第2話 人生の始まり

 「続いて天使の加護と悪魔の加護、こちらは私たちが貴方に与える加護で、内容は与える天使と悪魔によって変わります。 悪魔とは後ほど交渉して貰うとして、私からはこちらを」


 板に『絶対正義』の文字が刻まれる。

 これが天使からの加護なのだろう。


 「良い事をした分だけこの世界を生き抜くための力を分け与えます。 私の持つ上位存在としての力の一部なので、この世界で平凡に生きて行くのであれば困る事は無いでしょう。 ただし、悪い事をしたら内容に応じたペナルティを与えます」

  

 神に祈るような動作をし十字を切る。

 するとほんの少しだが、体の中から熱のようなものを感じた。

 天使の言っていた天国ポイント、とやらが関係しているのだろうか。


 「天国ポイントは天使の口癖みたいなものだから関係ないよ。 あと、この加護が良いものだと思っているなら気を付けて。 たぶん善行でもらえる力より悪行でもらえるペナルティの方が何倍も大きいから」


 隣で退屈そうに話を聞いていた悪魔がそう囁き声で教えてくれた。

 天使から守ってくれると言っていたが、どうやら悪魔には考えている事が筒抜けなようだ。

 ただ、この悪魔なら考えている事でどうといった事はなさそうなので特に問題はないだろう。


 「悪魔は元々人間の事が好きだし、君は私の担当だから特に好きだよ」


 悪魔は耳元で続けて囁いてくる。

 噂に聞く悪魔の誘惑をこうして直に受けているのだが、これなら思わず誘惑に負けてしまうのもわかる気がする。

 天使の態度が機械的なのもあって、なおさら悪魔に親近感を覚えてしまっていた。


 「そんなに悪魔の事が好きなら後は悪魔にお任せしましょう」


 天使はそんな俺を冷たい視線で一瞥した後、ふわりと上空へと消えてしまった。

 動作自体は優雅で美しいものだったが上昇するスピードは凄まじく、ものの数秒で見えない高さまで上がって行ってしまう。

 上位存在というものはやはり俺たちとは比べ物にならない力を持っているようだ。

 天使を見送ってから悪魔は俺の正面に立ち、天使の出した板とは別の小さな板を俺に差し出した。


 「じゃあ私からの加護だけど、私は悪魔だから当然取引だよ。 将来地獄に行く、って約束してくれるなら可能な限り、望むもの全てをプレゼントしちゃうけど?」


 悪魔の瞳は更に深い紫に染まっており、こちらの心の中どころか俺という存在の過去や未来、自分の知り得ぬ欲望や可能性まで見透かされているような気がしてくる。

 こうして悪魔は抗えない魅力的な条件を相手に与え、契約してきたのだろう。

 そして、契約してしまった人間がどうなるか、これは今さら考えるまでもない。

 

 「君は地獄に堕とされる訳じゃないよ? 自ら地獄に出向くんだから、私たち悪魔もお客様待遇でお出迎え、ゆくゆくは立派な悪魔として地獄を支えてもらうんだ」

 「地獄で苦痛や罰を与えられたりは……」

 「ないない、君は生前も善行の方が多い優秀な人間だから。 人間の善悪を決めて天国と地獄に振り分けるのが神の仕事でも、人間世界で人間を裁いて罰を与えるのは人間の仕事だったでしょ? だから私たちの地獄では、人間に罰を与えるのは元人間の悪魔に任せてるんだ」

 

 私たちの地獄、元人間の悪魔。

 気になるワードがいくつか出て来たが、それよりも気になる点がひとつ。


 「最終的に行き先を決めるのは神なのに、自ら望んで地獄に行けるのか?」


 それを聞くと悪魔はニヤリと笑い、俺の胸の位置に手を置いて、また何かを囁こうとする。

 俺は思わず身構えてしまい、こちらへ詰め寄る悪魔の肩に触れてしまった。

 悪魔は嬉しそうな顔で肩に置かれた俺の手に自分の手を重ね、そのままくるりと背を向けて、俺の胸に背中をつけた姿勢になる。

 何をしているかわからず困惑している俺をよそに悪魔はそのまま俺の両手を取り、自分の腰のあたりに回してしまった。

 こうして図らずも、俺は悪魔の体を背中から抱くような姿勢になってしまう。


 「神がそうせざるを得なくなるような、悪い事をたくさんしたら良いんだよ、人に危害を加えるのが嫌なら堕落しきれば良いんだ。 言ったでしょう? 私と面白おかしい何不自由の無い旅に出ようって」


 甘い香り、柔らかな感触、脳に直接響くような心地の良い声。

 全てが俺の脳に雲をかける。

 ただそんな最中にありながら、頭のどこかではそんな自分を客観的に見れている。

 自分自身の気質がそうさせるのか天使の加護の効果か、このまま誘惑に流される事は無いだろう。


 「はい、離れて下さい。 私の前で人間を誘惑するとは、流石に許されませんよ?」


 いつの間に戻って来たのか、天使が俺と悪魔を引き離し、悪魔に向けてものすごい殺気を放っている。

 自分に向けられたものでは無いというのに俺の体は指一本動かず、へらへらしながら引き剥がされていく悪魔を、ただじっと見る事しか出来ない。


 「効かないんだからここならセーフでしょ? ほら、私消滅してないし」

 「早く加護の話をしなさい。 私たちの持ち時間が過ぎますよ」


 天使の殺気が消え、俺の体はようやく動かせるようになる。

 消滅、持ち時間。

 気になるワードが続出しているが、もうこれ以上聞くな、という天使からの無言の圧が体に突き刺さる。


 「時間も無いし、私の加護は『悪魔の取引』、私といつでも取引できる権利と、誰かを私と取引させられる権利をあげるね。 また世界に降りてからじっくり取引しよう」


 悪魔から渡された板に『悪魔の取引』と文字が追加される。  

 これで加護3つが出揃った。

 天使の加護改め『絶対正義』、悪魔の加護改め『悪魔の取引』、神の加護改め『やり直し』。

 この3つの加護をもって、この異世界で旅をしろという事か。


 「では最後に、貴方の旅が始まる場所を決めましょう。 森、海、山など環境の指定や安全性の指定、町の指定であれば創った神の名前や系統でも指定が出来ます」


 結局悪魔に変わり天使が進行するようで、板には文字の代わりに地図が写されている。

  

 「じゃあまずは出来るだけ安全な所で、色々な事が勉強できる町にしてください」

 「となると第一候補は帝都ですね、ここはこの世界の大部分を治める皇帝の住む、最も大きく安全な町ですから」

 「その皇帝は神なんですか?」

 「いいえ、この世界の統治は人間が行っています。 神は世界を創り、王を導く事で人間を導く。 神は人間ひとりひとりを導くほど暇ではありませんから」

 

 天使にとってはやはり神が一番で、人間やそれ以外にはさほど興味が無いのだろう。

 神について話す時とそれ以外について話す時との態度の差でそれが如実に伝わってくる。

 

 「この世界で生きるための知識はこの世界で学ぶのが良いでしょう。 帝都で生まれたひとりの子供として、最後の旅を行いなさい」


 天使がそう言い終わるや否や足元が光り始め、天使と悪魔はまた手を取り合って空高くへと舞い上がって行ってしまう。


 こうしてろくに記憶も無いまま、俺はプルガトリウムの帝都にて新たな生を得て、旅を通して天国行きか地獄行きが決められる。

 ここまで話を聞いても全く実感の湧かない話だが、少なくとも、与えられた加護の力が本当に使えるのであればそこまで大変な旅にはならないだろう。

 せっかく空想の世界などという楽しそうな世界で新たな一生を送れるのだから天国だの地獄だのは一旦置いておいて、まずはこの世界を楽しもう。

 そんな希望を胸に、俺の意識はゆっくりと消えて行った。


 「おはよう。 天使はよほど何かないと現れないから、ここからはしばらく私の話に付き合ってね」


 目の前には木で出来た薄暗い天井と、悪魔の顔。

 俺はどうやらベッドに寝ており、それを悪魔が覗き込んでいるようだ。

 視線を逸らすと見えてくるのは机に置かれた微かなランタンの灯と小さな窓。

 窓からは星々に満ちた美しい夜空が見えている。

 ベッドはとても固い材質で、木で出来た枠組みの上に布を敷いただけのように思える。

 体に掛けられているのも絨毯のようなごわごわとした織物で、寝心地が良いとはとても言えない。

 そして、その織物を持つ俺の手は、まるで子供のように小さくなっていた。


 「無視? あんまり冷たくすると帰っちゃうよ?」


 ベッドで横になった姿勢の俺に、悪魔は不満そうな顔を目と鼻の先まで近づけてくる。

 これはつまり、もうすでに俺は生まれており、自分で考えられる年齢になっている、という事だろう。


 「冗談だよ。 いきなり目が覚めたら知らない場所で自分は子供なんだから仕方ないよね」

 

 心底楽しそうな満面の笑みで悪魔はそう言った。

 そう、言われた通り、俺はまだ頭の整理が全く出来ていない。

 ここに来るまでの記憶と、恐らくこの世界で今まで生きてきて得た記憶とが頭の中で渦巻いている。

 恐らく両親なのであろう男性の顔と女性の顔、飲んだ事無いはずのスープの味、見た事ないはずの露店の数々。

 急に溢れだす記憶の奔流に、頭が割れそうな程痛む。


 「また落ち着いたら話をしよう。 ようこそ、ここは帝都ゼウスだよ」


 悪魔の優しげな声を聞きながら、俺の意識はゆっくりと闇に飲まれていく。

 あまりの情報量に脳が耐えきれなかったのだろう。  

 感覚を失うにつれ痛みが引いて行くのに安心感を覚えながら、俺はベッドの中でもう一度眠りについた。

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