万里

万里は大学の近くの安アパートに住んでいる。インターホンがないので、どんどんとドアを叩くと、すぐに万里が顔を出した。

 「海里? 久しぶりだね。」

 「おう。ちょっと避難させてくれ。」

 「避難って、また何かやらかしたの?」

 「包丁持った女に追いかけられてる。」

 冗談めかして言うと、万里はけらけらと声を上げて笑った。多分、俺の台詞を完全な冗談だと受け取っているのだろう。こういうときに、俺と万里は生きている世界が違うのだと思う。同じ日に同じ場所に捨てられ、同じ人間に同じように育てられた。どこでこんなにお互いの生活に差がついてしまったのだろうか、と思わないでもないが、それはただ思うだけのこと。俺は万里には到底なれない。

 「入って。俺、もう少ししたらバイトいかないとだから、適当にくつろいでて。」

 ぴょこぴょこ弾む万里のくせっ毛について入った部屋は、この前来たときと同じように、きれいに片付けられている。狭い部屋に無理やり大きな本棚をいれているので圧迫感がないこともないのだが、秘密基地っぽくて居心地は良い。

 「サクラさんは元気?」

 「元気だよ。」

 顔のいいバーテンに手を出して後悔してるとこ、と言いかけて口をつぐむ。これは、万里に言うべきことではない。

 「で、海里は? まだぶらぶらしてるの?」

 「してるしてる。」

 万里が呆れたように笑う。俺は、どんな種類の笑いであれ、万里が笑っていればそれでいいような気がして、つられて笑う。

 「喉が渇いてるなら冷蔵庫に麦茶があるよ。腹が減ってるなら買い置きのカップ麺食べてもいいし。」

 「さんきゅ。適当に飲んで食うわ。バイト、何時まで?」

 「6時。そのまま大学行くから、明日の夜まで戻らない。」

 「さすが苦学生。あの施設の星だな。公演頼まれたりしないの?」

 「バカ言ってる。」

 万里の部屋は、敷きっぱなしの布団くらいしか座るところがない。俺は遠慮なく布団の上に胡座をかき、大きく伸びをした。

 なんだか妙に疲れていた。

 「寝てる?」

 「多分。」

 そう、と、万里はわずかに眉を寄せた。

 「やっぱりちゃんと寝れてないんじゃないの? 知らない人の家なんかじゃ。」

 そんなことない、と俺は首を横に振る。

 「慣れてるだろ、俺もお前も。」

 生まれたときから、自分の家がなかったものどうし。一人部屋を与えられたこともなく、施設を出るまで年齢の近い子どもたちと同じ部屋に押し込められていた。

 慣れてる。

 唇だけで呟いた万里は、そうかもね、と軽く唇を噛んだ。



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