二杯目のジンライムが空になる前に、サクラのスマホが鳴った。

 サクラは電話には出ず、ちらりとスマホに目をやっただけで立ち上がった。

 「もう行くわ。」

 「おう。」

 「本命くんによろしく。」

 「おう。」

 バーテンを目配せで呼んで勘定を済ませようとしたサクラに、バーテンは首を横に振った。硬い、石膏像みたいな横顔をしていた。

 金はいらない。そういうサインだろう。

 しかしサクラは、紙幣を数枚ジンライムのコースターの下に挟み込んで席を立った。

 残酷な女。

 俺は同情を込めてバーテンを見やったが、作り物みたいに整った顔をしたそいつは、俺のことなど眼中にはなく、ただ去っていくサクラだけを目で追っていた。この店の女性客の結構な割合は、この美形のバーテンダー目当てのはずだ。それが、こんなにわかりやすく切ない目をしていいのか、と、俺は内心驚いてしまった。

 サクラのちょっとした失敗。

 珍しい事態がなんだか少しばかり面白くなってきてしまい、更にバーテンダーを観察するべく二杯目のバーボンを注文しようとしたのだが、そのタイミングで今度は俺のスマホが鳴った。

 麻美だ。

 めんどくさいな、とちらりと思った。

 このバーテンがサクラのちょっとした失敗なら、麻美が俺のちょっとした失敗にあたるのだろうか。

 そんなことを思いながら、電話を取る。

 『カイリさん? 今、どこにいるんですか?』

 電話越しに聞こえる細い声は、長い彼女の黒髪みたいに俺にまとわりついてくる。

 サクラに言われるまでもなく、次のねぐらをとっとと探そう、と俺は決意した。  

 「ちょっと、外。」

 曖昧な返事を返すと、スマホの向こうの彼女は黙り込んだ。

 言いたいことがあるならはっきり言えばいいし、問い質したいならそうすればいい。そんなことを思いながらも、俺の唇は勝手に言葉を紡ぎ出す。

 「一人で飲んでた。ごめん、今から帰るよ。」

 そう、ですか、と、電話の向こうの声は明るくはならない。俺の言葉を疑っているのだろう。

 今晩辺り刺されるのかな、などと物騒な想像を巡らしながら、俺は更に言葉を接ぐ。

 「部屋で麻美ちゃんのこと待ってようと思ってたんだけど、寂しくてさ。すぐ帰るから、待ってて。電話、帰るまでつないでてもいいかな? 」

 はい、と、電話の向こうの声が少し弾む、どうやら俺の寿命は少し伸びたらしい。

 麻美ちゃんの顔を思い出そうと浅い努力をしながら、俺は手を上げてバーテンを呼び、サクラが置いていった紙幣と合わて勘定をする。バーテンはなにか言いたげな顔で俺を見ていたが、結局なにも言わなかった。

 俺は適当に耳触りのいい言葉を並べながら、バーを出て夜中の街を歩いていく。俺が一言なにか言うたび、電話の向こうの声は明るくなっていく。タイミングを合わせて正確なプレイをすればいい点数が出るところは、音ゲーなんかと似ている。

 そんな事を考える自分に嫌気が差しながらも、俺の唇は止まることなく言葉を編み出していく。

 




 

 

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