第8話 卒業祝い

 無事ゼウスの町に着き、冒険者学校へダンジョンクリアの報告をし、その足で冒険者ギルドへと向かう途中、夕焼けに染まる商業区を見て思い出した。

 家を出る時に食べたパンとチーズ以来、何も食べていない。

 緊張感や高揚感に加え、もしかしたら死ぬかもしれない、という恐怖もあったのだから忘れていたのも頷ける。

 だが、気づいてしまったのだからもう手遅れだ。

 俺の腹はもう我慢できないという風にぐぅぐぅと大きな音をたて、空腹である事をこれでもかとアピールしてくる。


 「助けて貰っちゃったし、今日は私がごちそうするよ!」


 サクヤとは町に帰って来てからも行動を共にしており、道中聞かされる発明品話のおかげで退屈する事が無い。

 これは空腹を忘れてしまっていた事の一因でもあるだろう。


 「ありがとう、いつもはどこで食べてるの?」

 「よくぞ聞いてくれました! 知る人ぞ知る隠れた名店があるんだよ!」


 サクヤは満面の笑みで無い胸を張り、渾身のどや顔を見せる。

 町に帰って来てからもサクヤの元気いっぱいは衰える所を知らず、もう荷物か人かわからないような後ろ姿でぴょんぴょんと跳ね回っている。

 

 そうしてサクヤに案内され、到着したのは商業区下層、酒場の横の小さな店。

 このあたりはゼウスにしては珍しく混沌としており、日の光が届きにくい上にランタンの吊るされた街灯も少ない。

 教会区の立派な建物の影になっているのがその原因なのだが、正しくここ、帝都ゼウスにある影の部分の代名詞だ。

 少なくとも、子供だけで来る場所では決してない。


 「ここら辺は危ないって聞いたけど」

 「んー、意外と平気だよ。 私の家もこの辺りだし」


 サクヤは乱雑に置かれた木箱や怪しい露店、ぎらついた目でこちらを睨む男性などを慣れた足取りで躱しながら進んでいた。

 この入り組んだ道をすいすいと進むその様子は確かに住み慣れた者のそれだ。 


 「それよりほら、ここがオススメのレストラン!」

 

 そう言って指を指されても、看板一つ出ていないこのボロ家が本当にレストランとは思えない。

 しかし、入るのをためらっている俺を尻目に、サクヤは迷う事無くその扉を開いた。

 

 「いらっしゃい。 あらサクヤ、もう試験は終わりかい?」

 「うん、カインのおかげで楽勝だったよ!」


 入るや否や、近くのテーブルから女の人が歩み寄ってくる。

 茶色の髪と瞳の、しわが目立つ、人の良さそうな大きなおばさんだ。

 白い頭巾を被り、エプロンを着けているという事は、この人が料理を作ってくれるのか。

 店内はテーブルが2つに調理場があるだけで、外観に違わぬ質素な作り。

 テーブルや椅子には所々欠けている部分も見られ、調理場周りの黒くなった石壁などはその歴史を物語っている。


 「その子がカイン?」

 「あ、はい、カインです。 サクヤさんとは同じ冒険者学校の試験を受けてて……」

 「改まっちゃって。 サクヤでいいよ」

 

 サクヤは会話に割り込むようにそう言って、近くのテーブルに着く。

 床に下ろされた大きな鞄から、ぶにゅっと変な音がした。

 

 「私はサラ。 ここの店主兼、料理長兼、家主だよ」

 「初めまして。 サクヤからは隠れた名店だ、って聞いてます」

 「嬉しい事言ってくれちゃって、まぁうちほどのホットサンドを出す店は他に知らないけどね」

 

 サラさんはあっはっはと豪快に笑う。

 アーロンさんといいサラさんといい、この町では体が大きくて豪快じゃないと良い料理人にはなれないんだろうか。

 料理の系統も似ているし、もしかしたらこの人たちの師匠が明るい巨人かなにかなのかもしれない。


 「ホットサンドふたつ! ひとつはこの命の恩人様用に特上肉で!」

 「はいよ、命の恩人様とあっちゃ腕によりをかけないと。 あと、うちの肉は全部が特上肉だから変な注文はやめな」

 

 注文を聞くなり、サラさんは大きなフライパン片手に調理場の方へと戻って行く。

 そのフライパンは店に似合わずピカピカに磨き上げられており、得意げな顔で席に座るサクヤの顔が反射して映るほどだ。

 あんな大きなフライパンで作るホットサンドは一体どれだけ大きいんだろう。

 お腹から出る大きな音と一緒によだれまで溢れてしまいそうだ。


 「ほら、座って座って!」

 

 サクヤに促され、向かいの席に座る。

 子供には大きすぎるその椅子は、座った瞬間ミシミシと小さな悲鳴を上げていた。

 鞄を床に下ろし、ベルトの装備もそこへしまう。

 僕の鞄がちゃんと立っている一方で、サクヤの鞄はもうくたくたのバターのようになっていた。

 

 「ここのホットサンドは本当に大きくて安くて美味しいんだ! 私なんてほぼ毎日食べてるんだよ!」

 「そうなんだ、僕はアーロンさんの露店のサンドイッチが多いかな」

 「あ、知ってるよ! 露店通りの一番初めでしょ?」


 ホットサンドが出来るまでの間、僕たちはお互いの食生活や簡単な身の上話、どうして冒険者学校に入ったか、などを語り合う。

 それによれば、サクヤも拾われた孤児でこの店の2階に住まわせて貰っており、サラさんとは親子同然なのだとか。

 当面の生活費と開発費、ゆくゆくは旅に出るのを目標に冒険者学校へ入ったのだと言う。

 しかし成績はいまいちで、魔法も使えない事から目標達成の目途が立っていないらしい。

 

 そんな話をしていると、ついに念願のホットサンドがその姿を現した。


 「はい、おまちどう。 『サラ特製スペシャルホットサンド、命の恩人様へ』だ」

 「うわぁ~」

 

 サクヤが感動の声をあげるのも無理はない。

 たったふた皿でテーブルを埋め尽くすその大きさ。

 上下の焼いたパンからはみ出す脂身たっぷりのこんがりと焼けた肉。

 肉の足元を支え、溶け出した脂を受け止めるカラフルな野菜たち。

 そして、上のパンと肉の間には、具材全てを包みこむように滴る香りの良いチーズが2枚と、ぷりっと焼かれた黄身の踊る卵。

 さらに、崩れないようホットサンドを貫くナイフには、こんがりと焼かれたジャガイモが何枚も。

 

 その圧倒的なボリュームもさることながら、塔のように積み上げられたその芸術性と食欲をそそる香ばしくスパイシーなその香りに、思わず言葉を失ってしまう。

 

 「では、いただきます」


 サクヤは慣れた手つきでナイフを外し、両端を手に持ってそのままガブリ。

 はみ出した肉を嚙み切ると恍惚の表情で咀嚼している。


 「い、いただきます」


 僕は、あまりの迫力に圧倒されていた。

 こういう時は先人に倣おう。

 サクヤがしたように両端を持ち、香ばしく焼き上げられた飴色の厚切り肉を一口かじる。

 するとどうだろう、口に含んだ瞬間いっぱいに広がる様々なスパイスの香り、ほどよい辛み。

 それを追うように、肉からあふれ出す肉汁と、調味料による魅惑的な甘さ。

 脂のくどさなど微塵も感じさせず、ただただうまみだけが口内を満たす。

 

 サラさんは、料理の神ではないだろうか。

 肉を一口かじっただけで、そう思えた。


 その後は思考を放棄し、ただただ感動のままこのアーティファクトとも呼べるホットサンドにかじりついた。

 時間にしてほんの数分、数秒だったかもしれない。

 口とお腹いっぱいに広がる幸せをかみしめている間に、いつの間にかホットサンドは姿を消していた。


 「ごちそうさまでした! どう、美味しかったでしょ?」

 「うん……サラさんは料理の神様?」

 「はっはっは! もしかしたらそうかもしれないね!」


 食後のミルクを飲みながら、幸せなひと時を振り返る。

 こんなに美味しいホットサンドが食べられるなら、全てを投げ出してここに住んでも良い。

 

 その後はサクヤの命の恩人となった経緯を話し、サラさんが見た事が無いと言う魔法を何種か披露し、導きの儀式で受けた祝福の事、旅に出るという目標がある事などを話した。


 そうしているうちに外はすっかり暗くなり、小さな窓からは何も見えなくなっていた。

 

 「そんな恩人様からお金は貰えないし、今日はどうせサクヤの卒業祝いだ、お代はいいしうちに泊まっていきな」

 「そんな、いくらなんでも悪い……」

 「泊まっていきな」

 

 扉をバタンと閉められて、有無を言わさぬ満面の笑みでそう釘を刺された。

 こうなっては、もう泊まっていくほかあるまい。


 「じゃあ、お言葉に甘えて……」

 「決まりだ。 すぐそこの抜け道から公衆浴場に行けるからふたりともついといで、このあたりで私を襲おうなんて馬鹿は居ないから」


 眠い目を擦り、今にもテーブルに突っ伏して寝てしまいそうなサクヤをサラさんは摘まみ上げ、大きな鞄から着替えの服を取り出すと、そのまま担いで店の外へ出て行ってしまう。

 僕はそれを追いかけて店を出て、サラさんからはぐれないよう、その後を追いかけた。

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