第四十二章【未来編】「未来の妹からの激励」

 由々よしよし愛姫子あきこを愛した日に起きた、それは由々にとっての世界が壊れたような出来事だ。


「あんなに優しいお父さんが、それまで順調に回っていた歯車が突然壊れたように、愛姫子を殺そうとする」


 だからこの世界では、人を愛したりしちゃいけない。全ては、喪われるものだから。そう釘を刺すとげで、ずっとはりつけにされている。


「僕の中にある愛姫子への気持ちも、ある日バラバラに砕け散って、僕も愛姫子を殺そうとするんじゃないかって」


 告白は、嗚咽おえつが混じっている。

 破滅は、突然やってくる。怖くて。怖くて。その感情に全てが埋め尽くされて。


(僕は、愛してるって気持ちを、前に進めることができない)


 のどかが、優しく由々を抱きしめる。

 どこまでも、温かな心臓の鼓動。

 自分のものであるのか、和のものであるのか判別がつかない。

 妹が、兄妹がいてよかった。


「本当に向き合わなくてはならない敵が、分かったようですね」

「そう、だね。僕が、本当に乗り越えなくてはならない相手だ」


 和の言葉は由々の心にジンと染み入って、やがて強い気持ちを湧き起こし始める。


(それは、お父さんだったのか)


「お父さんはもういないから、ソレはつらい道ですよ。それでも、前に進みますか?」


 現状を確認する時がきた。あまりに悲しくて、由々は壁の中に閉じこもっていた。


「まったく、ね。壁の中で大人しくしていれば、安心ではあるのだろうけど、でも……」


 分かっていたのだ。いつか、壁の中から出ないといけないって。


「全てを知らなくてごめん。でも、もう分かってる。大きな災害が起こって、たくさんの人が死んだんだって。それは、明日の僕かもしれない。僕も和も愛姫子も、誰しも明日は知れない。だとしたら、僕がやっておきたいことは何だろう。そんなことを思うと、僕はやっぱり……僕が死ぬ前に、愛姫子に好きだってことを伝えたい。そう思うんだ」


 和は抱きとめていた由々を放すと、優しく言った。


「だったら、行かないとね。お父さんのことに区切りをつけて、愛姫子さんに告白する。やること、分かったんじゃない?」

「そうだね。僕が、そうしたい。和のおかげだ」

「送るね。久しぶりだから、できるかな?」


 和が由々に向かって手をかざすと、周囲に風が巻き起こった。


「大城流裏鬼道きどう・次元陣・つうの型!」


 由々の真横に、扉ほどの大きさのホールができる。

 すると、由々の親指に巻き付いていた糸が、穴の向こう側に向かってピンと張った。

 厳密には、このヒーリアから渡された「アリアドネの糸」は、この未来世界に訪れている間もずっと時空の向こうの愛姫子とヒーリアがいる場所と繋がっていたのだ。不思議なことだが、それが今意識されるかたちで顕現けんげんした。

 和が、静かに「アリアドネの糸」に触れる。


「これは……」


 和は表情を曇らせた。


「何か、マズイ?」

「いえ、この糸を辿れば、穴の向こうの時空の迷宮でも迷わずに、元いた場所に帰れると思います」

「でも、何か表情が暗くない?」

「糸を通して、未来で何が起こるのか、知ってしまいました。2020年。もう、そんなに時間もないのか……」

「それは、どういう?」

「ううん。これは、この世界の私の話。お兄ちゃんは、迷わず愛姫子さんのところへ向かえばイイ。私も、世界は変えられなくても、自分を変えるのは間に合うかもしれない」


 和が、決意の表情を見せた。

 由々は、それ以上の詮索せんさくを飲み込んだ。自分は、この世界には決定的な部分で干渉し続けることはできないのだから。

 ちょっと、無理をして笑顔をつくる。

 お別れの時だ。


「和、キミに逢えてよかった」

「私も。絶対、お兄ちゃんは愛姫子さんに好きだって言えるって、私、信じてるから」

「ありがとう!」


 由々は意を決して、穴に飛び込んだ。

 何があったとしても、愛する人の元へ。

 今はそう、異世界のあのリルドブリケ島の、コルピオーネの宿へ。

 由々は、グッと「アリアドネの糸」を握りしめた。


──由々は、時空の迷宮へと飲み込まれていった。

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