2
バーテンははじめ、俺をバーのカウンターに座らせようとした。それが場所を2階の彼の住居に替えたのは、俺が背後を気にする素振りを見せたからだろう。もしかして包丁を持った麻美が立っているのではないかと。
「なんかごめんね。」
と俺が謝ると、彼は首をはっきり左右に振った。
「俺が無理にお連れしたんですから。」
彼の部屋は、彼の見た目、つまりは華やかな雰囲気のイケメンバーテンダー、ということなのだが、その見た目とは違ってかなり質素だった。貧乏くさいと言うよりは、清貧とでも言い表せばいのだろうか。昔の修道士が住んでいそうなひっそりとした佇まいをしていた。
「かけてください。」
彼はそう言って、俺のために椅子を引いてくれた。木製のその椅子は、同じく木製のテーブルの前に置かれていたのだが、テーブルはぴたりと白い壁につけて置かれており、椅子に座ると俺は壁と向き合う形になった。
俺はなんとなく、彼には孤独癖があるのかもしれない、と思った。
彼がテーブルの隣りにあるベッドに腰を掛けたので、俺は椅子の向きを変えて彼と向き合った。そうすると、ほとんど膝が触れ合うような距離感になる。
彼はしばらく、言葉を探すように静かに目を伏せていた。俺はその時にはもう、彼がサクラのことを訊きたいのだろうと検討をつけていたので、サクラ? と、水をかけるつもりで口に出した。
すると彼は、長いまつげを持ち上げ、溺れる人のような切実さで俺を見つめた。
「はい。」
「サクラの、なにを?」
問いかければ彼は、またまつげを伏せた。
「それが、分からないんです。」
「分からない、か。」
そうだよね、と俺は頷いた。このきれいなバーテンダーはどう考えても俺やサクラではなく万里側の人間だし、だとしたら俺に彼らの生態が分からないのと同じように、彼らには俺たちの生態が分からないはずだ。
しばらくここにいてくれませんか、と、彼が言った。
俺は、は? と返した。本気で理解不能だったのだ。
彼が形のいい唇を微かに開き、更に言葉を重ねようとした瞬間、俺のジーンズのポケットでスマホが鳴った。
「ごめん。」
俺はそう彼に断ってから、相手を確かめもせずにスマホを耳に当てた。すると、耳がキーンとくるほどの勢いで溢れてきたのは、聞き慣れた万里の声だった。
『ちょっと、この手紙、どういうつもり!? 忘れてほしいとか意味不明すぎるんだけど!! 海里今どこにいんの!?』
ああ、その手紙な。別に意味はないや。ただの練習。
そう答えようとした俺の手から、スマホが消えた。
驚いて目を瞬く。目の前に立ったバーテンが、俺のスマホを握っている。
「本命さんですか?」
短い問い。俺は反射みたいに首を横に振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます