第三十四章【未来編】「キミがいない世界」

 ◇◇◇


 大人の由々よしよしは四階建ての小さなビルの駐輪場に自転車を止めると、建物の中に入っていった。

 まだ、大胆に呼び止めてコンタクトをはかるというだけの勇気が持てない。


(自分自身に話しかけるのって、なんか緊張するものなんだな)


 尾行するかたちとなるが、由々も建物の中に入って二階へと階段を登り、大人の由々が入っていった一室へと向かう。

 入口はガラス扉だったので、部屋の中を覗くことができた。中は、教室のようになっていて、大人の由々はブースで仕切られたテーブルについて、何やら学生とコミュニケーションをとりはじめている。

 扉の横に貼り付けられていたポスターは、由々もこの世界で耳にしたことがある、大手学習塾の名称が記されていた。


(大人になった僕は、塾講師になっている!?)


 一対一で生徒を教える個別学習塾という形態であろう。大人の由々が何人くらい生徒を受け持っているのか分からないが、しばらく時間がかかりそうに思えた。

 由々は一旦建物の一階の入口まで戻り、外に出た。

 大人の由々が出てきたら分かるように、入口が見張れるポジションで、授業が終わるまで待つことにする。

 時刻は夕方である。由々自身にこのような学習塾に通った経験はなかったが、親が進学に熱心な学生などが夜遅くまで塾で勉強しているという話は聞いている。そういった学生まで受け持っているとしたら、大人の由々が仕事を終えて出てくるのはかなり夜遅くであろうと考えられた。

 大人の由々が入っていった建物の隣の建物だったもの・・・・・・・が目に止まり、由々に思考をうながした。


(倒壊している)


 大きな地震の類の災害が起こったのだと推定される。もっと街の様子を見てくれば何か分かるかもしれないが、一番の手がかりである大人になった由々がここにいる。離れない方がいいだろうと判断し、夜風に吹かれて由々は待った。

 かなりの時間が流れた後、ごとん、と一階の自動販売機の缶が取り出し口へと落ちる音がした。

 他でもない待っていた人間が近づいてくるのが、目で確認しなくても由々には分かった。

 大人の由々が、建物の入口へとやってきたのだ。

 今度こそ声をかけようと、由々は入口をふさぐように、大人の由々の前に立つ。


「驚いた、こんなことって、あるんだな」


 大人の由々が、由々を見て言った。

 大人の由々はスーツ姿であるが、服装が本人にまだ馴染んでいない様子である。学生と社会人の中間の存在といった印象で、初々しさがある。

 眼鏡をかけていて、理知的な印象を受ける。言われてみれば「先生」という呼び方が似合っている風貌をしている。


「君は、だな」


 大人・由々は手に二本持っていた栄養ドリンクの片方を由々に差し出しながら言った。

 由々はドリンクを受け取りながら、大人・由々の目をじっと見つめる。気まずい気持ちと、愛しい気持ちと、半々くらいで湧いてくる。


「たった今、色々と思い出したことがある。でも」


 大人・由々が理性的に頭を巡らせて現状分析しているのが分かる。由々が大人・由々の立場でも、現在の状況から様々な可能性を推理するだろう。


「たぶん、お互いの詳しい情報は述べ合わない方がイイ。そうじゃ、ないか」

「そうですね。僕も、そう思います」

「こういう時、あまりに互いの詳しいことを知り過ぎてしまうと、この時間、この場所にいる、俺という存在が壊れてしまう、そんな気がするからな」


 由々は頷いた。由々も大人・由々と同じ見解に達していた。直感が「知りすぎること」に警鐘を鳴らしているのだ。

 この世界のこと。大人になった自分のこと。知りたい気持ちはあるが、根掘り葉掘り尋ねるのは、危険な気がする。

 その上で、愛姫子あきこの熱の原因を取り除くための情報の取得と、行動が求められる。


「ちょっと、歩こうか。その間に話をしよう」


 大人・由々はまず駐輪場に向かい、とめてあった自転車のロックを解除する。そのまま、自転車を手で押しながら、夜道を歩き始める。

 由々は、受け取った栄養ドリンクを胸ポケットにしまうと、大人・由々の後を追って並んだ。


「歩きなら、家まで30分くらいかな。けっこう話せるよ」


 大人・由々のその言葉だけで、この大人・由々は由々が住んでいた郊外の家にはもう住んでいないのだという情報を由々は拾う。

 由々の生家がある大白おおしろやまの方まで歩くなら、ここから2時間以上かかるであろうから。


「君、って俺か。ややこしいな」


 大人・由々は苦笑して。


「17歳くらいか。周囲を異質なものとして観察してる。ってことは、震災は……」


 そこだ。あまりに街が壊れている。しかし、どこまでその情報をやり取りしていいものなのか。

 その点に関しては、大人・由々の方がリードをとった。


「そうだな。5年前に大きな災害があって、多くの人が死んだとだけ伝えておこう。復興中なんだよ。この街は」


 由々は、ショックを受けた。

 由々が生まれた頃に関西の方であった大きい地震のことを聞いては生きてきた。海外での大きい災害についてもニュースで観たこともある。けれど、そんな大災害が自分たちの身近なところで起こることがあるとは、実感を持ってはこれまでとらえてこなかった。


(これから、起こる?)


 何か、強い不安を喚起する気づきが、由々の内部で生まれた気がした。しかし、その気づきの本質を筋道立てて明瞭に描き出していくことが、よいことなのかが分からない。


(こういう時は、本来の目的に意識を集中しないと。今は、愛姫子だ)


 由々は、生まれた強い不安を振り払うように首を振って、自分にとっての本題の話を始めることにした。


「愛姫子が、熱で倒れたんです。その熱の原因が、おそらくこの世界にある。心当たりは、ありませんか?」

「そこだ」


 大人・由々は眼前の暗闇をキっと睨みつけると、自転車のライトを点けた。ゆっくりとした全体の駆動と連動しながら、電灯の光が淡く前方を照らす。


「愛姫子は、いない」

「どういうことです?」

「この世界に、愛姫子はいない。俺も、ついさっきまで愛姫子という存在がいたことを忘れていたんだ。キミと会ってからだ。記憶が蘇ってきて、今、混乱している」

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