第7話 洞窟の主
悲鳴に驚き、扉から一度手を離す。
声の主は恐らく女性。
それも、俺と同じくらいの少女のものだ。
ダンジョンの途中で手に入れた回復薬はベルトの薬瓶掛けに掛かっている。
防御の魔法石もすぐに取り出せる。
左右の手で同時にそれを確認し、俺は扉を勢いよく開け放った。
バーンと、扉と石壁がぶつかった大きな音が響く。
扉の先にある広間の中央には、尻もちをついた状態の少女と1mはありそうな大きなスライムがおり、スライムは今まさに飛び掛かろうとしている。
「これを!」
回復薬の瓶と防御の魔法石を少女の方に投げ、スライムには炎の魔法石を投げつける。
革の小手から焦げ臭い匂いがしているが、それ以前に、この広間には鼻を突く刺激臭が立ち込めていた。
刺激臭の元はあのスライムだろう。
少女の脇に転がった、刀身がボロボロになった剣。
恐らくこのスライムは、強い腐食性を持っている。
小さな火球と化した魔法石がスライムの体にめり込む。
スライムは体に入ったそれを嫌い、身震いしながら広間の奥側へと飛び退いた。
薄黄色で半透明の体の中には光を反射する破片がいくつか見える。
やはり、このスライムが少女の持っていた剣を溶かしたのだ。
少女は怯えた顔をしながらも立ち上がろうとしている。
スライムへと投げつけた魔法石は溶かされてしまったようで、残念ながら決定打にはなっていない。
それどころか、広間の天井付近には黄色い雲が出来てしまっていた。
この時点で反省点が2つ。
一つ目は、少女に防御の魔法石を投げた事。
扉の脇に火の付いた松明が掛けられていたのだから、少女が魔法を使えない事は十分予測出来た。
次に、スライムが腐食性を持つとわかっていながら火を使った事。
今回は雲が出来た程度で良かったが、もし空気より重い毒性のガスが発生していたら俺たちは死んでいたかも知れない。
広間の奥に行ったきり動きを見せないスライムを睨みながら、俺はあくまでも冷静に立ち回ろうと頭を働かせる。
物理攻撃の効かない、大型の腐食性スライムを倒すには、やはりこれしかないだろう。
ポーチの中から氷の魔法石を取り出す。
これをショートソードに付けて斬り込めば、断面から凍結し剣を守りながら動きを止めることが出来る。
咄嗟に浮かんだ作戦通り、剣を構えてスライムの方へじりじりと距離を詰めていく。
3m、2m、1m。
踏み込んで斬りかかれば手が届く、そんな距離。
不気味に震えるだけのスライムは、ここに来て予想外の動きを見せた。
自ら体をふたつに分裂させ、素早い動きで左右からこちらへ向かって来たのだ。
予想外の行動に驚きつつも、元々飛び掛かってくるのを警戒していたのだから大差は無い。
半分ほどの大きさになった左のスライムを迎え撃つように大きく一歩踏み込み、中央から真っ二つに両断する。
スライムは斬られた面から体全体が凍結し、完全に動けなくなった。
左側のスライムの無力化を確認し、急いで右側のスライムを迎え撃つ。
と、来るはずの追撃が来ない。
一瞬呆気に取られてしまい後ろを振り返ると、そこには少女へと一直線に進むスライムの姿があった。
スライムは生き物を取り込み、吸収する事で自分の力へと変える。
このスライムは俺に敵わないと悟り、勝てる可能性の高い少女の方を狙ったのだ。
急いで助けに行こうとするもののスタートの遅れは致命的だ。
この位置からでは、床にねちょねちょと黄色い粘液を残しながら進むスライムを目で追う事しか出来ない。
ポーチの中から投げつけられそうな魔法石を必死で探しながらスライムを追う視線の先、そこには体勢を持ち直し、スライムと相対する少女の姿があった。
向かってくるスライムに対して正中線上に短剣を構える少女。
その顔は決意に満ちた表情をしていて、先程までの怯え切っていた少女とは別人のようだ。
そして、スライムが飛び掛かったその刹那、少女の持つ短剣から爆発が起こった。
突然の熱と轟音。
俺は、気付いた時には頭を抱えて床に丸くなっていた。
耳からはキーンという高い音がするだけで周囲の状況はわからない。
ようやく耳鳴りが治まり顔を上げると、そこには爆発の反動で吹き飛ばされたのか、大の字で床に寝る少女の姿と、5cmほどの魔石が転がっていた。
少女に駆け寄りたい気持ちを抑え、まずは凍ったスライムに衝撃の魔法石を付けた剣でとどめを刺す。
凍ったスライムは剣が触れると同時に砕け散り、後には魔石だけが残った。
万が一のことを考えて、回復薬と治療のルーンを用意しながら少女へと近づく。
あれだけの爆発があったのだから、体は無事でも耳や目はダメージを負っているかもしれない。
心配しながらも急いで少女へと駆け寄ると、少女は目を点にして天井を見つめていた。
「あの、大丈夫?」
見た所出血は無い。
俺の顔を目で追っているあたり意識や視力も無事だろう。
少女の黒い瞳がこちらを真っすぐに見据える。
「何とか。 ちょっとびっくりしたけど」
ちょっと?
小規模ながらも高温と轟音、閃光を放ったあれがちょっとで済むとは到底思えない。
「回復薬は要る?」
「ううん、受け身も取れたし大丈夫。 日ごろの鍛錬が実を結ぶとはこの事だね」
少女は思ったより無事なようで、今は体を起こしてぱんぱんと袖の汚れを払っている。
黒い長髪に黒い瞳。
ゼウスには珍しい。
「君も卒業試験に?」
「うん、途中までは楽勝だったんだけど、まさか剣が溶けちゃうなんて」
立ち上がろうとする少女に手を貸す。
少女の体は見た目より重く、爆発の影響もあってか少しよろけてしまった。
「ありがとう、君が助けてくれなかったら今頃スライムの一部かも。 私はサクヤ、君は?」
そう言って、笑顔で握手を求めてくる。
「カイン。 その奥の手があるなら大丈夫だったんじゃない?」
こちらも自己紹介をしながら握手に応じる。
サクヤはあはは、と笑って頭を搔いていた。
自己紹介を軽く済ませ、俺たちは試験修了の証となる停滞のルーンの写しをとる。
停滞のルーンはボス部屋の最奥にある柱のひとつに刻まれており、そこだけが明らかに異質な重々しい空気を放っていた。
こうして写しをとらせる事で能力のあるものは停滞のルーンを会得し、次の冒険に活かすことが出来る。
冒険者学校らしい、実用的な卒業証書だ。
「私、魔法使えないんだけど」
「それでも卒業の証だからちゃんと写さないと」
隣では、サクヤが子供の落書きのような停滞のルーンを誕生させている。
ルーンは簡単な線や図形の組み合わせであり、もしサクヤに魔力があったならこの落書きも爆発していたかもしれない。
こうしてルーンを写し終え、俺たちはダンジョンを後にする。
これにて試練の洞窟は無事クリア。
晴れて冒険者学校卒業という訳だ。
ダンジョンを出ると、太陽はもう真上を通り越していた。
すっかり忘れていたが、ゼウス周辺は寒期が終わって暖期に入る真っ最中。
暖かな太陽も冷たいダンジョン帰りには厳しく、今まで潜んでいた汗が一斉に噴き出してきた。
「あっついねー」
サクヤが空を見上げ、革の帽子を外し、手で顔を仰ぎながらそう嘆く。
「ほんとにね、暑くて仕方ないよ」
本当は今すぐにでも脱いでしまいたいがこのあたりにも魔物は居る。
町に帰るまでは我慢しよう。
と、サクヤは鉄の胸当て、腕当て、脛当てまで全て外し、全て鞄にしまい込んでいる。
鉄製な分着ていると暑いのはわかるが、いくらなんでもここで脱ぐのはどうなのだろう。
「町に帰るまでは着てた方が良いんじゃない?」
「いいのいいの、いざとなったらカインのルーンもあるし」
どうやらすっかりあてにされてしまったようで、サクヤは嬉しそうな顔でそう言うと、悠々とした足取りでゼウスへの石畳の道を進んで行く。
一度助けただけの冒険者をこうも信用して大丈夫なのか。
ゼウス周辺ならまだしも、周辺諸国や他の大陸では命取りにならないか。
そんな俺の心配をよそに、サクヤは早く早くと急かしてくる。
サクヤの体格に見合わない大きな鞄に、腰から下げた剣が大小合わせて3本。
ナイフの大小2本と合わせて合計5本にもなるその重装備の、どこにこんな体力があるのだろう。
そうして、サクヤに急かされるまま足早に道を進む。
「そういえば、スライムを倒した爆発は結局なんだったの?」
「あー、あれは私の秘密兵器、爆発ダガーのおかげだよ」
「爆発ダガー?」
町まで残り半分程度まで進んだ頃、サクヤに気になっていた爆発の謎を聞いてみた。
魔法の使えないサクヤでも使える爆発ダガーとは、どういうタネがあるんだろう。
「何かが触れると爆発する爆破液でドカンとね」
「そんなのを塗ったダガーを持ち歩いてたの?」
「まさか、鞘から抜くときに付けてるんだよ、ほら」
そう言ってサクヤが見せてくれたダガーの鞘は鉄製の二重構造になっており、普通の鞘と比べると明らかに大きくて重い。
仕組みは見てもわからないが、なんだかすごそうなのは確かだ。
「外側の鞘に爆発液が入ってて、内側の鞘は氷石で出来てるんだ、爆発液は冷えてると爆発しないから。 で、このダガーの鍔が蓋の役割をしててね、引き抜くとここの隙間から爆破液が滲んできて刃に付くの、ほら」
サクヤは目を輝かせ、早口で仕組みを説明してくれた。
正直いまいち理解出来ないのだが、中々こだわって作られているようだ。
「って、これどうしよう……」
「貸して」
説明をしながらダガーを引き抜いた事で刃には爆破液が付き、それを掲げたサクヤがどうしたものかと困った顔をしている。
説明に夢中になるまでは良いが、それで爆発されてはこちらが困る。
サクヤからそっとダガーを受け取り、防御のルーンで補強した革袋の中に入れた。
ドーンという轟音が鳴ったものの革袋は無事で、それを支える俺の手にも何の傷も無い。
が、袋を開けると中のダガーは刃が折れてしまっていた。
「あー……流石に寿命か。 また作ろっと」
サクヤは全く気にしていないようで、また悠々とゼウスへの道を進む。
俺はとんでもないやつと知り合ってしまったんじゃないかと若干の不安を覚えつつ、サクヤを追って帰路を急いだ。
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