【第三話】チェリエの求婚




 私の意識は水音に揺すり起こされ、瞼越しの光に眩しさを覚える。

「すぐに目覚める。このまま帰郷は無理だ」

「せめて拠点までは運べませんか?」

 聴覚が声を拾い、痺れるように痛む頭は、それが会話だと認識するのにひどく時間がかかった。意識を失う前に薬を嗅がされたことを思い出して、深呼吸に私の胸は上下に大きく動く。

「ほら、お姫様のお目覚めだ」

「本当に効かないんですね」

「傷をつけるなよ。耐性があるんだ。毒が効かなきゃ、薬も気休め程度の体質だって聞いてるぞ。大怪我されたらかなわねえよ」

 丁寧に扱えよと、忠告する声には聞き覚えがある。私を眠らせたあの若い青年のものだ。

 会話が聞き取れるということは似たような言語圏の人間達だろうかと、靄がかる思考を何とか巡らすが、圧倒的に情報が足りない。手がかりを増やそうと私は重い瞼を持ち上げた。

 薄っすらと開かれる視界に光が差す。

 光源は、吊り下げタイプのランタンだった。花と鳥を象る細やかな針金細工を施された金属枠が厚みのある硝子を支えるという意匠の凝りようと、随所に散りばめられている金や宝石らが嫌味なく品良く収まる様に、その道の目利きでなくとも素人さえ上等なものと好感が持てる代物である。地下世界を照らす道具としては、浮くほどに似合わない。

 少しばかり肌寒く、粘りつくような湿度の高さは近場で地下水が流れている地下空間特有のものだけど、据えた匂いとカビ臭さは馴染み深く未だこの場所が私の行動範囲内らしい。それほど移動していないし、眠っていた時間は焦るほどには長くなかったのかも。

 周囲をぼんやりと照らし、壁に映り込む影も輪郭が淡く滲んでいて、ランタンの大きさに対し、光量はかなり抑えられているみたい。

 燃料の節約かしら? 光源に蝋燭を用いらないのは、少し移動に動くだけでか弱い灯火が掻き消えるくらいの風量が常に通っていることを知っているということ?

 燃える脂の芳しさに、私の疑念はますますと膨らんだ。

 ふたりの会話とランタンの明かりで長丁場になると簡単に予測できるし、賊の侵入なのは確実で、私を即座に殺さなかったのと、会話の内容から〝誘拐目的〟なのは流石に察しがつくわ。

 ただ、誘拐犯という悪人にしては妙に尊大で偉そうで、けれど、熱狂的とも違って思想の不安定さは伺えず、人を交渉道具として見下げる汚らわしさも無かった。

 私を誘拐するという動機は、理由こそいくつもあって、多少の言動で推測しやすいものだが、今回ばかりは絞りきれない。怪我さえ許されない生け捕りという方向性か、命は保証されていみたいで安心できる要素だが、何にしても逃げ出す判断に変わりはない。

「探しているのはこれですか?」

 お姫様と、語尾を上がり気味にして問いかけてくる青年は、その声音だけで私のことを良く思っていないのが丸わかりだった。馬鹿にした口調と共に見せびらかせてきたのは腰に提げていた私の小さな革鞄だ。

「中身の検分はさせてもらいましたよ。呪い粉といくつかの結晶石のみとは、とても王女様の持ち物とは思えません」

 護身刀のひとつでもあれば可愛いものをと嫌がられた。

「魔法を扱うとは勇ましい方だ」

「あなたも魔法の心得がありそうね」

 青年の目は今はもう光ってさえいない。

 発動中に目が輝いてしまう魔法は存在しているし、その多くが闇夜の視界確保の効果があることも副作用込みで私もいくつか知っている。

「嗜み程度ですよ」

 青年は恭しく答えた。

「姫様のような本格的なものはとてもとても……命は惜しいので」

 背中側ではなく、腹側で両腕を拘束されているのは魔法対策らしい。躊躇いなく反撃にぶっ放そうとした私を、青年は揶揄する形で堂々と指摘してきた。言外に、自分の立場を弁えない非常識さを非難していた。どうやら青年の中では、魔法とは貴人、少なくとも常人が扱うものではなく、警戒度が高い部類らしい。

 だから、使わせるつもりはないと革鞄の中身は、私達の側を流れている水路に投げ捨てられた。

「大人しくしていてくださいますよね?」

 魔法の道具を取り上げられて、けれども私に施されるのは両手の拘束だけ。刃物をちらつかせて脅してくるわけでもなく、発する言葉はお願い一辺倒のみ。

「私が素直に従うと?」

「魔法の習得については存じませんでしたが、武芸に苦労されているとは噂でお聞きしております」

 つまり、小娘の細腕は怖くないと。

「誰よ、そんな噂話を真に受けるなんて。社交界にも顔見せさえしていないただの娘じゃない」

「竜に守られる国の姫となれば皆が興味津々ですよ」

 口調に嫌悪の色が滲む。否、嫌悪というより、怨嗟に近い敵意と言ったほうが近いかもしれない。

 向けられる視線は冷たいままだ。

 まるで、〝こんな女か〟という蔑み。

「ああ、それで」

 私は自分の口角が吊り上がっていくのを自覚する。

「大国の王子様が夜這いなんて、ご苦労な話ね」

 青年の顔色が変わった。瞳孔を収縮させ、絶句するほどに驚いてくれて、私は大いに満足した。

「土地勘もなく、地図にも残っていない埋もれた地下都市に潜り込んでまで私の元に通いに来るなんて、よほどリーガルーダが欲しいのかしら」

「娘が!」

 静観していた、もうひとりが安い挑発にわかりやすく激昂する。青年はそんな男に向かって片手を挙げた。既に抜いてしまった剣を収めろとの手振りでの叱責に、ランタンの明かりを反射して輝く刃は渋々と鞘にしまわれる。

「噂とは随分と違うようだ」

 青年の口調から丁寧さが抜けて、遠慮が消えた。

 本命がリーガルーダ。国を守護する陸の民とも呼ばれる陸竜とわかって、私は内心穏やかではいられなくなった。余計なことも思い出して、苛立ちも燻り始める。

「拐かそうとは俺の案だ。親父はあくまでも正式に縁談を組もうと使者を送り続けている」

「一番しつこいのは……ナヒアの……第三王子じゃない?」

「名前までは届かないか」

「私の伴侶なんて人間が決めるものじゃないもの。縁談に興味は無いわ。あなたを知らないのは父上が、まだまだ子供だからと政治に関わらせず遠ざけていて私が国交について疎いせいね」

「セレンシアの国は、占いで決定するという慣習だったか」

「ナヒアは大昔から血族間での政略結婚が多いと聞いているわ。そんな感覚で、私の伴侶を務めるのは相当なものよ? あなたでは荷が重いわ」

「やってみなければわからないだろう?」

 異文化交流は互いの理解を深め合うにはとても有益だ。

「お姫様はどうにも家出の最中らしいし」

 良い機会だという誘い文句は、けれど、とても冷たい響きを含んでいた。

「このまま俺と駆け落ちなどしてみないか?」

 心にもない事を言っている青年に私はどんな顔をしているのだろうか。

 笑い損なった変な顔をしているのが簡単に想像できる。

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