第17話 旅の目的

 「久しぶり、元気だった?」

 

 見知らぬ女性が声を掛けてきた。

 黒い長髪に黒いワンピース、そして、吸い込まれそうな紫の瞳。

 彼女は誰だろう。

 僕は、どこに居るんだろう。


 「あぁ、完全に世界に飲まれてる。 君は良い事し過ぎだよ」


 世界に飲まれる?

 良い事しすぎ?

 一体何の話をしているんだ。


 「私は悪魔、君は君だよ」

 

 『君は君』

 その言葉で全て思い出した。

 ギルドのカウンターに現れた悪魔は天使が信用出来ないことを告げ、俺の記憶が無くなった時のために記憶のバックアップを取ってくれていたのだ。

 そして、この少女こそが悪魔。

 こんな大事な事を忘れていたなんて。

 恐怖で思わず頭を抱える。

 俺が記憶を失ったら、この世界の俺はどうなってしまうんだ。


 「思い出した? じゃあ時間もないから本題を、 フェンリルに会って加護を貰って」

 「そんなのどうやって……」

 「写しが方向を教えてくれる。 神や天使、悪魔に魔獣、妖怪、その他大勢。 上位存在の加護を集めて君の記憶を守るんだ」

 

 上位存在の加護にそんな力があるのか。

 だが、悪魔が言うには天使から受けた『絶対正義』の祝福こそが俺の記憶を奪っているという。

 そんな危険物が混じっている中で、フェンリルの祝福、加護は信用できるのか。


 「選択肢は無い、今の君に出来た縁はそれだけだ。 ゆかりの品に触れるかゆかりの地へ向かうんだ。 そうすれば縁が増えて選択肢が広がる」

 「上位存在と縁を結んで加護を得る?」

 「そう、それだけを強く心に刻んで目覚めるんだ。 他は忘れてもそれだけは持って帰れるから」

 

 悪魔がそう言い終わるや否や、悪魔の姿が滲んでいく。

 俺の周りの空間も同じように滲んで溶けていっているが目には何も映らない。

 ここは恐らく、俺の心象世界。

 天使の正義によって漂白され、極限まで薄められた俺の心は、もう悪魔の姿以外何も映せなかったようだ。

 


 「カイン、おはよ」

 「ん……おはよ、サクヤ」


 視界に広がるはいつもの天井。

 自分のベッドの上で目が覚める。

 隣にはパジャマ姿のサクヤが寝ていて、僕の横腹を指先でつんつんと突いていた。

 

 「隣で寝ながらおはよう?」

 「起きたんだからおはようはおはようでしょ。 今日は二度寝禁止だからちゃんと起きて」


 サクヤの方へ体を向けると、サクヤは僕の胸に顔を埋めてきた。

 

 「さっきからやってる事が逆じゃない?」

 「起きるためには充電が必要かと思って」


 確かに、この寒い中ベッドから出るには気力を使う。

 サクヤのぽかぽかの体温が僕の体へと伝わり、その気力も湧いてきた。

 

 「そっかありがと、もう満タンだよ」 

 「私はもうちょっとかな」


 サクヤの頭に手を置いて、しばらく髪の手触りを楽しむ。

 水分を良く含んだ、サラサラでつやつやの髪。

 黒という事もあって、美しい馬の毛並みを彷彿とさせる。

 

 「よし、満タン! 起きよ!」


 サクヤはベッドから文字通り飛び出して、暖炉に火を入れて家を飛び出し、腕に牛乳と朝食の材料を抱えて飛び戻ってきた。

 そのスピードたるや、飛ぶという言葉をつけないと表しきれないほどだ。 

 僕はゆっくりと体を起こし、料理を手伝うため調理場の方へ向かおうとした。

 と、手にはフェンリルの文字が書かれた写し。

 そうだ、僕はフェンリルに会って加護を受けないといけない。

 この大発見をサクヤにも教えてあげないと。


 「サクヤ、これ見て」

 「え、なに?」


 大きなフライパンでソーセージを焼くサクヤに写しを見せる。

 サクヤはきょとんとした顔でそれを見ていた。

 

 「フェンリルに会いに行こう、この文字に触ると地図が出るんだ」 

 

 冒険者ギルドの魔法の羊皮紙のように、僕の写しには帝都を中心とした周辺の地図と、目的地であろう洞窟に青印が現れる。

 帝都から片道でおよそ4日。

 意外と近場で会えそうだ。

 

 「え、フェンリルって、オーディンと戦ったっていう魔狼でしょ? 神様たちだって今は居ないのにフェンリルが実在するの?」

 「居るんだよ、僕にはわかるんだ」


 元気の塊で純粋無垢なサクヤも、流石に信じられないといった目でこちらを見てくる。

 自分でも説明できないが、こればかりは何故かわかるんだから仕方ない。

 サクヤの図鑑のような、写しの効果なのだろう。


 「写しの効果だと思う。 僕のは多分、そういう上位存在に会える地図であり図鑑なんだ」

 「上位存在って、フェンリルとかヨルムンガンドとか?」

 「そうだよ! 僕、上位存在に会ってみたいってずっと思ってたんだ!」


 大きな声に驚いたのかサクヤは一瞬びっくりした後、僕の両手を握って天高く突き上げた。

 満面の笑みを浮かべ、両手を上げたままぴょんぴょんと飛び跳ねる。

 

 「会おう! カインの夢なら応援しないと!」

 「うん! 会おう!」


 そのままひとしきり飛び跳ねて、息が切れてきた頃にようやく落ち着いた。

 僕の夢が思い出せた事と、サクヤがすぐに応援してくれた事が嬉しくて、つい感情を爆発させてしまった。


 「でもまずはご飯」

 「そうだね、それに寒期だしフェンリルに会うのは厳しいかな」


 両手を握り合い、サクヤと顔を突き合わせたまま現実へと戻ってきた。

 片道4日の極寒の世界は流石に洒落になってない。

 冒険者の経験から言っても完全な自殺行為だ。

 となれば目下、目標は2つ。

 朝ご飯とサラさんへの報告だ。


 「それで、私に銀貨100枚なんて大金を?」

 「うん、私たちで決めたんだ、これは私たちからのいつものお礼。 カインの分も混ざってるんだから、さすがに断れないでしょ?」

 

 鉱山の仕事から戻って来たサラさんを店先で捕まえ、店に入るなり銀貨100枚の預金証明書を突き付けた。

 サラさんは驚いた表情をしたものの、今はすっかり冷静な顔で僕たちを見ている。

 

 「でもこのお金があればすぐに冒険に……」

 「大丈夫、寒期の間はどうせ外なんて歩けないし、暖期まではまだまだあるもん!」


 テーブルをバンと叩いたサクヤが真剣な顔でそう言うと、サラさんは難しい顔をして黙り込んでしまった。

 サクヤの計画では、預金証明書を突き付けた瞬間にサラさんが泣きだして、そのまま僕たちは息が出来ないくらい抱きしめられるはずだった。

 サラさんも迷っているんだろう。

 とはいえこのお金はサラさんのために集めたお金だ。

 もし受け取れないと言われたって無理にでも受け取って貰うしかない。

 しばらく無言で向き合った後、サラさんは席を立つと一枚の紙を持って戻って来た。

 その紙は羊皮紙より薄く柔らかい、大陸の外の物だった。

 

 「これは、サクヤが包まれてた布の中に入っていた物でね。 時が来たら見せようと思ってたんだ」

 

 あまりの衝撃で声が出ない。

 サクヤも同じようで、テーブルに置かれた紙を前に完全に固まってしまっていた。


 「わかるかい、字の形は少し違うけど、ここに『サクヤ』、こっちには『アマテラス』とあるだろう。 アマテラスというのは大陸の外の町の名前らしくてね、なんでもデウスとは違う神が作った町らしいんだ」

 「違う神の町の名前……そんな物持ってたら、憲兵に捕まっちゃうよ!」


 サクヤはその紙を取ると、暖炉の中に放り込もうと振りかぶった。

 僕は立ち上がり、サクヤの手首を掴む。

 

 「サクヤ! サクヤの故郷に纏わる物かも知れないのにどうしてそんな……」

 「故郷なんてどうでもいい! 私はお母さんに拾われてデウスで育ったんだから!」

 

 掴んでいた手が離れた。

 紙はそのままふわふわと宙を舞い、サクヤが望んだように、暖炉の中に入るとすぐに燃え尽きてしまう。

 僕たちはそれをただ見つめる事しか出来なかった。


 「……そんなにしんみりしないでよ。 私はここで育ったサクヤで、お母さんはサラ。 お母さんに危険が及ぶならこんな紙無い方が良いに決まってるんだから!」

 

 サクヤは笑顔でそう言った。

 サクヤがそれで良いと言うなら僕から言う事は何も無い。


 「わかったよ、サクヤは本当にお母さん思いだね」

 

 えへへと笑い、僕に抱きついてくる。

 固まっていたサラさんは、その様子を見て少し笑った。

 

 「旅の目的地に良いかと見せたんだけど、おせっかいだったかね」

 「ううん、ありがとうお母さん。 でもそんな危険な物、もう持ってちゃダメだよ、これで全部?」

 「ああ、もう何にも無いよ」


 サクヤが良かった、と胸をなでおろした。


 デウスは帝都であり、侵略した町からは神の名前を奪っている。

 神の名前が神の力に繋がり、人々の力になると考えているからだ。

 その結果、他の神の名前が書かれた物や場所のわかる地図、逸話の書かれた本などは全て回収され、黙って持っている者は重罪人とされてきた。

 サラさんの身を一番に考えるなら、サクヤのした事は正しいんだろう。


 「とにかく、お母さんは中層の家を借りて店を開く事!」

 「わかったよ。 ふたりともありがとうね」


 勢いに負けたのかサラさんは預金証明書を受け取って、サクヤの予想通り僕たちを強く抱きしめる。

 僕はサラさんに抱かれた姿勢のまま、こちらに『アマテラス』の名が書かれた写しを突き付ける、黒い女性の姿を見ていた。


 「おめでとう、神との縁、第一号だね」

 

 奥の椅子に座っていた女性はふっと姿を消し、写しはスキルブックと共に空間の穴へと消えて行った。

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