俺はそれからしばらくバーテンの部屋にとどまった。麻美の件のほとぼりが冷めるまであまり外を歩きたくなかったので、都合が良かったのだ。

 一階に降りることはなかったので、サクラに会うこともなかった。だからサクラにバーテンと寝たことを話す機会もなかったのだが、彼はそれについてなにも言わなかった。

 バーテンとは、毎日セックスをした。仕事が終わり、明け方近くなって部屋に戻ってくる彼を、毎日抱いた。

 当たり前のことだけれど、抱けば抱くほど彼の身体は男に慣れていった。

 それなのにいつもその肌は冷たくて、俺は冷たい泉の水をかき集めるみたいに彼の肌に触れていた。

 セックスの前も後も、会話はなかった。いつだって俺たちには話すことがなくて。

 それがある日の明け方、白いカーテンの隙間から射す新しい日差しに肌を白く光らせながら、彼がぽつりと言った。

 「本命さんのこと、ごめんなさい。電話、勝手に切ったりして。」

 俺は一瞬、なにを謝られているのか分からなかった。それくらいにはもう、彼が万里からの電話を切った日から時間が経っていた。

 「……ああ、電話ね。別にいいよ。」

 本当に、別によかった。あれ以来万里に電話はしていなかったけれど、別にあいつが本気で心配しているとも思えない。あの手紙が俺の単なる悪ふざけであることくらい、長い付き合いだ、分かってるだろう。

 うらやましいな、と、彼が呟いた。

 「連絡取らなくても、全然平気なくらいちゃんとつながってるんですね。」

 ちゃんとつながってる?

 それは、多分違う。

 万里と俺は、ただ離れられないだけだ。

 同じ日に捨てられ、同じ日に拾われ、同じように育てられた者どうし、歪な糸で結び付けられているだけ。

 「……そういうわけでも、ないけどね。」

 彼に、俺と万里の詳しい事情を話す気にはなれなかった。

 めんどくさいからでも、どうせ理解されないからでもない。なんなら彼は、俺と万里の事情を胸の深いところで理解してくれそうな雰囲気さえあった。

 だから話す気になれない理由は簡単で、俺はきっと、理解されたくないのだ。

 理解されたと思ってしまうと、その後が辛い。離れられなくなってしまう。

 ヒモになりたての頃、そういう失敗を幾度かした。

 もう俺は、そうやって変な傷つき方をしたくはない。

 曖昧な返事しか返さない俺を、彼は責めなかった。ただ、布団を被り、身を寄せ合ったまま、深いキスを交わした。

 キスなんてただの粘膜接触。そこからどんな思いが伝わるわけでもないと、さんざん理解しているのだけれど。


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