第四十章【未来編】「誰かの報われなかった気持ちについて」

「君が戻れば、また愛姫子あきこのことも忘れてしまうんだろうな。それは、かなり悲しい。愛姫子を、守ってくれ。あいつは消えてはいけない存在だった。今になって、俺はとてもそう思うんだ」

「約束します。ああ、これは本当に『自分との約束』ですね」

「俺は自分で選んでこの現実を生きているんだ。前向きに生きて行かにゃ、ならんだろうな。今の妻を、心から愛してる。だから今日のことは、この不思議な時間だけの、秘密だ」


 由々よしよしは頷いた。由々も、大人・由々の妻について尋ねるようなことはしないと改めて心を決めた。


「君がこの世界に来た時にいたという、たこを祀っている神社へ行け。そこから元いたところへ戻れる気がする。何となくだが、あそこは、俺が愛姫子を覚えていた頃と、忘れてしまった頃の、境界線上にある場所だと感じるんだ」

「そうなんですか?」


 正直、由々が十七年生きてきて、そこまで縁がある神社ではなかったが。


「あの神社がどうして蛸を祀ってるか知っているか?」

「いえ」

「俺も震災の後に知ったんだがな。千年前にあの神社の場所まで蛸が流れ着いたってことなんだ。それが何を意味してるのかって言ったら、『津波はここまで来た』だ。そういう伝承に込められた大災害にまつわる教訓をちゃんと学んでおけば、あるいはもっと被害を抑えられたのかもしれないんだがな」


 自分が生まれ、暮らしてきた地域に何があったのか、意外に知らないことを思い知らされる。由々は、あまりに愛姫子だけを見て、彼女のために・・・・・・剣を磨くばかりだった。

 少し遅いかもしれないけれど、何か縁があるごとに、東北のこと、「S市」のことを知っていきたいと思った。


「僕も、これまで目を向けてこなかった大事なことに、意識を向け直すタイミングなのかもしれません」


 由々は、大人・由々を信じて、たこを祀っている神社へと行ってみることにした。


「それでは、色々とありがとうございました」

「ああ。大人になる過程でけっこう大変なことがあるけれど、お前は大丈夫だから。仲間と共に、乗り越えてくれ」


 由々は力強く頷き、大人・由々の家を後にした。


 ◇◇◇


 大人・由々のマンションを出て、近くにあった休憩スペースで貰っていた栄養ドリンクを一気に飲み干し、空き瓶をゴミ箱に捨てる。

 キっと顔を上げて、たこを祀っている神社へと向かって歩み出す。 

 ひび割れた道路と傾いた電柱が視界に映る。

 いつしか、倒壊したままの建造物が目に入っても、足は止めないようになっていた頃、由々の頭に思考として浮かび上がってくる事柄がある。


(お父さんは「マーメイヤ」と親しげに呼んでいた。ギターを弾く剣士。お父さんが、剣士・オボロなんだ)


 あの不思議な世界で父が言っていたように、「時間」というものには、過去・現在・未来が同時に存在しているような、由々にはまだ分からない不思議な特性があるらしい。


(実際、僕はこうして未来の世界に来ている。だとしたら、過去、お父さんがリルドブリケ島に渡っていたとしても不思議はない)


 その上で。


(たぶんお父さんは、マーメイヤ様のことが好きだった)


 敬愛ではなくて、本当の愛で。


 しかし、マーメイヤ様と結婚したのはタケフミの方だから。


(お父さんは、現実世界に戻ってきて僕たちのお母さんと結婚した)


──愛を巡って敗れて。でも、だから僕ものどかもこうして生まれた。


(大人の僕も、愛姫子とは違う女性と結婚した)


 それもたぶん本当の愛で。二人の幸せを願っている。

 それでも。

 由々は、自分の心の中にある強い気持ちを確かめる。

 ソレは、こんな時空の果てまでやってきても、紛れもなく由々の中心に存在している。


──愛姫子のことを想うと、自分は死んでも構わないという気持ちになる。


(こんなにも苛烈な愛でも。報われないこともあるのか)

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