6
「さっきまで麻美ちゃんが来てたわよ。」
夜も更けたいつものバーで、サクラは面白そうに、白い鼻の頭に皺を寄せるようにして笑った。
「あんたを探してたみたい。黙って出てきたの?」
俺はうんざりした気分でサクラの隣に腰を下ろし、バーテンに向かって、なにか甘い飲み物を、と注文した。サクラは目をぱちぱちさせ、本当に疲れてるのね、と呟いた。俺は身体の芯から疲れているとき以外はバーボンを飲む。甘い飲みものが欲しくなるのは、全身が疲れに覆われたときだけだ。
端正な顔立ちのバーテンは、黙ったまま俺の前にグラスを置いた。中には澄んだ水色の酒が入っている。
一口口に含めばそれはまあ、倒れそうなほどに甘くて、癖になりそうな味をしていた。
うまいな。
思わず口に出して言うと、バーテンが微かに口元を緩め、ありがとうございます、と小声で囁いた。
「麻美ちゃん、包丁持ち出さなかったの?」
「持ち出されたら困るから、仕事で留守の間に出てきた。」
「置き手紙くらいはしてきたの?」
「探さないでください、とか?」
「そうそう。」
「してないよ、そんなの。」
麻美の前からは、きれいに消えたかった。彼女が死ぬまで俺を思い出さないくらいに。だから、彼女の部屋に会った俺の痕跡は、残らず消してきた。でも、サクラの口ぶりを聞くに、それは逆効果だったのかもしれない。
「手紙、置いてきたほうが良かったかな。」
「そうね。きれいごとを並べた手紙の一枚でも置いてくれば、ひとしきり泣いてあんたのことは諦めたんじゃない。」
きれいごとを並べた手紙。
そんなものを器用に書き残せるくらいなら、俺は多分、ヒモなんかやっていない。
「しばらくここには来ないほうがいいんじゃない。」
サクラが全くの他人事みたいに、長い髪の毛先を弄くりながら言う。
「そうかな。」
「包丁持ってこないとは限らないわよ。」
「そうだな。」
「他はどこか、行動範囲知られてないの?」
「知られてないはず。」
「だったらしばらくこの店には来ないことね。」
そうね……、と、俺はぼんやり呟いて、甘いカクテルを喉に流し込む。
サクラは呆れたようにちょっとだけ唇を笑わせた。
「行くとこあるの?」
「急に出てきたからないな。適当に女ナンパするよ。」
「相変わらずサイテイね。」
「ああ、久しぶりに万里のところに行ってもいいかもしれないな。」
思いつきで言った台詞に、なぜかサクラはぱっと顔を輝かせた。
「そうしなさいよ。」
サクラにそんな顔をされると、俺はなんとなくの思いつきだった、万里の家に押しかけるという案が妙計に思えてきて、少しだけ残っていたカクテルを飲み干して立ち上がった。
「よし。行ってくる。」
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