5
「サクラさん、他にはなにか言ってなかったの?」
万里の声は、まだ不安定に揺れていた。
俺は、妙に晴れやかだったサクラの声を思い出しながら答えた。
「お前のこと言ってたよ。」
「俺?」
万里が首を傾げる。サクラと万里は何度かあのバーで顔を合わせてはいるのだが、遺言みたいな電話に名前を出すほどの仲ではない。そう思ったのだろう。万里は、サクラが自分を俺の本命だと言っていたことを知らないから。
「万里は俺が思ってるほどバカじゃないって言ってた。……どういう意味? お前、賢いよな?」
俺はこれまで一度だって、万里をバカだと思ったことはなかったし、そんなことはサクラだって承知だろう。だから彼女の言いたかったことの意味がわからず、俺は首をかしげた。
死の間際に、最後の言葉として、彼女は確かにそう言ったのだ。
首を傾げる俺の前で、万里はさっと顔色を変えた。それはもう、端から見ても分かるくらいのあからさまな動揺。
どうした、と、俺は万里の肩を叩いた。
すると万里は、ゆっくりと俺の顔を見上げた。
真っ青な顔の中で、大きな両目だけが異様に光って見えた。
「万里?」
「……いつか海里も言ってたけど、本当にサクラさんは千里眼だね。」
「え?」
「なんで、知ってるんだろう。」
知ってるって、なにを?
俺は興奮ぎみに光る万里の目が何故か怖くて、そこから目をそらした。
万里はためらいも見せず、はっきりと俺の問いに答えた。
「海里が『先生』たちにされてたこと、おれ、知ってるよ。……ずっと、知ってた。だって、海里の前は俺だったんだもん。」
海里の前は俺だった?
万里の言う意味がわからなかった。脳みそに膜がかかって、理解を拒否しているような感じだった。
「……俺は、耐えられなかった。だから、海里の番になったんだ。」
万里は何を言っているのだろう。だって、俺はずっと、万里が犯されることを恐れて、重ねられる夜を耐えてきたのに。
「海里。」
万里の両腕が俺の方に伸びてきて、俺の身体を抱いた。
俺は震えた。
万里の腕の中は、どうしてこんなに、と思うほど寒かった。
「海里。」
囁くように俺を呼ぶ声が、遠い。
「ずっと海里の中のきれいな俺のイメージを崩さないようにやってきたけど、もう無理みたい。」
とん、と肩を押され、俺は万年床の上に座り込んだ。
万里の華奢な身体が俺の上に覆いかぶさる。
「海里、好きだよ。ほんとはずっと、こうしたかった。」
唇が塞がれ、万里の手が俺のシャツの中に滑り込んでくる。
俺より少し体温が高いはずのその手が、今日は氷のように冷たい。
万里にされるがままに布団に身を横たえながら、俺は自分の禁猟区が粉々に砕け散っていくのを感じていた。
禁猟区 美里 @minori070830
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