そうするよ、と俺は応じた。皮肉な気持ちからではない。本気でそう思っていた。

 刺されるなら往来がいい。くだらない痴話喧嘩の末に一発ぶすりといってほしい。あの万里ですら呆れて涙も出ないくらいの幕引き。

 そうするよ。

 もう一度、胃の腑に染み込ませるために呟くと、サクラは笑った。彼女に一番似合う、薄く唇を歪めた退屈そうに崩れた笑い。夏の夕暮れみたいな鮮やかさと気怠さが、そこにはぴたりと背中を合わせて同居している。

 「バカね。本命くんに告白して、一緒に暮せばいいだけなのにね。」

 「告白とか一緒に暮らすとか、そういう仲じゃないよ、あいつとは。」

 「そう思ってるのはあんただけじゃないの。」

 サクラが妙に確信めいた言い方をするから、無性に腹がたった。なにも知らないくせに、と。

 俺が性的にいじくり回されながら、それでも万里を守ろうとした間抜けな夜。

 その夜の暗さや重さを知らないくせに、と。

 口を開いたら彼女を傷つけるためだけの台詞を吐いてしまいそうで、俺は姑息に口をつぐんだ。

 いつもそうだ。俺は口喧嘩すら出来ない。ただ、黙り込むだけで。

 お優しいのね、と、サクラが肩をすぼめながら嘯いた。

 分かってる。俺は優しくなんかない。むしろその逆だ。

 この話はもうやめよう。

 そう伝えるために、俺は首を左右に振った。

 サクラは唇を笑みに歪めたまま、そうね、と短い息をついた。

 「麻美ちゃん、まだあんたのこと探してるわよ。」

 「……忘れればいいのにな。こんなやつのこと。」

 「そうね。でもそれが出来ない女もいるし、出来ない女を釣ったのは、あんたのミスだわ。」

 ぐうの音も出ない俺は、深い溜め息をつき、サクラの肩を軽く抱いて声を潜めた。

 「ヤバそうだった?」

 サクラは悪巧みするとき特有のやり方で唇の端を吊り上げ、軽く頷いた。

 「かなりね。」

 「手紙、練習してみたんだ。」

 「なんて?」

 「俺のことは探さないでくださいって。」

 「バーテンくんに?」

 「いや。万里。」

 「あんた、本物のバカね。」

 呆れた、という証拠に、サクラは外人みたいに両手を肩の高さで広げてみせた。

 「だからバンリくんはあんたのこと必死で探してるんじゃないの。」

 「必死で?」

 「毎晩バーに来てたし、あちこち探し回ってるみたいよ。」

 それはまずい、と、俺は素直に慌てた。普段俺が出入りしている場所で、法に抵触していたり、そうでなくても後ろ暗かったり危険だったりする場所については万里に話したことはない。けれど、俺を探しているうちにその手の場所に迷い込んでしまうことがないとも限らない。


 

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