第14話 教会区の夜

 頭に霧がかかっている。

 ここは何処で、今はいつだ。

 携帯は、あいつらはどこに。

 

 「カイン、カイン!」

 

 これは、サクヤの声。

 頭にかかっていた霧が晴れ、自分の置かれている状況を理解する。

 ここは冒険者ギルド、報酬の受け取りにやって来た。


 「おい大丈夫か? まずいようなら回復術師を……」


 隣から顔を覗くサクヤは心配そうな目でこちらを見ており、ノイシュさんはカウンターを飛び出して近くの冒険者に声を掛けようとしている。

 俺は……。


 また頭痛だ。

 薄れ行く意識の中、カウンターに座った悪魔が俺に話しかける。


 「今回の事はいずれ思い出すから安心して。 君が一番気を付けないといけない事は、『天使を信用しない事』だよ」


 悪魔はそっと微笑んで、俺の頬に手を添える。

 悪魔の妖しい紫の瞳が真っすぐに俺の目を捉え、視界を埋め尽くす距離まで近づいてくる、

 唇と唇が触れようかというその刹那、俺の意識は完全に闇へと沈んだ。


 「原因はわからんが疲労かな、医者の見立てじゃどこも異常ないらしい」


 ノイシュさんの声が聞こえる。


 「良かった……ありがとうございますノイシュさん……」


 なんて悲しい声だろう、これじゃサクヤの魅力が減ってしまう。


 「回復薬は必要ない、活力のルーンを刻んでおいたからしばらくは安静にするように」


 知らない男の声。

 年老いた、だが優しそうな低い声だ。


 「わかりました、先生もありがとうございます」


 サクヤの声がまた聞こえる。

 そんなに悲しそうにしていたら、僕がサラさんに怒られてしまう。


 耳と頭は働いているものの体は指一本動かせず、まぶたを開く事も出来ない。

 体の感覚も弱くなっていて、今わかるのは自分がどこかで横になっているという事だけだ。


 ふいに頭に浮かぶ、知らない女性の姿。

 透き通るような白い肌とは対照的な漆黒の髪。

 そして、こちらを見透かすような紫の瞳。

 紫の瞳?

 そんな人物が居ただろうか。

 

 気が付くと、僕はベッドの上に居た。

 ふかふかの立派なベッドで、まるで雲の上で寝ているかのようだ。

 体に掛かった織物も、ふんわりと体を包んでくれている。

 日差しが目に痛い。

 思わず何回か瞬きをすると、目からは一筋の涙がこぼれた。

 

 「カイン! 大丈夫!?」


 視界の先、ドアの向こうに居たサクヤが洗濯物を放り投げ、寝ている僕の元へ駆け寄ってくる。

 まだかすんだ視界いっぱいに広がるサクヤの顔は、ボロボロと涙をこぼしたひどい顔だ。


 「だい……じょうぶ……」


 声が上手く出ない。

 僕はどれだけの間寝ていたのだろう。


 「ここは病院、ギルドに行った日から3日目、私はサクヤ、わかる?」

 「そんなに急がなくても、大丈夫……」


 ようやく舌が回りだす。

 あれから3日とは、随分寝てしまっていたらしい。

 体を起こそうとするが手にうまく力が入らず、サクやに抱きかかえられる形でようやく上体を起こす。

 背中からはバキバキとサクヤの家のベッドみたいな音がした。

 

 「まだ無理はしちゃダメだよ」

 「うん、でもどこも痛くないし頭も何だかすっきりしたよ。 お腹が減ったな、サラさんのサンドイッチがあったっけ」

 「流石にあれは食べちゃったけど、食べれそうなら私が作ってあげる」

 

 サラさんのサンドイッチ、楽しみにしていたのに結局食べ損ねてしまった。

 体を起こしてしばらくすると、ようやく視界も元に戻って来た。

 窓から見えるのは大鐘楼と、様々なシンボルを掲げた教会の群れ、風に乗って飛ぶ白い花びら。

 ここは教会区にある病院だろう。

 出なければこんなふかふかのベッドと綿で出来た上質な布団がある筈がない。


 「お待たせ、病み上がりにサンドイッチはお勧めしないけど、これなら食べられると思うよ」

 

 そう言ってサクヤが差し出した木の深皿には黄色いスープがなみなみと注がれており、そこには白色の何かを挟んだパンが刺さっている。

 この甘いながらもスパイスの香り漂うスープはかぼちゃのスープだ。

 パンに挟まれた白いものはなんだろう、数ミリの厚さに塗られたそれからは微かに甘い匂いがする。

 

 「かぼちゃスープにクリームサンド。 パンに挟まってるのは卵と砂糖をかき混ぜて作った特製クリームだよ」

 「美味しそうだね、頂きます」


 サクヤからスプーンを貰い、スープを一口啜ってパンをかじる。

 温かく優しい甘さが胃に広がり、鈍くなっていた体に熱が入る。

 うん、体の方は大丈夫そうだ。


 「美味しい、今すぐ冒険にだって行けそうだよ」

 「ダメ、こんな状態で冒険は危険すぎる」 

 

 お互い顔を見つめ合って、あははと笑う。

 冗談だったのだが、いつぞやの言葉をそのまま返されてしまった。


 「ここの代金は大丈夫?」

 「心配しないで、銀貨1枚もあれば十分だよ」

 「良かった。 まさか僕の方が倒れるなんて」

 「カイン、ギルドのカウンターに倒れ込んで天使とか悪魔とか、記憶がー、って唸ってたんだよ?」


 一瞬何か違和感のようなものを感じたが気のせいだろう。

 そんな変な事を口走るなんて、ゴーレム戦で知らない内に毒でも吸っていたのだろうか。

 

 「ちょっと歩きたいな、ダメ?」

 「食べ終わったら少し歩こっか、今度は私が肩を貸してあげるね」


 食事をとり終え、病院の中を少し歩く事にしたが、3日間寝ていただけだと言うのに僕の体が自分の物じゃないように感じられて、足が上手く前に出せなかった。

 サクヤに肩を支えられ、診察室や患者の寝る他のベッド、病院前の噴水のある公園などをよたよたと歩く。

 これで冒険者だと言うのだからお笑い草だ。


 「でも元気そうで良かったよ、体力も1日寝てれば回復するって先生言ってたから、また明日迎えに来るね」

 「うん、本当にありがとうサクヤ」

 「別に良いよ気にしないで、もともと私の命の恩人様なんだから」

 

 帰り際、サクヤは頬を赤らめてそんな事を言っていた。

 命の恩人様、か。

 試練の洞窟でサクヤを助け、サラさんと知り合い、家族同然にまでなって、ふたりでパーティを組んで、ゴーレムを倒して、そして……。

 頭の働きは正常、問題無し。

 体の方も明日にはどうにかなっているだろう。

 今は体を休めるのを最優先とし、もう少し、このふかふかのベッドで寝ていよう……。



 夢を見た。

 燃える教会、泣き叫ぶ信徒。

 向かい合うように立つ背の高い男が、手のひらをじっと見ている。

 小さな十字架の形を残し、それ以外は赤黒い血で汚れた手のひら。

 男は落とした十字架を拾おうともせず、信徒の肩に手を置く。

 これは、神罰代行である。

 男がそう呟くと同時に、信徒の首からは鮮血が噴き出した。



 窓から心地の良い風と、それに乗って白い花びらが入って来る。

 病院の中は月明りに照らされて、夜だというのにランタンが要らないくらいに明るい。

 この花の名は何というのか。

 漂う甘い香りも手掛かりにはならない。

 ベッドから体を起こし、病院を出る。

 外は教会だらけ、皮肉なものだ。

 教会の屋根の上には十字架に六芒星、神を象った像などが並ぶ。

 これだけ神の家があるのなら、俺を救う神もひとりくらいは居るのだろうか。

 教会の壁に彫られた天使たちが、こちらを優しげな眼で見ている。

 

 「こんばんは、良い夜ですね」

 「ああ、こんばんは、これだけ明るいと明かりも必要無いですね」

 

 俺の前に立つ少女には黒い翼が生えている。

 色こそ黒いものの天使の翼のように美しく優雅で、月が出ていなければ闇に溶けていただろう。

 少女はぺこりと一度頭を下げ、俺の隣を通り過ぎる。

 これだけ教会があるんだ、悪魔のような天使だって居るだろう。

 俺は前方へ視線を移し、教会の群れへ歩みを進める。

 と、背中から腹部を、何か冷たいものが通り抜ける。

 視線を降ろした先に見えたのは漆黒の刀身。

 どうやらその刀身は、俺の体を貫いているらしい。

 

 「まだ貴方の出番には早すぎる。 もう少しカインの旅を見守って貰えないかな」

 「天使が言うなら仕方ない、教会巡りはまた今度にするよ」


 貫いた刀身を摘まみ、腹側から引き抜く。

 持ち手より太い刀身の付いた漆黒のナイフ。

 物を切るよりも投てきに適していそうなその形は無駄が無く、実に俺好みだ。

 本来の持ち主である少女にそれを投げて返す。

 思った通り、ナイフは刀身の重さに引かれるように真っすぐと飛び、少女の胸のあたりに突き刺さる。

 

 「天使を殺すのはお手の物?」

 「天使を殺した事は無いよ、居たのは人間だけさ」

 「それは残念、天使も私たちくらいまともに働いてくれたら良いのに」


 刺さったナイフが、ゆっくりと少女の体に溶けていく。

 ああ、美しい翼をしていたが悪魔だったか。

 優しい少女の瞳に見送られ、俺はゆっくりと目を閉じる。

 こんな所なら、ぜひともまた来てみたいものだ。


 

 大鐘楼の鐘の音で目を覚ます。

 先生の言った通り体の調子は完全に回復しており、本当に、今すぐ冒険にだって行けそうだ。

 いくらサクヤとは言え、早朝から迎えには来ないだろう。

 鈍った体の感覚を取り戻すため、まずは簡単なルーンや剣の素振りから始めてみても良いかもしれない。

 ベッドから降りて、隅に置かれた僕の鞄を確認する。

 中身は青色洞窟へ行った時のままだ。

 剣は流石に入っていなかったため、まずはルーンで調子を見よう。

 ベッドに座り、手のひらに活力のルーンを刻み、魔力を……。


 「カイン! 治った!?」


 そこへ勢い良く飛び込んできたのは、満面の笑みと額に汗を浮かべたサクヤだった。


 「うん、ばっちり。 冒険にだって行けちゃうよ?」

 「良かった……でもまずは先生の所と、私の家と、冒険者ギルドと……とにかくお世話になった人にお礼に行かないと!」

 「うん、そうしよう。 おかげで、今までで一番調子が良いんだ」


 手のひらに書いた活力のルーンはまばゆいばかりの光を放つ。

 ただ、いつどこで怪我をしたのか、手のひらには小さな十字架の形の染みが出来ていた。

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