電話が切れた後、俺はしばらくスマホを持って立ち尽くしていた。

 どうしていいのか分からなかった。サクラを捜さないと、と内心では思っているのに、本気で彼女を捜す気にはなれないのは、あっけらかんとした彼女の声を聞いてしまったからだろう。

 彼女は本気で死ぬ気だ。捜されるのは迷惑でしかないはずだ。

 こんな時に電話するのが俺しかいないと言った彼女。

 俺は、彼女になにもしてあげられないのに。

 スマホをしまって、ふらふらと当てもなく歩き出す。

 トレードマークの黒いドレスを着て、白いシーツの上で血まみれになっている彼女の姿が頭に浮かんだ。

 それは、うつくしい光景にも思えた。うつくしい女の、うつくしい亡骸。

 バーテンに、彼女から電話があったことを伝えようか、と、思いはした。けれど、その考えはすぐに頭から消えた。

 それなりに社会的地位のある男の部屋で自殺した彼女が、高級娼婦だということが明らかになれば、多分ニュースか週刊誌に記事は載るだろうし、そもそもこの通りに住んでいる彼ならば、街の噂でサクラの死を耳にするだろう。わざわざ俺が伝える必要なんてない。それに、もしサクラがバーテンに自身の死を伝えたいと思えば、電話は俺にではなく彼にかかってきたはずだ。

 だから本当に、彼女は飽きてしまったのだろう。バーテンダーを含むこの世の何もかもに。

 すっかり夜が明け、初夏の気温を感じさせ始めた街を、俺は足の赴くままにふらついた。

 サクラのことを考えていた。

 彼女とのセックスは、もう遠すぎてなにも思い出せなかった。彼女の体温も体重も体臭も、何もかもが遠い。三回か四回か、それくらいは寝たはずなのに。

 俺に思い出せる彼女の姿は、あのバーでジンライムのグラスを口に運びながら、退屈ね、と気だるく笑う姿だ。

 俺は彼女のことをなにも知らない。なにも。一緒に退屈を持て余して酒を飲み、煙草を吸っていただけの仲。

 そんな俺しか、電話を掛ける相手がいないと笑った彼女。

 悲しいとか寂しいとは思わなかった。それが彼女の望んだ生活だと知っていた。

 誰も自分の心の中に入れない。

 売春婦は、ほとんど唯一それが可能な職業だったのだろう。

 そこまで考えて、俺は自分の足が万里のアパートに向かっていることに気がついた。

 俺が死ぬとき、万里に電話をかけるとは思えない。かけるとしたら、サクラだった。

 だから俺が死ぬとき、電話をかけられる人は、もうこの世に存在しない。

 

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