俺の頬を冷たい手のひらでくるんだまま、女は何気ない口調で言った。 

 「随分うなされていたわ、あなた。」

 「……ああ。」

 それ以上なにも言えなかった。女もそれ以上なにも聞かず、ただ黙って俺の目をちらりと覗き込んだ。

 分かっている。うなされていたということは、昔の夢を見ていたのだ。多分、先生許して、とかいう寝言とともに。

 万里にも何度か指摘されたことがある。俺はその度、小学校の先生に体罰をされていたことがあるのだ、と嘘をついた。万里はそれを信じ、憤った。

 俺は、名も知らぬ女の胸に縋った。もう若いはりを失った胸は、俺の額をそれ専用に作られたみたいにふわりと受け止めた。

 女は俺の背中を静かに抱いた。殆ど力のかからない、俺の背中の周りの空気を包み込むような抱き方だった。

 「昔、女を抱かされてたことがあるんです。」

 誰かにこの話をするのは、はじめてだった。これまでも俺がひどくうなされると心配してくれた女はいたけれど、万里に吐いたのと同じ嘘を吐き通してきた。

 それが今日に限って、この女に限って、本当のことを話したくなった理由は、自分でも分からなかった。

 ただ、この女は子供を持ったことがあるのかもしれない、と、ぼんやり思った。

 「今思えば性的虐待ですよね。あの頃はそんな言葉は知らなかったけど。……毎晩、いろんな女を抱きました。先生って、俺、寝ごとで言ったでしょう。その人たちのことです。」

 女はなにも言わなかった、ただ、黙って俺の拙い喋りを聞いていた。

 女の長く赤い髪が俺の頬にかかって、窓から射す陽光を遮ってくれた。その薄暗闇の中は妙に安心で、俺は更に言葉を継いだ。

 「はじめは愛されてるんだと思っていました。俺だけ特別に愛されてるからそういう行為をするんだと。……バカですよね。バカなガキで、愛情に飢えてましたから。でも段々、毎晩の行為が苦しくなっていった。……そうしたら、脅され始めたんです。誰にも言うなって。それで、愛されてたわけじゃないってはっきり分かった。」

 女は黙っていた。黙って俺に胸と髪を提供し、頷くことさえせずに俺の話を聞いていた。それは、なんだかとても安心なことのように思われた。幼い子供がするように彼女の肩をつかめば、白い皮膚と柔らかな脂肪は、俺の指の形通りにしっとりと沈んだ。

 俺は何度もまばたきをして涙をこらえようとしたけれど、こらえきれない液体が頬を伝った。

 女はそれに気がついていたのだろうけれど、なにも言わなかったし、俺の涙を拭おうともしなかった。

 彼女は、ただそこで俺の涙を豊かな胸で受け止めていた。








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