ぼくらのドキドキ♡バレンタインデイ
「それじゃあ大江さん、頑張って一緒に美味しいチョコを作ろうね」
「はい、景清さん!」
「ええ、景清!」
「頑張ろうね、景清!」
「……」
「帰れぇぇぇぇ!!」
【ぼくらのドキドキ♡バレンタインデイ】
「なんで柊ちゃんと藤田さんがいるんです! 僕は大江さんと二人でチョコを作るつもりだったのに!」
いつもの事務所にて。ベージュのエプロンをつけた大江さんの後ろにいるお邪魔虫二人に、僕は思い切り怒声をぶつけた。
柊ちゃんはというと、緑色のエプロンを美麗になびかせ、可愛らしく小首を傾げている。
「何って、みっちゃんから聞いたのよ。マサにバレンタインチョコを贈りたいから、景清さんに協力してもらうんですーって」
「いやその流れで普通ついてきます?」
「ボクだってチョコを贈りたい人ぐらいいるのよ! 今年は特に!」
「だからって……」
「すいません景清さん! ですがあの、材料もちゃんとご用意されてるようなので、よかったら柊ちゃんも仲間に加えていただけませんか……?」
「えー……まあ、大江さんが言うなら……」
「ありがとう景清!」
「藤田さんはまだ許してねぇ! つーかアンタ、どうやってこのイベントを知ったんです!?」
ニュッと割り込んできた藤田さんに、僕は尋ねる。ピンクエプロンの彼はえへへと破顔し、存在感を消している曽根崎さんを親指で指した。
「――普通に私用」
「じゃあマジで飛び入りじゃねぇか!」
「いやぁ、こんなこともあろうかとエプロンと板チョコを用意しておいてよかったよ。景清、混ーぜーてー」
「曽根崎さんへの用事を済ませたら帰ってください。アンタチョコ贈りたい相手とかいないでしょ」
そう僕がツッコむと、藤田さんは少しだけ悲しそうな顔をした。
「……実は、阿蘇に食べてもらいたくて」
「あの人、なんやかんやでアンタには甘いから大丈夫でしょう」
「ところがそうでもなくてさ。アイツ毎年アホみたいな量のチョコ貰うんだけど、何故かオレのだけは絶対食べてくれないんだよ」
「へぇ」
「まあ、食べたら食べたで救急搬送されてきたって過去があるからかもだけど」
「出たよデス・コック。それだわ原因」
指摘すると、藤田さんはしょんぼりとしてしまった。
……僕の背中に、善良なる大江さんの視線が刺さる。違う、違うんだ大江さん、この人聞いた通りの自業自得で……。
……あーもー。
「……仕方ないですね、僕の指示をちゃんと守ってくれるなら構いませんよ」
「!! 景清!!」
「ただし! 絶対妙なものは入れないでくださいよ! いいですね!?」
「アーモンドスライスとか?」
「そ、それは構いませんが……あれ、意外と大丈夫かも?」
こうして、僕らのバレンタイン大作戦は幕を開けたのである。
+++
「景清ー、チョコを溶かすのってレンチンで良かったかしら?」
「待って柊ちゃん、多分だけどアンタ……あああーっやっぱり! 電子レンジに銀紙ごと突っ込んでる!」
「景清ー、焼肉のタレ入れるのってこのタイミングでいいのかな?」
「ンなもんどのタイミングでも駄目に決まってるだろ! つーかやっぱ全然大丈夫じゃなかったわ! なんで焼肉のタレ!?」
「なあ景清君、味噌汁」
「今どう見てもそれどころじゃねぇだろ! すっこんでろオッサン!」
「あ、あの」
「何!!?」
「えーと、混ぜるのはこれぐらいでよかったですか? 確か次は型を取るというお話をされてたので、事前にキッチンペーパーを敷いておいたんですが……」
「……」
「な、何か?」
「……大江さんは、本当にいいお嫁さんになれると思うよ」
「え!? どうしました突然!?」
予測可能、回避不可能。大体イメージできていたとはいえ、あまりのカオスっぷりに本日唯一の癒しである大江さんに感動してしまう始末の僕であった。いやほんと、阿蘇さんがいないと一気に僕に負担が来るな……。
しかし、そうして一息ついている間にも柊ちゃんと藤田さんは止まらない。
「ねぇナオカズ、オーブンあっためるのってどうやるのかしらね?」
「そうだな。オレの経験だと、お腹の下に置いて自分の熱を与えていればいずれ……」
「あれ、今抱卵の話してません? オーブンから何を孵す気だアンタら」
このように一時も目を離せない状況が続き、ようやくひと段落した時には僕はもうぐったりと疲れてしまっていた。保育園の先生ってほんとすごいね。少しだけ気持ちが分かった気がする……。
だが、まだ次の生地を作る作業が残っている。よいしょとコンロに火を灯す僕の隣で、大江さんが材料を混ぜながら話しかけてきた。
「そういえば景清さん、ここに曽根崎さんがいらっしゃるのは構わなかったんですか?」
その質問に、僕はキョトンと彼女を見た。
そりゃあ、今の僕らは曽根崎さんの事務所を借りている身だ。よって彼がいるのは当然っちゃ当然なんだけど……。
「なんで? 邪魔?」
「そ、そういうことではないのですが。あの、景清さんはいいのかなと思って」
「僕が?」
大江さんの質問の真意が分からず、チョコを溶かす手を休める。彼女は少しだけ声を潜め、言った。
「……景清さんは、曽根崎さんにチョコを渡すんじゃないんですか?」
「おおおおん!?」
驚きのあまり、手が滑ってチョコが五分の一ほど吹っ飛んだ。やっちまった。
いやいやいや! え!? なんだって!?
「あげるわけないだろ! ナンデ!? ナンデ曽根崎!?」
「景清さん、今彼女はいないっておっしゃってたので……」
「彼女がいないからってオッサンにはあげないよ!? あの人はあれだ、味覚鈍いからヤバいのができた時の残飯処理班として置いてるだけだから!」
「そうなんですか?」
大江さんのとんでもない誤解をといている内に、チョコクッキーの第一陣が焼き上がる。同時に大江さんの意識もそちらに逸れ、僕はホッとした。
「すごい、すごいわ! ねぇねぇ見て見て! これボクが型を取ったクッキーよ!」
「あれ、焼き上がると結構形が違うんだねぇ。オレのはこれかな」
「ほらほら、あんまり近づくと火傷しますよ。取ってあげますから下がってください」
みんなを制し、クッキーをテーブルに置いた皿に並べる。甘い匂いが部屋いっぱいに広がり、ここにいるだけでお腹が空くようだ。
しかし、場所や熱さによっては焦げてしまったものもある。僕は、その中でも殊更に真っ黒になったハート型のクッキーを取り上げた。
「これ、曽根崎さんにあげてもいいですか?」
「あら、お熱いわね。それはボクが作ったものよ、持って行きなさい」
「ありがとうございます。あとは、これとこれも曽根崎案件として引き取って……」
「景清がハート型ばかりを確保していく……」
「景清さん……」
「違うからマジで違うから。ほんとなんでか知りませんがハート型ばかり焦げてるんですって。チクショウあげるのはやめだ全部僕が食って処理してやる」
というわけで、焦げたものを選別したあとは、綺麗な焼き色ばかりのクッキーが残った。中でも一際大きなクッキーを手に取り、柊ちゃんはご満悦である。
「これはボクのよ! なんだって大きい方がいいに決まってるわよね!」
「柊ちゃん、これ何の動物?」
「キリンに決まってるじゃない!」
「なるほど、確かに首が長いもんね。サイズも大きいし、これを貰える相手は幸せ者だなぁ」
「フフン、当然でしょ!」
自慢げな柊ちゃんの隣で、僕はどう見てもアメーバにしか見えない巨大なクッキーを眺めていた。あれかな、もしかしたら逆さにしたらキリンに見えるとか……。
が、ふとその下にあった猫のクッキーに目を奪われた。とてもかわいい。なかなかのクオリティである。
「あ、これって、もしかして藤田さんの……」
「そうそう、オレのだよ。阿蘇は可愛いものが好きだからね」
「わぁ、可愛いです! 売り物みたいですね!」
「ありがとう、大江さん。隠し味も入れてみたし、きっと喜んでもらえると思うな」
嘘だろ? クソッ、コイツいつのまに。
少し眼中から外れたと思ったらコレである。僕の監督不行届かもしれないが、よくよく考えてみれば藤田さんの手綱を握るなんて芸当が僕にできるはずがなかった。
なので、せめて阿蘇さんには事前に伝えることで難を逃れて貰おうと決意しつつ、大江さんの手元を覗き込む。
「……あれ?」
真っ当に恋をしている彼女である。
さぞかし可愛らしい形を作っているものと思ったが、彼女がラッピングしていたのは何の変哲も無い丸形クッキーであった。
「あ、これですか? えへへ、私、この形が好きなんです」
尋ねると、大江さんははにかんだ。
「三条さんの作った問題に正解できたら、いつも回答欄いっぱいの丸が貰えて。……私、その丸を見るのがとても好きなんです」
だからこれでいい、と彼女は言う。僕がじんわりと温かな気持ちで胸を満たしていると、少し躊躇って大江さんは付け加えた。
「……そ、それに、景清さんみたいにハート型を渡すのは、まだ照れますし……」
「だからこれは全部僕が食うって言ってるでしょ。マジでなんでみんなハート型ばっかり焦がすんだよ。解いた誤解がまた復活してるんだけど」
――まあ実の所、口実なんて何でもいいよな、と思ったりするのだ。
みんなでワイワイやるのは楽しいし、相手の喜ぶ顔を想像しながらチョコを選ぶのも素敵な時間だと思う。勿論、そんな相手がいること自体、なかなか得難いことではあるのだけど。
天板にみんなのクッキーを並べた僕は、未来に思いを馳せつつぼやいた。
「……来年の今頃には、彼女ができてるかなぁ」
「無理でしょ」
「無理無理」
「難しいと思います」
「大江さんまで!?」
悲しい宣告をされつつも、僕は第二陣のクッキーを焼くためオーブンの蓋を開けたのであった。
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