お兄ちゃんと呼んでくれ

「景清」

「はい」

「オレとお前の関係は?」

「叔父と甥です」

「ピンポン大正解。でもさ、叔父と甥って割にはあまり歳の差も無いわけで」

「はぁ、まぁ」

「だからさ、オレお前に呼ばれててもおかしくないと思うんだよ」

「何をですか?」


「お兄ちゃん」

「は?」



【お兄ちゃんと呼ばれたい】



「……え? なんて?」


 僕は大学の課題から顔を上げ、今し方信じられない単語を発した藤田さんの顔を見た。テーブルを挟んで向かいに座る彼の目は、もう真剣そのものである。

 怖。笑ってろよ、せめて。


「お兄ちゃん? お兄ちゃんと言いましたか?」

「言ったね。オレは景清にそう呼ばれたい」

「アンタそんなキャラじゃないでしょう」

「じゃあどんなキャラだってんだよ。どう考えてもお前にお兄ちゃんって呼ばれながら夜の営みにもつれ込むキャラだろうがよオレは」

「一息で言った。こっわ。そしてキッモ」

「女子高生みたいな反応をすんじゃねぇ」

「女子高生にしたら通報もんですけどねコレ。いや僕相手でも相当ヤバいけど……」


 しかし、何はともあれ“お兄ちゃん”である。まあこの人には昔からお世話になってるし、何なら一度だけなら呼んでやるのもやぶさかではないが……。


「……」


 藤田さんの端正な顔をチラッと見る。

 僕の視線に気づいた彼は、無邪気に首を傾げた。


 ――多分、言ったら言ったで一生ネタにしてくるんだよなぁ……。


 あと、こっそり録音機とか仕込んでいそうである。そして折に触れては再生してくるのだ。「この頃はこんなに可愛かったのに……!」とかありもしない妄想を垂れ流しながら。

 恐らくする。コイツならする。なんで唯一の身内にこんなまっすぐなマイナスの信頼を抱いてんだ僕は。


 葛藤していると、業を煮やした藤田さんが手拍子つきで催促してきた。


「呼ーんーでっ! 呼ーんーでっ!」

「……トータルで考えたら嫌ですよ……」

「トータルってなんだよ……。お!」

「お?」

「に!」

「に?」

「い!」

「い? ……あ、これ誘導尋問だ! その手にはのらねぇぞ!」

「だいぶ気づかなかったなぁ。……ちゃん!」

「ちゅん!」

「噛んだ! 可愛い!」

「あああああなんっだよコイツ!」

『ちゅん!』

「うわああああああ流すな!! そんでやっぱりコイツ録音してやがった! やめろ! 僕の声を流すな!」

「お兄ちゃんって呼んだら、データを消してやってもいいんだぜ?」

「なんって卑怯な……! いやそしたらアンタ、今度は“お兄ちゃん”の録音してくるだろ!」

『ちゅん!』

「やめろ!!」


 僕の言い間違いで肯定の意を示すんじゃない!

 もうやだコイツ! いい加減にしろよ!


「曽根崎さーん!」


 とうとう限界を迎えた僕は、いつもの机で新聞を読んでいた曽根崎さんを振り返った。もう虎の威を借る狐でも何でもいい。コイツから逃げられればそれでいい。

 いきなりご指名を受けた僕の雇用主は、新聞から目すら上げずに言った。


「……彼のツボを押さえるには、ちょっと舌っ足らずな感じで言ってみるのがコツだと思う」

「アンタも敵側かー!」

「さぁー景清、準備は整ったよ。レッツセイお兄ちゃん!」

「いやだああああ!」

『ちゅん!』

「やめろおおおおお!!」


 こうしてこの不毛な辱めは、十五分後に現れた阿蘇さんが藤田さんにゲンコツを喰らわせるまで、続いたのであった。

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