【第四話】チェリエは駆け落ち




 信じられない。

「信じられないわ」

 気持ちを率直に声に出せる自分の性格を、私自身はとても気に入っている。

 私は十五歳の娘だ。数秒の沈黙だけで答えを返せただけでも上出来だろうに、青年は「ほう?」と、語尾を上げて、機嫌を損ねましたというポーズを取ってきた。

「俺の求婚が嘘だと?」

「この問答が不毛だって言ってるの」

 即座に否定すると、懐疑的な視線を向けられる。

「伴侶の選出は占いが絶対だからか? セレンシアはそれが習わしだというし」

「そうじゃなくて……そうではあるんだけど、だからこそ、どう言えばいいかしら……」

 そもそも青年自身も台詞とは裏腹に表情は冷たいままだった。ダメ元でもなく、私に断られると端から決めてかかっての誘い文句だったのだ。

「誰もあなたが嘘をついているとは言わないわよ。ナヒアの王子様。血の繋がりでもって大国を纏めあげて成り立たせてきた国の王族が婚姻をどれだけ重要視しているかは、世事に疎い私でも想像にできるもの」

 仮に奔放な性格でも蔑ろにできないくらいは教育されて意識の根底に根付かされている。婚姻こそが忠誠の証なのである。セレンシアより歴史が古い国の王子ならその柵は弱くはないはずだ。

「それに、従者ひとりを連れて、たったふたりだけで私を攫おうと考えてセレンシアに潜り込んで来たというなら、その意思は本当の本気だと、少なくとも私はそう受け取るわ。こんな状況でさえ、癪だけどね? 本心なんだって受け取ってあげるわよ」

 だから信じられないと私は嘆いてしまったのだ。

 縛られた両手を使って私は上体を起こし、座り直した。立ったままの青年と少しは互いの顔が近くなり、そうして、ランタンの明かりを反射して黄金に輝く彼の翠眼の幼さに気づく。青年の落ち着きぶりにかなりの歳の差を感じてしまったが、案外にも私とは五歳も離れていないかもしれない。

 張っていた気が緩みそうになって小さく咳払いした。

「けれどね、あなたがしたことは、その……私の人生初の求婚でもあったのよ?」

 私の言いたいことがわかったらしく王子は翠眼を瞬かせた。そして、ゆっくりと時間をかけて眉間に皺を寄せる。

「なんだ。指輪を用意して片膝をつけて愛を宣言しろとでも要求するのか」

 わざわざセレンシアの伝統を引き合いに出してくるのは意地悪だし、きちんとこちらの文化を調べてきた姿勢は妙な生真面目さがあって妙に気持ち悪い。反対に私はどうだろうか。聞こえてくるナヒアの婚姻作法は契約に近い取引のようなものだという印象が強かった覚えがある。

 そこにはロマンの欠片もないとヴィンとふたりで溜息を吐いたものだ。

「無縁だからって、興味が無いわけないじゃない」

「夢見てたってわけか!」

 盛大に笑われたので、

「笑いたければ笑いなさい。婿入りの立場のくせに」

 言い返してみれば、「なッ」と王子は言葉を詰まらせた。

「婿に入るのが嫌だから、嫁がせる形にしようと誘拐を企てたくせに」

「それは……違う」

 指摘を否定する声は弱々しいものだった。閉口する姿から滲んでくる、今までの冷淡さからは随分とかけ離れた殊勝さに私は毒気が抜けてしまった。

 この短い会話で互いの何がわかるとでも言うのかしら? 冷たい態度でいつまでも突き放すというつもりもないらしい。

 適当な罵倒での挑発には乗ってくれそうにないので、私は私で虚勢を張ることを止めた。

「立たせて」

 要求に王子は口の端を歪ませてからゆっくりと腕を伸ばし手助けをしてくれる。

 更に距離が近くなってフードに隠れて見えなかった暗褐色の王子の髪色に、それはあの生意気な幼なじみを私に思い出させてくれて、思わず鼻で笑ってしまった。

「姫……」

 品が無いと諌められて私は両肩を竦める。

「是非に、チェリエと呼んで。ナヒアの王子様」

「それはどういう――?」

「魂胆なんて無いわ。呼び名があるほうが便利ってだけよ。これからの付き合いもあるんだし」

 沈黙に私は盛大な溜息を吐いた。

「察しが悪いわね。それとも信用に足りないから理解できないのかしら」

 それならはっきりと言うべきね。

「駆け落ちしようってことよ」

 嫁入りが私が自分の名前を捨てるのに恰好な口実になるのなら、これは渡りに船だ。

 嫁ぐ嫁がないを別にしても、ナヒア国に誘拐されれば、私はこの国から逃げ出したことにはなる。

 大事になって、最悪国際間戦争に発展するかもしれない。

 しかし、そんな懸念を抱えているのは、ナヒアの王子も同じだ。

 けれども、私は王子の提案を受け入れるのに、それほどは恐れていない。

 何も互いに互いを殺そうと考えてないのが大きいのだと思う。むしろ青年は自国の為と動いている分、自分勝手な理由で国を逃げ出そうとしている私よりマシだ。諍いこそ免れないだろうが、時間をかければ解決できるだけの確証が私にはあった。私にはそれだけの価値がある。

 竜の後ろ盾という、高値もつけられない最上の交渉材料としての価値が。

「さあ、竜に守護される国。セレンシアの姫を攫って頂戴」

 苛立ちを隠さず声高らかに命じる私に、ナヒアの王子は「そうか」と、小さくも冷たい声で応えた。

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