異世界煉獄プルガトリウム

Sierra

いざ異世界へ

第1話 死後の世界

 自分がどうやって死んだのかは、みんな覚えていないらしい。

 死ぬ寸前の記憶があると、ここに生きている自分が何者かわからなくなってしまうから、だそうだ。

 俺がここに来て初めて与えられた情報は、自分がすでに死んでいる事、記憶が消されている事、ここがプルガトリウムと呼ばれる異世界である事、そして、ここでの旅の結果で天国行きか地獄行きかが決まる、という事だった。

 それらを教えてくれたのは今、目の前で宙に浮いている双子のような女の子、天使と悪魔だ。

 

 「少しも動じないとは見上げた根性です、天国ポイントをあげましょう」

 

 透けて向こう側が見えそうな程の純白のワンピースに身を包み、ウェーブがかった金髪が見目麗しい方が天使。


 「ほら、その天使は帰らせて、私と面白おかしい何不自由のない旅に出ましょう?」


 全ての光を吸い込み、体のラインすらわからない程の漆黒に染まったワンピースを身に纏い、長いストレートの黒髪が目を惹いてやまない方が悪魔。

 

 ふたりとも若い見た目をしているが、俺の背丈に近い大きさの純白、漆黒の翼を携えているあたり、本当に天使と悪魔なのだろう。

 ただ、ふたりは全く争うような素振りを見せず、まるで仲良し姉妹のように手と手を取り合って、眼下に立つ俺の姿を満面の笑みで眺めている。

 

 「はぁ」


 こんな状況がすぐに受け入れられる筈がない。

 見渡す限り地面の起伏も、壁も、天井も無い真っ白の空間。

 現実には存在しえないであろうその光景と、宙に浮かぶ天使と悪魔。

 一切の記憶が無い自分。

 状況の一致度から彼女たちの言う事が本当である可能性は高いのだが、普通、死後の世界がどうとか異世界がどうとか言われて信じられるものだろうか。

 

 「暴れたり、取り乱したり、泣き叫んだり。 人間の感情は様々あって面白いのだけど、貴方は今どんな感情?」


 悪魔が目の前まで降りてきて、そう優しげに語りかける。

 小首をかしげて興味津々といった様子で、そこに悪意は感じられない。

 腕を組んで少し考えていると、悪魔の黒い瞳が濃い紫色に光った。


 「貴方はまだ現実が受け入れられないんだ? 仕方ないよ、こんなの急に言われてもわかんないよね」


 その瞳を見ているとまるで心の中を見透かされているようで落ち着かない。

 口では優しげな事を言っているが、悪魔である以上どこまでが本心かわかったもんじゃない。

 頭ではそう思っているが厄介なのは、一度見たら目が離せなくなるような、妖しい魅力がある事だ。

 

 「現実を受け入れられないのは用心深さの表れですね、慎重な人はそれだけで素晴らしい事です、天国ポイントをあげましょう。」


 天使もふわふわと俺の目の前に降りてきて祈るようなポーズを取る。

 天国ポイントが何かはわからないが、それで天国に近づけるのならぜひ貰っておきたい。

 これが現実にせよ何かの冗談にせよ、どうせ行くなら地獄より天国だ。

 天使の方も見目麗しいという言葉がまさに形になったような見た目をしており、その美しい金髪とサファイアのような青い瞳が相まって、悪魔とは違う、正統派の魅力を感じてしまう。

 

 「人間である以上、異性を外見で評価してしまうのは仕方のない事です。 私はそれを罪とは思いませんよ?」


 天使はにっこりと笑ってそんな事を言う。

 それを聞いて、俺は背筋に悪寒が走った。

 この天使は俺の心が読めている。

 それどころか、心を読んだ上でそれが罪であるかどうか裁こうとしているのだ。

 

 「天使は単純バカだから。 心を見透かされるのって気持ち悪いでしょ、私が守ってあげるね」


 得意げな顔をしていた天使の頭をコツンと叩き、悪魔は俺の頭に手をかざす。

 何をしたのかはわからないが、これで天使から心を読まれなくなったのだろうか。


 「悪魔の行動はコミュニケーションの一種として捉えますが、相手との信頼関係に応じてコミュニケーションの手段は選んでくださいね?」

 「わかりやすく翻訳するとお前が私に同じ事をしたら殺す、って事だから真似しちゃダメだよ?」

 「強い言葉は推奨できませんが、わかりやすく伝えるという意味では適切です、セーフとしましょう」


 ああ、本当にこのふたりは人間じゃないんだ。

 楽しそうに会話を交わすふたりだが、その合間合間に空間が凍るような緊張感が走っている。

 本能で命の危険を感じるその圧に、否応なしにこのふたりが人知を超えた存在であると理解させられてしまった。

 こんなふたりを前にして、俺はいつまでこの真っ白な空間に居なくてはならないのだろう。


 「そんな、怯えた顔をしないで? 私は貴方たち人間の味方だし、この子だって人間に直接手を下したりしないから、天使は神の僕だものね?」

 「はい、人を裁くのは神によってのみ。 私の一存で人の生き死には決められません」

 「という訳だから、安心して貴方の望む旅の始まりを決めましょう」

 「あの、旅の始まりを決める、とは?」


 今は一刻も早くこのふたりから離れたい。

 もしこのふたりがその気になったなら、俺の首をはねるなんて造作もないのだ。

 このまま圧倒的な存在と相対していては、それだけで精神が擦り減ってしまう。

 そんな思いとは裏腹に、俺の口は冷静に質問を発していた。


 天使と悪魔はまた手を取り合ってふわりと高度を上げる。

 それを目で追っていると、その視線の先に見慣れぬ地図が現れた。

 それは大きな島のようで、中央に大きな大陸がある以外は周囲を海に囲まれている。

 スケールはわからないが、そこに書かれた国境のような境界線の数から言って、かなり広大な土地に違いない。

 これはこの世界の地図なのだろうか。


 「これがこの世界プルガトリウム。 大きな大陸がひとつで周りは海。 今わかってるのはこの範囲までだから、貴方は好きなところを選んで良いよ」

 「これは神から与えられた共通の権利です。 それに感謝し、また覚悟して選択して下さい」

 「あの、もう一つ質問しても良いですか?」

 「いいよ」

 「どうぞ」


 質問する権利に関してはすんなりと受け入れられ、天使と悪魔の視線が俺に集まる。

 

 「今わかっている、とは?」


 それを聞くなり悪魔はニヤリと笑い、天使ははぁ、と小さく息を吐いた。


 「悪魔の失言です。 これは神に報告するか、彼に記憶処理を施すしかありませんね」


 天使は祈るように手を重ね、目を閉じ、天を仰ぐ。


 「とても素晴らしい注意力だ、この世界はそこに住む人たちの知らない部分が存在しているということだよ。 当然、それを知っているのは私たち上位存在だけなんだけど」


 悪魔は妖しい笑みを浮かべながら俺を見下ろし、祈る天使の手に手を重ねた。


 これは、聞いてはいけない事だったんだろう。

 天使の言う記憶処理がなんなのか、悪魔はなぜそうも楽しそうな顔をしているのか、気になる点は他にもできたが、今はそれ以上に命の危険を感じている。


 「記憶処理は降り立つ時にいたしましょう。 痛みはありませんし忘れている事すら忘れられるので何の問題もありません。 貴方の旅には何の影響も無いでしょう」

 「勝訴、無罪。 私はちょっと怒られたけど、記憶を消すだけだから大丈夫だよ」


 何が行われていたのかはわからない。

 ただ、有罪になった場合どうなってしまうのかはわかる気がする。


 「じゃあここからはチュートリアルだ。 基本的なところは天使の管轄だから、わからない事は彼女に聞いてね」


 悪魔はそう言うと繋いでいた手を離し、俺の隣に降り立つ。

 彼女が地面に降り立ったその瞬間、花のようなお菓子のような、甘く、とても良い香りが漂ってきた。

 それを知ってか知らずか、彼女は妖しい笑みを浮かべて俺の顔を覗き込む。

 思わずドキッとしてしまうようなその表情は、こんな状況だというのにとても扇情的に見えた。


 「ではまず基本的なルールを」


 天使が何もない空間に手をかざすと、どこからともなく何も書かれていない板のようなものが現れた。

 板は大理石のような滑らかで艶のある材質で、周りの空間と同じ白い色をしている。

 

 「旅の結果で天国へ行くか地獄へ行くか決まる、と言いましたが具体的には結果よりその過程です。 旅の中でとった行動のひとつひとつが天国へ行くか、地獄へ行くかを決める材料となるので注意してください」


 天使がそう言い終わると、板に『行動のひとつひとつが天国行き、地獄行きを決める』と黒い文字が浮かび上がる。

 この板は要点をまとめて表示してくれるようだ。

 

 「次にこの世界の概要ですが、この世界は人間の想像を元に神が創り上げた空想の世界です。 通常世界は人間に任せていましたが、こちらの世界は神主導であるため、神との関わりの薄い近代科学や工学は存在していません。 機械、銃、コンピューターなどは諦めて下さい」


 『神の創り上げた空想の世界』と板に表示される。

 神主導の世界とは、果たして現実世界とどう違うのだろう。


 「これだけではわかりにくいので具体例を挙げましょう。 この世界には魔法、呪術、まじない、天使、悪魔、妖怪、怪物、魔物など、人間が古くから存在を信じてきたものたちが実際に存在します」


 「そんな世界にただの人間が行くなんて……」

 「貴方の心配はごもっともです。 なので、貴方たちにはいくつかの加護を与えています」

 「加護?」


 俺が聞いた直後、板にいくつかの文字が浮かび上がる。

 『天使の加護』、『悪魔の加護』、『神の加護』。

 

 「この中で貴方が選べるのは天使の加護の内容と悪魔の加護の内容のみ。 神からの加護は『やり直し』です」

 「やり直し?」

 「貴方がやり直したいと思った事をやり直すことができます。 怪物にあって殺されてしまった、手違いで人を殺めてしまった、お昼ご飯に食べたメニューが気に入らなかった、など、理由を問わず全てやり直しが可能です。 やり直したいと思った地点から何度でもやり直すことができ、記憶や経験は全て引き継がれます」


 神の加護だとしても内容が凄すぎる。

 そんなタイムリープのようなものが可能なら、全てを自分の意のままに操る事ができてしまうのではないか。

 

 「ですが忘れないで下さい、神は貴方の行動のひとつひとつで天国行きか地獄行きかを決められます」

 

 天使の目が鋭く、とても冷たいものに変わる。

 神はこの、まさしく神がかり的な能力をいち人間である俺に加護として与え、その力で何を成すのか、それを審判しようというのか。

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