万里を殺して俺も死ぬ。

 考えたこともなかった。考えることが怖かったのかもしれない。いつか実行してしまいそうで。

 「……もう、会わないほうがいいのかもしれない。」

 ため息と同時に吐き出すと、女のマニキュアの指が俺の頬をなぞった。

 「耐えきれないくせに。」

 初対面の相手なのに、名前すら知らないのに、お前になにが分かる、とは思わなかった。

 耐えきれない。多分それは、本当だ。

 俺が万里を好きとか嫌いとかではなくて、もっと単純に、長いこと側にいすぎた。

 双子の兄弟みたいに育ってきたのだ。今更離れられるとは思えなくて。

 「離れられるなら、多分それが一番いいわ。」

女は俺の頬を撫でながら言った。

 「一つの鉢植えに二本の木を植えたのと一緒。根が絡まり合って離れられないし、両方とも立ち枯れてしまう。」

 でもね、と、囁く女の声は、耳に優しかった。 

 「未成熟のまま、根を絡ませて、立ち枯れていくのが幸せだということもあるわ。きっとね。」

 「でも、それは……、」

 俺の幸せではありえても、万里の幸せではありえない。

 俺はもう立ち枯れてるから、どんな鉢植えに植え直してもそのまま枯れていくだけ。でも万里は、すくすくと伸びていく健康な若木だ。

 俺さえいなければ、万里は今よりずっと幸せなのかもしれない。俺の存在が、万里を立ち枯れに追いやっているんかもしれない。

 女は俺に、先の言葉を促したりはしなかった。ただ、じっと俺に胸を貸し、頬を撫でてくれていた。

 性的な意味なしに女と抱き合うのは、記憶にある限りこれが生まれてはじめてだった。

 だから俺は女のぬくもりを離せず、じっとその胸に顔を伏せていた。

 永遠にこのままいられたらいいと思った。永遠に、この女の腕に抱かれて。

 「あなたは優しいのね。」

 女がそう言った。それは、サクラとバーテンが俺を追い詰めたのと同じ言葉だったけれど、彼女の言葉は俺の胸を傷つけはしなかった。

 「優しくなんてない。」

 子供がむずがるような物言いになった。優しいだなんて言われたくはなかった。非情に生きてきたつもりだ。非情にならなくては生きてはいけなかったから。

 「優しいわ。」

 女は子供をあやすように、静かに言葉を紡ぐ。

 「あなた、自分の幸せよりバンリくんの幸せのほうが大切なのね。」

 万里の幸せ。

 それは多分、俺が消えることだ。目の前から消えて、記憶さえ残さずいなくなれば、万里は一人で幸せになれる。俺のことなんか気にしないで。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る