万里がいない万里の部屋は、快適だ。飲み物や食べ物がどこにあるかは把握しているし、部屋着も勝手に借りて着る。万里と俺は10センチは身長が違うし、ガタイも結構違うのだけれど、それでも着られる部屋着がどれかもちゃんと知っている。

 部屋着のスウェットに着替え、カップ麺を食い、麦茶を飲むと、ちょうどいい具合に眠たくなってきた。

 ぱたんと布団の上に倒れ込み、右手でリモコンを探って電気を消す。

 知らない人の家でよく眠れていないのではないかと万里は言ったが、それは違う。万里の家のほうが、俺は眠れない。

 真っ黒い天井を見上げ、じっと身体を固くし、眠りが強くなるのを待つ。

 布団からは、微かに万里の匂いがした。施設で暮らしていた頃から変わらない、日向の匂いだ。

 万里はいつも、日向にいた。

 俺はいつも、日陰にいた。

 だからだろうか、と思う。

 だから、俺は性玩具にされたのかと。

 重ねられた夜に、強いられた行為。

 思い出したくはないその記憶は、万里の匂いに包まれているときにもっとも強く蘇る。

 俺の身に起こったことを、万里は知らない。誰にも黙っておくことが、万里に手を出さない条件だった。

 深く息をつき、気持ちを落ち着ける。

 サクラだけは、俺の身に起こったことを知っている。話したわけではないのだが、いつの間にか知られていた。

 サクラは勘がいいから、俺の話の端々や、ちょっとした表情や動作から、あの施設であったことを読み取ったのだと思う。そして、彼女の身にも、多分……。

 両手で布団をかき寄せ、目を閉じる。

 泣いてもいいかな、と思う。今は一人なのだから、少しくらい泣いてもいいのではないかと。

 けれど俺にはそれが出来ない。昔からそうだ。昔、一人になれる場所なんてどこにもなかった。その名残なのだろうか。

 麻美は泣いただろうか。俺の不在に。

 もしも彼女が泣いたのだとしたら、それは随分と幸せなことのように思える。涙を流せる環境に生まれ育ったのだな、と。

 強く強く、まぶたを閉じる。

 早く万里が帰ってくればいい。そうすれば、気は紛れる。それなのにやつは、明日の夜まで帰らないという。

 冷蔵庫に、俺用のビールが冷やしてあることは知っていた。でも、それに手を付けるのは、眠れませんでした、と公言しているようで嫌だった。

 早く、転がり込む女の家を見つけよう、と思う。 

 女は好きではない。誰も彼も千里眼だし、包丁を持ち出すようなタイプに引っかかることだってありえる。それでも、女の肉は好きだった。埋もれていると、一時だけは何もかも忘れられる

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