どうしようどうしよう、と本気で焦っていると、今度はサクラが俺の肩を抱いた。

 「いつ戻ってくるかわからないんだから、部屋で待ってるように言っておいたわ。その時以来、バーにも来てない。」

 本当か、と、俺はサクラの肩を抱き返した。

 「まじで恩に着るわ。」

 「いいのよ。今度酒でも奢って。」

 「もちろんいくらでも。」

 がっしりと肩と肩とを絡ませたまま、俺とサクラは空を見上げるようにして笑った。

 万里は俺たちとは違う。俺たちの方に来てはいけない。その認識はサクラにも共通で、うまいこと万里を薄暗闇から遠ざけられた快感も、二人共通しているのだろう。

ははは、と、俺たちに似合わず爽快に笑っていると、背後でバーのドアが開いた。

 俺とサクラは揃って首だけそちらへ向け直した。

 そこには、シワの寄ったワイシャツ姿のバーテンが立っていた。いつも後ろでくくっている長い髪も軽く乱れたその姿には、妙な色気があった。

 「行かないでください。」

 その声はか細いといってもいいトーンだったが、確かな芯が通っていた。

 「行かないで。」

 バーテンは、何故かサクラではなく俺の腕をつかんだ。

 俺は驚いてバーテンとサクラを見比べた。

 バーテンは必死の目で俺を見ていた。

 サクラは眉一つ動かさず、常の気怠げな表情を浮かべていた。

 俺はどうしていいのか分からず、とりあえずサクラと組んでいた肩を離した。

 「懐かれたわね。」

 犬猫の話でもするような口調でサクラが言った。

 俺はなんと言っていいのか分からず、黙ったまま掴まれた右腕を見下ろした。

 バーテンの白い指は、力の入れ過ぎで爪が白くなり、細かく震えていた。

 大丈夫? 

 とりあえずそれだけでも言ってみようと口を開きかけたとき、バーテンがサクラに向けて声を発した。

 「俺、このひとと住んでたんです。」

 声が不安定に揺れていた。

 こんな女に惚れなくてもいいのに、と、俺はバーテンダーを幾分哀れにすら思った。

 だって、サクラは彼の声の本気に気がついていないかのように、どこ吹く風で、あらそう、とだけ応じたのだ。

 俺は彼がサクラへの思いだけで俺を随分長い間泊めてくれていたのを知っていたから、もちろん彼に肩入れした。

 そんな言い方はないだろう、とサクラに食ってかかろうとした俺を、バーテンの繊細すぎる声音が止めた。

 「俺、この人とも寝たんです。……俺は、」

 あなたと寝たことを特別だなんて思っていない。

 バーテンはそう嘘をつこうとしたのだと思う。 

 しかしサクラは、またごくどうでも良さそうに、あらそう、と返してバーテンの口をふさいだ。

 



 


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