第5話

数年前に通っていた高校の廊下も2回目となると懐かしさも薄れてきた。


隣には高校生スタイルの芝山さん。2回目のはずなのに魔法少女に初めて変身した人のようにくるくると回りながら自分の全身を眺めている。


「肉体的処女に戻ってきました……」


芝山さんは噛みしめるようにそう言う。


「もっと別の言い方があるよねぇ!?」


「さて。行きましょうか」


そそくさと1年1組に行こうとする芝山さんの手を握ってを俺は引き止める。


「ちょちょ! 待って待って!」


芝山さんは無表情なまま握った手を見てから俺の方を向いた。


「なんですか?」


「一回目の考察をしてからの方がいいと思うんだ。過去を変えれば未来が変わることは分かった。後は確実に欲しい未来を導くためにどうしたらいいのか考えてから行動しようよ」


「ふむ……たしかに。そうですね」


芝山さんは顎に手を当てて考えてから頷く。そんな大したことは言っていないはずなんだけど。


「芝山さんは灰田と付き合っていない状態でいたい。前回は面識のない状態で殴りかかったんだよね」


「えぇ。ですが私がいなくなった後、過去の未来の花恋は何故か灰田と付き合っていました」


「ややこしい名前だね……」


「ここにいるのがカコとミライですからね。要はレモンスカッシュを飲んだあとから現代までの間は、私ではない私が行動をしていると。灰田と仲良くしていることから私の記憶は引き継がれていないのでしょうね。気味が悪い話です」


「まぁそれも自分なんだから……あれだと逆にきっかけづくりになっちゃうんだろうね。いきなり知らない女子に殴られたんでしょ? その時はびっくりするけど後から見たらただのネタにしかならないしね」


大学の飲み会なんかで偶然再開。あの時殴られたんだということをきっかけに話が盛り上がる様が容易に想像できる。


「そういうことですか……む! 閃きました!」


芝山さんに全権を委ねるとろくでもないことにしかならない気がしてくるけれど一応話を聞いてみることにする。


「ど、どうするの?」


「栗原さんの人生を少しだけお借りしたいんです。よろしいですか?」


芝山さんのアイディアの全貌はわからないけれど、俺も何かをするのだろう。それは俺の今後の高校生活に影響を及ぼす。


一回目のやり直しは芝山さんが灰田を殴っただけ。俺の人生には大した影響はなかったはずだ。だが今回はそうではないらしい。


けれど、タイムリープする前の生活に戻ったところで俺の生活に楽しみは何もない。友人のいない中堅大学での生活は退屈そのもの。このまま惰性で卒業して、大したことない企業で身を粉にして働くだけなのだ。


未来は未来に希望を抱けない。だから、芝山さんのアイディアによって俺も自分の未来を変えられる気がした。博打だけど、最初より悪くなったらまたレモンサワーを飲めばいいんだから怖がることはない。


「いいよ。好きにして。どうするの?」


「とりあえず来てください」


芝山さんはそう言って俺の手を掴むと1年1組に向かい始める。


俺は戸惑いながらも芝山さんに手を引かれて1年1組へ。灰田は前回と同じように友人と教室の後方で喋っていた。


芝山さんは教室の前にある教卓の前に立つ。別のクラスの二人がいきなり教室の前に立ったので続々と人の注目を集めだした。


ある程度の注目が集まったところで芝山さんは俺の裾を掴んで自分の方に体を向けさせてきた。


「な……なにを――」


その瞬間、芝山さんの唇が俺の口を塞ぐ。


芝山さんが背伸びをし、俺の首に腕を回してキスをしていると気づいたのは教室中の悲鳴にも似た女子の声を聞いた瞬間。


ねっとりと10秒くらいのキスを済ませると芝山さんは俺から離れて踵を床につける。自分からしてきたくせに顔は真っ赤だ。


「旅の恥は掻き捨てです。さて、自販機に行きましょうか」


「ここは知り合いだらけだけどね……」


俺達が現代に戻ったあと、この世界の俺と芝山さんはさぞかし困ったことになるのだろう。


芝山さんはそんなことは知ったこっちゃないといった様子で俺の手を引いてズンズンと自販機へ向かって歩く。


この世界ではこの後、俺と芝山さんは付き合うんだろうか。それとも記憶のないキスを交わした二人はそれっきり気まずくなり赤の他人として生きていくんだろうか。


そんなことを考えながら辿り着いた自販機ブースは相変わらずの無人。ここだけ時間が止まっているかのようだ。


「レモンスカッシュで良いんですよね?」


レモンスカッシュの場所を探しながら芝山さんが聞いてくる。


「多分……」


そもそもレモンスカッシュを飲むことが現代に戻るトリガーだなんて聞いたことがないのでそれが合っているのかもわからない。万が一戻れなかったら単に同級生の教室でキスをした二人として後ろ指をさされながら高校の3年間を過ごすことになる。


芝山さんはレモンスカッシュを一本買うと自分だけがそそくさと口に含む。


「え……さ、先に帰らないでよ!」


芝山さんは非難を無視し、俺の目をじっと見ながらレモンスカッシュでうがいをしている。


やがて首を傾げると部屋の隅に口の中にある液体をペッと吐き出した。


「な……何をしてるの?」


「考察です。どうやら口に含むだけではなく飲み込まないとダメなようですね」


「な、なるほど……」


「栗原さん、そこに座って目を瞑ってください」


何をされるのか想像つかないけれど俺は言われたとおりに壁を背もたれにして三角座りをして目を瞑る。


音の位置から察するに芝山さんは俺の前に来たようだ。


首筋にひんやりとした感覚がある。冷えた缶を当てられたらしい。


「つめたっ――んっ……」


早く現代に戻りたいのに冗談はやめろと非難しようとした瞬間、芝山さんの冷たい唇が当たって舌とレモンスカッシュが捩じ込まれる。


かなりの量なのでつい飲み込んでしまった。そしてそのまま俺は何度も体験したまどろみに誘われた。

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