第三十五章【未来編】「未来の妻はキミじゃない」

 由々よしよしは、強い衝撃を受けた。自分という存在の根幹が揺るがされているのが分かる。

 大人・由々が述懐を続ける。


「今、たぶん一時的なものだろう。思い出しているから分かる。5年前までは、愛姫子あきこはいた。でも、今はいない。どうして消えてしまったのか、そこは思い出せない。そうだな、震災があって。何だか大変だとみんながドタバタとしているうちに、気づいたら愛姫子という存在が、俺たちの『流れ』から消えていた。そんな感じだ」


 由々は、蹌踉よろめきかけた体と精神を、強い意志で支える。こういう時こそ、心を澄ませて未来の可能性に意識を向けなくてはならない。今が、頭を明晰にして思考する時だ。


「『現実歴』と『空想歴』」


 由々は、何を伝えるべきかを冷静にピックアップして。


・神様を名乗る和が『現実歴』と『空想歴』を分岐させようとしていたこと。

・『現実歴』では愛姫子は生きられず、自分たちは愛姫子を救うために異世界へと行っていたこと。

・異世界で愛姫子が熱を出し、原因究明のためにたどり着いたのがこの『現実歴』と推定できる世界であること。


 の三つを大人・由々に伝えた。


「ふうむ。ここは、空想の力が弱まって愛姫子が存在できなくなった『現実歴』か。可能性としては、検討できる」


 大人・由々も思考を巡らせている様子である。自分のことなので分かる、現状での最善手を、何とか導き出そうとしているのだ。


「その上で、愛姫子の熱の原因には心当たりがある」

「本当ですか!?」


 大人・由々の言は、由々の心を前向きにさせるものだった。この『現実歴』に起こった出来事をどうこうできるとは思えない。しかし、リルドブリケ島で高熱で苦しんでいる愛姫子だけは、最低限元気になってもらいたい。


「俺も、たった今まで忘れていたんだが、俺の部屋に、熱の『原因』と思われるものがある。なんで今まで気づかなかったのか? たぶん、今が色々と思い出せる奇跡的な時間なんだろうな。この世界では、バランスを欠いているものだ。その『原因』を、何とかバランスがとれた状態に納めることができれば……」

「では、やはりこのままあなたの家へ」

「そうだな。これも、何か神様の導き合わせなのかもしれない。今日は、妻から帰宅は深夜0時を超えるとLINEがきている。このまま歩いて、ちょうど妻が帰ってくる前に事を終えられるはずだ」


 何か、聞き慣れない言葉――おそらく何らかの通信ツールに関するもの……を聞いた気がするが。と、そこではない。


「妻!?」

「ああ。学生結婚だよ。愛姫子じゃない。別の人だ」

「そう、ですか」


「現実歴」の自分は愛姫子とは結婚しない。

 いささかショックを受けている自分にまた戸惑うが、目の前の大人・由々は由々ではあるが、自分とは別人のようにも思う。色々と、ややこしい。


「今、ちょっと後ろめたくてね。あの女――愛姫子への苛烈な想いを思い出すのは、妻に申し訳ない」


(やはり、この人は僕なんだな)


 由々自身であるからこそ、その存在を思い出せば愛姫子への想いも知っている。本人だから、誤魔化そうとしてもしょうがない。由々の愛姫子への気持ちは、本気の好きだ。ずっと一緒にいたいということだ。愛してるということだ。


「愛姫子に、告白はしたのか?」


 おもむろに聞いてくるな、と思ったが、そうだな、由々自身なのだ。若かりし頃の由々自身の愛姫子への気持ちは熟知してるんだ。


「いいえ」

「そんなことだろうとは思った。まあ俺だしな」


 大人・由々は彼なりに、何か大事なことを確認しているような素振りだ。


(妻がいるということは、この未来の僕は愛する人にちゃんと告白して、結婚したのか。それは、偉いな)


「告白できないのは、どうしてだ? 勇気がないのか?」


 ズケズケと聞いてくるな、と思うが、自分自身に対してだ。遠慮はいらない心持ちなのだろう。そこで、由々も遠慮せずに、心の内を明らかにしてみることにした。


「どうしても、気になってしまうことがあって」

「なんだ?」

「和のことではないのか? と自分では分析しているのですが」

「ははあ」


 大人・由々は何かに得心したようだった。


「俺が、愛姫子に告白して。うまくいって付き合って、その、いつか結婚するとして。そうしたら、和はどうなるのかなって。動かない足で。車椅子で、ずっと部屋で一人? そう考えると、俺だけ、愛してるとか、何か浮かれたこと言えない気持ちになってしまって」

「バカ」

「え?」

「大バカだ、オマエは、まあ、俺なんだが。いや、俺だからこそ分かる。若い俺、君はとんでもない心得違いをしている」

「な、なんでしょうか」


 未来の由々は、とても確信に満ちている。

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