「サクラさん、他にはなにか言ってなかったの?」

 万里の声は、まだ不安定に揺れていた。

 俺は、妙に晴れやかだったサクラの声を思い出しながら答えた。

 「お前のこと言ってたよ。」

 「俺?」

 万里が首を傾げる。サクラと万里は何度かあのバーで顔を合わせてはいるのだが、遺言みたいな電話に名前を出すほどの仲ではない。そう思ったのだろう。万里は、サクラが自分を俺の本命だと言っていたことを知らないから。

 「万里は俺が思ってるほどバカじゃないって言ってた。……どういう意味? お前、賢いよな?」

 俺はこれまで一度だって、万里をバカだと思ったことはなかったし、そんなことはサクラだって承知だろう。だから彼女の言いたかったことの意味がわからず、俺は首をかしげた。

 死の間際に、最後の言葉として、彼女は確かにそう言ったのだ。

 首を傾げる俺の前で、万里はさっと顔色を変えた。それはもう、端から見ても分かるくらいのあからさまな動揺。

 どうした、と、俺は万里の肩を叩いた。

 すると万里は、ゆっくりと俺の顔を見上げた。

 真っ青な顔の中で、大きな両目だけが異様に光って見えた。

 「万里?」

 「……いつか海里も言ってたけど、本当にサクラさんは千里眼だね。」

 「え?」

 「なんで、知ってるんだろう。」

 知ってるって、なにを? 

 俺は興奮ぎみに光る万里の目が何故か怖くて、そこから目をそらした。

 万里はためらいも見せず、はっきりと俺の問いに答えた。

 「海里が『先生』たちにされてたこと、おれ、知ってるよ。……ずっと、知ってた。だって、海里の前は俺だったんだもん。」

 海里の前は俺だった? 

 万里の言う意味がわからなかった。脳みそに膜がかかって、理解を拒否しているような感じだった。

 「……俺は、耐えられなかった。だから、海里の番になったんだ。」

 万里は何を言っているのだろう。だって、俺はずっと、万里が犯されることを恐れて、重ねられる夜を耐えてきたのに。

 「海里。」

 万里の両腕が俺の方に伸びてきて、俺の身体を抱いた。

 俺は震えた。

 万里の腕の中は、どうしてこんなに、と思うほど寒かった。

 「海里。」

 囁くように俺を呼ぶ声が、遠い。

 「ずっと海里の中のきれいな俺のイメージを崩さないようにやってきたけど、もう無理みたい。」

 とん、と肩を押され、俺は万年床の上に座り込んだ。

 万里の華奢な身体が俺の上に覆いかぶさる。

 「海里、好きだよ。ほんとはずっと、こうしたかった。」

 唇が塞がれ、万里の手が俺のシャツの中に滑り込んでくる。

 俺より少し体温が高いはずのその手が、今日は氷のように冷たい。

 万里にされるがままに布団に身を横たえながら、俺は自分の禁猟区が粉々に砕け散っていくのを感じていた。



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禁猟区 美里 @minori070830

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