百物語餃子パーティ

「……よし。準備が整った所で、早速始めるぞ」


 薄暗い部屋の中で、曽根崎さんの声が響く。僕は頷きかけて、これじゃ見えないかもなと気づき、「はい」と声を出した。

 テーブルを囲むのは、いつもの五人。いつもと違うのは、五人全員神妙な顔をしている点と……。


 中央に山盛りの餃子がある点。


「それでは今から、“百物語餃子パーティー”を始める!」

「「おー!」」

「だから何なんですかその融合体!!」


 曽根崎さんの号令に僕以外の三人が応える。

 そして、夜を越す謎の宴が始まったのであった。


 +++


「それじゃ、オレから話そうかな」


 ソファーに座った藤田さんが、片膝を立てて言う。曽根崎さんは肯首し、餃子を一つ差し出した。

 いやどんなルールだ。


「あれは、オレがとある女性に呼ばれて家にお邪魔してた時の話なんだけどね。いざ事に及ぼうとすると、玄関から『ただいまー』って男の声がしたんだ」

「うわ」

「オレは知らされてなかったんだけど、彼女人妻だったんだよね。で、旦那が帰ってきてヤバイってんで、彼女はオレにベッドの下に隠れるように言った」

「ほうほう」

「彼女が旦那さんへの応対に出ている内に、オレは急いでベッドの下を覗きこむ。すると、そこには……」


 藤田さんの声が低くなる。餃子の大皿の中央に立った蝋燭が、ゆらりと揺れた。


「……なんと、しっとりとした黒髪の女性が、ドスケベ下着をつけてオレを見つめていたんだ……!」

「なっ……! ……え?」


 何?

 ドスケベ下着?


 僕の訝しげな顔を気にする事なく、藤田さんは明るく続ける。


「聞けば彼女は旦那さんの浮気相手だそうで、驚かせてやろうとドスケベ下着をつけてベッド下に隠れていたんだって。いやぁマジで幽霊かと思って心臓止まる所だった」

「そりゃあ不埒な貞子だな」

「そこからどうしたのよ」

「彼女に服を着せてやって、二人で手に手を取って窓から逃げたよ。その後、焼肉食って解散した」

「人妻は?」

「知らねぇ。会ってもねぇ。オレ他人のものに手を出す趣味は無いんだよね」

「あ、そうなんですか。藤田さんっててっきり誰でもいいのかと」

「いや、誰でも愛せるよ。でも、オレがその人を愛する事で、不幸になる人が出るのは嫌なんだよな」


 モラルがあるのか無いのか分からない人である。

 曽根崎さんはあまり興味なさそうに頷くと、柊ちゃんに目線をやった。


「そうねぇ……さっきの話は餃子五個といった所かしら」

「ありがとー、いただきます」

「僕まだそのルール分かんないんですが、やっていく内に見えてきますかね」

「見える見える。ちなみに前回は、兄さんが十六個を叩き出してたぞ」

「ん? ……ああ、マニキュアを塗った手が生えていた木の話か」

「待ってその話すごく気になるんですが」

「次は俺が話そうか。いい? 柊」

「オーケー」

「ちょっとちょっと」


 僕の未練をよそに、藤田さんの隣の阿蘇さんは座り直す。そして、餃子を一個口に放り込んだ。


「……俺の職業柄、時々人に道を聞かれたりすることもあったりするんだけどな」


 彼の職業は警察官である。そうだろうなというのは、なんとなく想像がつく。


「その日、七十歳ぐらいの腰の曲がったおじいさんに声をかけられたんだ。冬ってのもあったからかな、その人は重ね着をしてたんだけど、チョイスが独特でさ。ズボンの上にセーラー服のスカートをはいて、フリルのついたシャツの上にベスト、更には浴衣を羽織ってた」

「そりゃ独特だね」

「そんでどうも公民館に行きたかったらしくてな、俺に道を訪ねてきたんだ。だから俺は説明して紙に簡単な地図を描いて手渡したんだけど、それは受け取らず、爺さんは手に持っていたバスケットに向かって話し始めた」

「へぇ」

「“この人は誠実で優しい人だ”、“人を見かけで判断したりなどしない”」

「……」

「“だから、きっとお前を紹介しても馬鹿にしやしない”と」


 阿蘇さんの表情は変わらない。怖がらせようというんじゃなくて、起こった出来事をただ話しているだけのようだ。

 当時を思い出したのか、彼は小さくため息をついた。


「――バスケットの中にいたのは、干からびたカエルだった」

「……え」

「カエルは、綺麗な白いハンカチの上に丁寧に寝かされていた。俺の視線に気づいた爺さんは、満面の笑みで言った。“美しい子でしょう”と」

「……」

「だから、俺も同意した。“ええ、綺麗なお子さんですね”。すると、その爺さんはこう言ったんだ」


 うつむいた阿蘇さんの顔に、陰が落ちる。


「“そうでしょう。貴方のお兄さんにとてもよく似ている”」


 ――その一言に、僕の背筋はゾクリとした。

 どういうことだ? 阿蘇さんのお兄さんって言ったら、曽根崎さんのことだよな。

 僕が曽根崎さんを見ると、彼は神妙な顔で手を広げていた。


「忠助、十個」

「よっしゃ、いただきます」

「えええええ待って待って待ってください! 何ですかそれ、どうなったんですか!」

「どうも何も、爺さんは普通に公民館に行ったけど」

「えええええええカエルは!?」

「さぁ……普通に連れてったぞ」

「えええ……」

「うん、結構面白かったな」

「曽根崎さん、アンタその評価基準でいいんですか。干からびたカエル扱いされてますよ」

「うーん……?」

「次! ボク! ボクが話したいわ!」


 柊ちゃんが片手をあげる。この人ならきっと明るい話になるだろうと、僕は少しホッとした。


「この間ね、新規の作家さんを任されたんだけど」


 前のめりになった柊ちゃんの美麗な顔が、蝋燭の灯りに照らされる。


「結構変わった人でね、とある短編を寄稿してくれたんだけど、下刷り段階でやっぱり取り下げてくれって連絡が来たのよ」

「それって可能なんですか?」

「できないことはないけど、ちょっと面倒よね。それに結構面白い話だったし、どうにか考え直して貰うようにお願いしたんだけど」


 柊ちゃんの長い指が、トントンと頬を叩いていた。


「彼はどうしても載せたくないって聞かなかったの。そこまで言われると仕方ないから了承して、でも最後にもう一度だけ読もうと思ってゲラを手に取ったわ。でも……」

「でも?」

「……どこにも、その小説が載っているページが無かった」


 ……ページが無い?

 僕の疑問に、柊ちゃんは一つ頷く。


「その小説が載っていた前後のページはあるの。でも、どうしても彼の書いた小説だけ見当たらない。なら原稿は……と探しても、何故かそれも無い。そもそも、ボクも受け取った記憶は無い。そこでやっと気づいたの」


 柊ちゃんは、人差し指を唇に当てた。


「――ボクは、誰と話していたんだろうって」


 蝋燭の炎が揺らめく。

 そこでずっと黙っていた曽根崎さんが、口を開いた。


「その小説のタイトルは何だったんだ」

「ええと……何だったかしら。確か、“轢き殺されたカエルが最後に見た光景”だっけ」

「……」


 また、カエルだ。

 嫌な合致に、僕は少し気分が悪くなり始めていた。


 曽根崎さんを見ると、彼はまた大きな両手を広げている。


「柊ちゃん、十個」

「いただきまーす!」

「だからほんと何なんですか! このシステム」

「景清君も不思議な話があれば言えばいい。餃子が食べられるぞ」

「でも、言わずに食べても誰も文句言わないですし……」

「景清がお腹を空かせている所なんて、叔父さん見たくないからな。もっとお食べ」

「たんとお食べ」

「ありがとうございます」

「叔父と私の弟が景清君を甘やかしている。座らせる位置を間違えた」

「そう言うシンジはどうなのよー。何かあるんじゃないの?」

「ん? そうだな……」


 餃子を頬張る柊ちゃんの指摘に、曽根崎さんは顎に手を当てて考え始める。しばらくして、ぼそぼそと話し出した。


「……私の感覚が鈍いのは、周知のことだと思うんだがな。たまに元の感覚を取り戻してみようと、試しに自分に催眠をかけてみることがあるんだ」

「初耳です」

「初めて言ったからな。……よくやるのは、その辺を飛んでいる羽虫。それにチャンネルを合わせて羽虫になりきり、感覚をリンクさせる。羽を震わせ、軽い体を持ち上げ、複数の脚を擦り合わせ……」


 ……妙なことをする人だ。

 この分だと、ある朝目が覚めて巨大な毒虫になっていたとしても、案外適応できてしまうのではないだろうか。

 曽根崎さんは、僕の考えをよそに話を続ける。


「だからその日も、ただ適当な対象を見つけられただけだと思ったんだ」


 曽根崎さんの不審者面が、蝋燭の灯りで凄みを増している。


「……道端に、一匹のカエルがいた。私は足を止め、そのカエルになりきり、感覚をリンクさせた。冷たいアスファルト、冬の風、それらを知覚する薄い粘液をまとった体。私は後脚に力を入れ、道路を挟んだ向こう側へと移動する」


 ――だが、そこで異変が起こった。

 そう曽根崎さんは言った。


「一台の自動車が、私に向かってきたんだ」


 その自動車は、私がいることに気づかなかった。それはそうだ、今の私は小さなカエルなのだから。

 逃げようとは思わなかった。仮に思ったとしても、間に合わなかっただろう。


「まず、足が潰された。次に、体。内臓が圧迫され、耐え切れず裂けた皮膚から全て飛び出た。だがそれもすぐにタイヤに潰される。私の体は、ものの一秒で平面になり地面に張り付いた」

「……」

「痛みは感じなかった。それほどまでに、一瞬のことだったんだ」


 曽根崎さんは、淡々と言う。

 僕は、意味不明なこの人の行動が怖くてたまらなかった。


「やがて、乾いた私の体を地面から引き剥がす者がいた」


 曽根崎さんは、ぐるりと周りを見回す。そして、首を傾けた。


「それが誰かはわからなかった。既に目は潰れていたからな。いや、死んだ感覚ではこれ以上情報を追うことも不可能だったんだ」

「……」

「……なぁ」


 曽根崎さんは、不気味に唇を歪めてみせる。


「――私の体は、一体誰の手に渡ったんだろうな」


 ……。


 しばらく、沈黙が続いた。誰も何も喋らない。餃子にも手を伸ばさない。


 そんな膠着状態の中、皆の思うことはただ一つであった。


「……いや、藤田さんの可能性は無いですよね?」


 僕のツッコミに、阿蘇さんと柊ちゃんは「うんうん」と同意する。しかし、藤田さんだけは違った。


「や、分かんないよ? 浮気仲間の彼女が着てたシャツ、ピョン吉だったから」

「ど根性ガエルだから何だっていうんです! つーかよく浮気相手の家にその服で来たな!?」

「これでいよいよ分からなくなったな、曽根崎ガエルはどこに行ったのか……!」

「どこでもいいよ! っていうか何なんです、そのヤバすぎる趣味のカミングアウト! もう僕曽根崎さんとどう接すればいいか……!」

「それについては安心しろ、今適当にぶっこいた嘘だ」

「嘘かい」

「忠助の話も柊ちゃんの話も面白かったからな。サービスで乗っかってやっただけだよ」

「フフン、職業柄こういった話は得意なのよねぇ。さぁ餃子餃子! 前座も終わったし、たくさん話したらお腹空いちゃったわー」


 百物語の嘘が次々と明かされ、一転して空気は和やかになる。しかし一同が餃子に群がる中、阿蘇さんだけは浮かない顔をしていた。


「……どうしました? 餃子冷めちゃいますよ」

「え、ああ、いや……」


 阿蘇さんは僕の勧めた餃子を受け取り、一口で食べる。そしてちゃんと咀嚼し飲み込んでから、呟いた。


「……じゃあ、あの爺さんは普通に兄さんのことが嫌いなだけだったのかな……」

「……え?」


 餃子を囲んだ賑やかな喧騒に紛れた不穏な一言を、僕はすぐさま聞かなかったことにしたのである。

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