫びに小テスト始めます。教科書とか全部しまって配るよー。」
「嘘ー、まじでー。先生、最近テスト多すぎだから。やめてくれよ。」
騒がしい男子たちがギャーギャー言い始めた。私にとっては先生の遅刻はラッキーだった。悪口を消す時間にかなり費やせた。テストなんて平気だった。周りのみんなは、私の行動を見てみぬふりしてた。助けたら被害者になるのわかっていた。それも計算していた紗栄。世の中、甘くない。知っている。今まで1人で過ごしてきたのも、仲間が仲間じゃなくなるのは見たくないから、あえて作らない。成績は、家で全く勉強しなくても、学年1位の雪村紗栄。テストなんて得意で、どんな問題も答えられる。定期テストも満点に近い。何のために学校に来ているかなんて、友達作りじゃない。単位をとにかく取りたいから。人間関係なんていつだって変わる。今の関係はいらない。大人になってからたくさん関わっていくんだと思っていた。でも、そんなことは言ってられない状況になりつつあるのが納得できない。
そして、昼休みになる。
(さて、次はどんな攻撃しかけるかな。)
紗栄は予測をある程度立てていた。昔、流行った学園ドラマのいじめやあの手この手を予習してきた。家で勉強しない紗栄は今回ばかりは勉強してきた。いじめの対処法。とりあえず、いつも通りにぼっち飯を食べにトイレに行く。クラスに近いトイレじゃなく、本がたくさんある図書室の隣にあるトイレに駆け込んだ。ここが、紗栄のいつもの休憩場所。すごく落ち着く。トイレの棚に大好きな本を置いて、耳にはイヤホンで好きな曲を聴き、母が作ったおにぎりを頬張る。いつものルーティンが一気に崩れる瞬間だった。見上げたとたん、目の前に冷たい何かが落ちてきた。水?
「1人で食べてるの誰だ! キャハハ」
どこから持ってきたのか蛇口にホースをつけて、余計なおっせかいをしてくる女子が3人。足音でわかった。あと笑い声。
ジャーーーー
ホースで大量に水が飛んでくる。こんなこともあろうかと、バケツを用意していた。真上にあげて頭にかからないように防いだ。黙って耐えた。この後、どうするか。朝のシャンプーしてなかったからちょうどよかった。気持ち良いもんだ。そういや、家のシャワー出が悪かったなぁと変なことを考えながらトイレの外が静かになった。水がずっと出てた。誰もいなくなったらしい。学校の水、もったいないなぁ。とりあえず、誰かが気づくまでこうしておこうかと紗栄は冷静になって待ってみた。
「おい、誰だよ。このホース! なにやってんだ?」
聞き覚えのある声だった。何か助けてくれるのだろうかとそれでも静かに待ってみる。ただ濡れているだけだから平気だった。元水泳部なめるなよ。水が止まった。とりあえず、バケツは持たずに済むようだ。ドアを開けてみる。
「大丈夫か!」
「は? なんで男子が来てるんのよ。ここは女子トイレよ! 恥ずかしい。」
「今、それかよ。そういうことじゃないだろ!! 紗栄、落ち着いて状況見てみろよ。」
大越さとしがまた来てた。また、余計なことを、私は頼んでない。この戦いの原因はあんたなんだ。身体全体を見たら、かなりの時間浴びていたのか制服がびしょ濡れだった。ワイシャツが透ける。羞恥心を感じた。
「ちょっと、見ないでよ!」
さとしの頬を叩いた。
「いや、それどころじゃないだろ! とりあえず、保健室行こう。」
「やだ! 絶対やだ。やだやだ。あたしは負けてない」
両手で暴れ出した。もう、水で濡れまくってキャラどころじゃなくなった。
「駄々っ子のこどもかよ。んじゃ、どうするんだよ。てか、キャラ崩れまくりじゃないか。」
「まぁいいから。ちょっと、あれ見て。」
紗栄は、こんなこともあろうかと、予習していた。小型カメラをトイレの上の角に取り付けていた。カメラだと見えないように細工していた。
※良い子は真似しないでね。
盗撮で捕まるよ。
「いつの間に仕掛けたんだよ。ダメじゃないの?女子トイレって。」
「女子だから、いいの。まず、これ見よう。ちょっと待って、誰か来る。どこか無い?」
さっきの水掛けた女子生徒なのか、戻ってくる足音が聞こえた。さとしと紗栄は慌てて、近くにあった図書館横の生徒会室に入って行った。さとしは生徒会に入っていた。今日は昼休みの活動が無いようだった。
「ちょっと、お願いがあるんだけど、このままじゃ風邪引くから、教室から着替え持ってきてくれない? 私を濡らした犯人捕まえるから。」
「え? 俺が? ていうか、めっちゃ喋るね。ちょっと待ってメガネいいの? 外して。」
「は? これ、伊達メガネだし。もう、本気出すわ。」
紗栄は、もうさとしは家族同然なのか、素を出しまくった。つけていたメガネをテーブルに置いていた。紗栄は、濡れたブレザーを脱ぎ始めた。さとしは、見てすぐに顔を赤くし、後ろを振り返った。ワイシャツから透けたブラジャーが見えていた。
「あ、今すぐに、着替え持ってきます。待っててください。」
後ろむきカニ歩きで生徒会室の外に出たさとし。急いで教室に戻った。教室では、騒がしい女子たちが盛り上がっている。聞き耳を立てて、ゆっくりと紗栄の着替え袋を取りにいった。
「ねえ、みた? あいつの声、全然話さないよね。口、無いのかな。トイレでごはん食べるってマジありえないよね。ぼっち飯じゃん。かわいそう。」
「まぁまぁ。1人で食べたい時もあるんじゃない?」
「え? あいつの肩もつの?」
「そういうわけじゃないけど、トイレでは食べないよね。」
伊藤美奈子の取り巻きもフォローするので忙しくしているようだ。典型的なお姫様対応しないと満足しないお方。それはクラスの全員知っていることだった。
さとしはそうっと見えないように教室から出ようとした。
「あれ、さとしくん。どこ行くの?」
美奈子は静かに教室から出ようとするさとしを見つけた。
「え? 別に。」
持っていた袋を後ろに隠した。
「あ、そうだ。さとしくん、ライン交換しよ
うよ。冬休みにみんなでカラオケ行こうって言ってたからグループライン入って欲しいって思ってて…学級委員の勤めです。」
敬礼をして、可愛く対応したつもりの美奈
子だったが、それどころではないさとし。
「あ、ごめん。今、部室にスマホ置いてて、取ってくるから。おい和敏! 代わりにラインID聞いてて、親から電話するって言われてたのよ、今日三者面談で。ごめん、んじゃあとで。」
廊下から教室へ声をかけたさとしは、和敏に任せた。
「え? 俺? だから俺はパカパカケータイしか持ってないって。なぁ?」
走り去ったさとし。そんなに急ぐことがあるのかと信じられない美奈子だった。
「私は、あなたと話したくない。これ、あとで、さとしくんに渡しといて。」
ラインIDを書いたメモを美奈子は和敏に渡した。その言葉で和敏はショックを隠せない。
(俺と話したく無いってどういうこと?)
隣になったクラスメイトの男子に肩をぽんと叩かれ、慰められた。和敏は泣いた。頭をヨシヨシと撫でられている。
「あいつは、モテるから、仕方ない。諦めよう。」
「わかっているけど、この言われ方は無いだろう。」
「ま、確かにな。あの女も気をつけな。中学の時、結構やばかったらしいぜ。噂だけどな。」
「……え? 伊藤美奈子のこと?」
「あぁ。」
「ほへぇ。大変だな、さとし。」
遠い目を見ていた。
一方その頃。
「はい、着替え。持ってきたぞ。」
さとしは、慌てて、差し出した。紗栄は生徒会室にあったタオルを借りて拭いていた。そして、影にあったポテチを食べながら、録画したビデオを見てた。スマホにメモリーカードを入れて見て確認していたため、小さい画面だった。
「ちょ、生徒会のポテチを食べるなよ!」
「いいじゃん、被害者だもん。はい、どうも。あのさ、これ、見たんだけど、美奈子映ってないのよ。あの子の取り巻きばっか。ボスは来ないってことか。」
バリバリ食べながら、ビデオを見る。何回見てもボスらしき美奈子は映ってない。
「おいおいおい。キャラ守ろうよ。なんで、もう喋る? 陰キャラだろ? 紗栄は。俺との関係、そんなに深いっけ?」
紗栄は、持ってきてもらった着替え袋を漁って着替え始めた。中身は、家でコスプレしてた制服。いとこから譲り受けたものだった。他校の制服。
「ちょっとあっち見てて。」
「はいはい。」
(俺の話はスルーなのね。)
もちろん、これを着たら、もこもこルーズソックス。紗栄は決めていた。完全なるいじめにあったら、すぐに陰キャラをやめようと。持参したつけまつげと厚化粧。ギャルそのものだった。
「さてと、先生に許可もらわないとね。一緒に同行してくれる? 次期生徒会長?」
「は? 俺、生徒会入ってるけど、書記だよ。次期生徒会長でもなんでもないぞ。そもそも、なにその格好。」
「いいの。肩書きあれば、なんでも。職員室つきあってよ。ああ?あーーーーーー、嘘、私やってしまってる?」
紗栄はガツガツとさとしに言ったが、今頃、自分のしていることに気づいた。もう、トイレで濡れまくって本性のスイッチが入ったようだ。
「あ、ごめん。さとしくん。忘れて。何でもない。見なかったことによろしく。」
メガネをかけて、また陰キャラを作ろうとしたが、学校の階段の鏡を見て、ふと静かになった。これが本当の私。ギャルのような格好をして、高校に通いたいと昔から決めていたのに地味な格好。メガネをして、そばかす化粧して、私じゃない自分をずっと演じてた。本当はこのルーズソックス、憧れてた。化粧だってこれが学校でしたかった。やっとできた。涙が止まらなかった。でも、半分、メガネをしている。
「ちょっと、紗栄…大丈夫か? やっぱトイレの水かぶりはきついよな。北乃きいかよって思うわ。」
理由は違うものだけど、少し嬉しかった。さとしは紗栄の頭を撫でた。
「へへ、水もしたたる良い女ですから。ハハハ。」
「顔が笑ってないよ。こわい。」
ふと、ゆっくりとした時間が流れた。でも、時間はなかった。
学校のチャイムが鳴り響いていた。
「うわ、やばい。昼休み終わる。五十嵐はいつも自動販売機のベンチで昼寝しているから行ったらいい。俺はバレたらマズいんだろ? 教室戻ってる。」
「わかった。ありがとう。事情説明してくる。」
穏やかな昼下がり、自動販売機の横で担任の五十嵐が雑誌を顔にかけて寝ていた。そっと起こそうとした。
「……ん? るか?」
「え?? 先生、いとこのるか姉知っているの?」
その声を聞いて飛び起きた先生。驚いて、目を見開いた。
「なんだ。雪村か。ってなんでお前、他校の制服着ているんだよ。校則違反でしょ。」
「ちょっと、質問の答えになってない。るかってだれ?」
「いやいや、気にするな。寝言だ。雪村、もしかして、制服濡れたの? 朝、着てたよな? ん?化粧とメガネどうした? てか、本当に雪村?」
五十嵐先生は、紗栄の上靴がびしょ濡れに気づく。全部着替えたかと思ったら、上靴はわすれていたようだ。華麗なる変貌に驚いている。
「その、状況を説明したいから、この映像見てください。」
スマホに取り込んだ映像を先生に見せた。決定的な証拠を見て、信じられなかった先生は、校長に報告に行った。ちょうど、三者面談も兼ねていたので、いじめの犯人を三人連れて、保護者を含めて証拠をみせつけた。メディアには口外しないことを約束し、処分が軽くなったそうだ。いじめに参加した三人は一週間の停学。私は、制服をクリーニングに出して仕上がるまで、休学らしい。体調を心配してくれた校長の配慮だった。別に代わりのものあるのにと思いながら、なんで、処分が軽くなるのか分からなかった。でも、クリーニングは翌日仕上がったのですぐに登校した。張本人にタイマンはるまで、納得できなかった。あいつはきっと平然と学校に来ているはず。
私は、もう、陰キャラで行くのはやめた。化粧はするし、メガネはつけない。もちろん、足元はルーズソックス。でも友達はいらない。余計な感情は、心を痛めることの方が多いから。勉学に励む。ただ、それだけ。
「紗栄ちゃん。大丈夫?」
隣の席の私と同じような陰キャラの恭子が話しかけてくれた。
「うん。大丈夫。気にしないで。」
『私と関わるとあんたもいじめられるからやめた方いいよ。』
小声でアドバイスした。恭子は、黙って頷いた。後ろで小さなガッツポーズをするさとしがいた。そして、斜め後ろからは殺気立つ気配。視線が痛い。美奈子がにらみつけてくる。また、毎日のように授業が始まる。平和になるのか、戦いはまだまだあった。今朝はありがたいことに、花瓶に喪中花を添えてあったし、まだ私は死んでない。勘違いの人がいるらしい。でも、花に罪はない。白い菊の花。お水を追加してあげて、後ろの棚に黙って置いた。置く場所を間違っただけだと言い聞かせた。菊の花言葉は、真実、誠実な心、慕う。良い言葉だ。こうやってみると死者も心和むってことだから、生きている人も心和むな。全然辛くない。逆に感謝したい。花は心にパワーをくれる。幼稚な方にはわからないことなんだろう。菊の花の匂いを嗅いでいると、犯人のお出ましだ。
ガチャン!
花瓶がわれた。高そうだった。私はロッカーからほうきとちりとりを黙ってとった。
「なんでよ! なんで、泣かないのよ。葬式だよ。死んだ人への花瓶よ。どうして、優雅に匂いなんて嗅いでるのよ!信じられな
い。」
発狂している。
よっぽど悔しかったらしい。
「この花、いくらしたの?」
ちりとりに花瓶を集めながら聞いた。
「は? 花瓶を含めて、5000円よ。高いでしょ! あんたは死んだと思ってあげてみたのよ。」
「うそ、葬式来てくれる予定だったの? ありがとう。でも私、この花よりガーベラの方が好きだよ。死んだと思ったらガーベラ飾ってくれる?」
「はい、喜んで。すぐ死ぬんだったら買ってあげるわよ。何本でも。」
「……そっか。ごめん。花のために生きたくないの。そして、葬式もあげるつもりないから。先走って準備してくれたのにごめんね。ありがとう。持ち帰るね。せっかく育った花、かわいそうだから大事にするから。」
「……。」
くちびるを噛み締めて、何も言えなくなった美奈子は、その場から立ち去った。廊下を音を立てて、騒がしくいなくなった。それから、ずっと美奈子は学校に来なくなった。紗栄の言葉が効いたらしい。今まで、こんな風に受け止めてくれる友人がいなかったんだろう。本音で話せない友人。遠慮ばかりで家来のように従えて、尊敬しあえない関係。お姫様気取りで口も悪い。構ってほしい気持ちがいっぱいで、いざ、強気の言葉を浴びせたら弱い。言い返せない。きっと、親に突き放されて放置されて育ってきたのだろうと紗栄は考察する。
駅のホーム。外は真っ暗。紗栄は少し後悔した。余計なことしたかな。美奈子の母はPTA会長ですぐに問題が起きたらすぐにお呼び出しの親子。本当の美奈子を知らない母だった。でも今回は大丈夫か心配になった。
「お疲れさん!」
後ろから両肩をたたかれた。さとしだった。部活の帰りなのか、大きい荷物でいっぱいだった。耳につけていたイヤホンを外した。
「まだ、明日が不安だけどね。ほら、美奈子のお母さんPTA会長でしょ?」
「平気じゃね? 俺の親、あの学校の校長だし。離婚してるけど。」
「は? うそでしょ。校長の息子? ありえない。違うでしょ。」
「嘘じゃないし、ほら、これ。親父にしこまれた剣道。防具一式。顧問が校長ってまずな
いっしょ。現役じゃん。なぁ?」
「ハハハ、笑えるんですけど。」
紗栄は、さとしの仕草に笑いが止まらなかった。トイレの水かぶりなんて、さとしがいたから全然、辛くなかったし、花瓶なんて、中学のとき花道習っていたから花の大切さ知っているし、命もぎ取られることなんてなかったから平気。でもこの時だけは。後ろからドンっと強くおされた。駅のホームまもなく電車が入る時、そばにいたのは花鈴。横には手をのばすさとしの手。うそ、わたし、ここで死ぬの?早くも仏壇にガーベラ飾る?
『まもなく電車が入ります。白線の内側に立ってお待ちください。』
アナウンスが頭の中に鳴り響いた。さとしと花鈴の顔が残って最後の記憶が残っていない。
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