眠れないまま夜を越し、そのまま朝にもつれ込み、昼になっても身を起こせず、覇気のないまま夕方を迎える。窓から射す夕日がゆっくりを色をなくしていき、そろそろ夜だな、と思ったところで、静かに玄関のドアが開いた。

 「ただいま。」

 ひそめられた万里の声。俺は、その声で起こされたみたいなふりをしてのろのろと身体を起こしながら、おかえり、と返す。

 「ずっと寝てたの?」

 「寝てた。」

 「やっぱり疲れてるんだよ。」

 「なにに。」

 スーパーのビニール袋を冷蔵庫前の僅かな空間に下ろしながら、万里は呆れた目で俺を見た。

 分かってるくせに、と言いたいんだろう。

 俺は目にかかる前髪をかきあげながら、なにも分かっていないふりをする。

 ここで認めたら負けだ。これまで全身に蓄えられてきた疲労が、一気に雪崩を起こす。

 万里がごく小さなため息をつくのが聞こえる。

 それを聞いて俺は、許された、と思う。

 万里はいつも、こうやって俺を許した。諦めみたいに、ため息で。

 「ご飯、食べるでしょ?」

 ため息の続きみたいに万里が唇を動かす。

 俺は頷いて、布団の上に胡座をかき直す。

 「カレー作るよ。そしたら俺がいない間にも温め直して食べられるでしょ。」

 「おう。」

 「ここにいていいんだからね。」

 唐突な台詞に、俺は返す言葉に詰まった。

 万里は冷蔵庫を開け、買ってきた食材を片付けながら、目の端で確実に俺の表情を捉えていた。

 そして俺は、自分がどんな表情をしているのか想像もつかないでいた。

 ここにいていいって、どういう意味?

 そう問い返したい自分がいた。言葉にしてちゃんと伝えて、と。だってそうじゃないと、俺には万里の意図が把握できない。 

 ここって、どこ? いていいって、どのレベルで? ここにいていいって、なんで?

 疑問符ばかりがぐるぐると脳内を巡る。

 そうやって俺が硬直している間も、万里はじっと目の端で俺を捉えていた。

 真っ直ぐで、強い眼差し。俺やサクラみたいな人種が持ち得ない、真っ直ぐさと強さ。

 サクラに会って、今の万里の台詞を一緒に検討してほしかった。それくらい、俺にとって万里の台詞は難解だったのだ。

 ただ、分かることとして、俺はここにずっとはいられない。

 怖いのだ。万里に俺の色が移るのが。万里が万里として、俺の手の届かない場所にいてくれないと、不安だった。ただ一つの拠り所さえ失うようで。


 

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