第三十二章「キミと迷宮世界とアリアドネの糸」

 ヒーリアが語り始めた内容は、これまでの彼女の様子を思い返すと、由々よしよしとしては腑に落ちるものであった。彼女は、身元不明の由々と愛姫子あきこをずいぶんと自然に受け入れていた。それは、彼女自身も異世界からこのリルドブリケ島に来ていたからだったのだ。


「全てに答えられなくて、ごめんなさい。覚えていないけれど、この世界に来る前に、私自身が私に『制限条項』の制約をかけているんだと思います。私と、由々君と愛姫子さんの情報のやりとりは、一歩間違えば私たちのいた世界を破滅させてしまう可能性を含んでいますから」


 ヒーリアの言葉には実感がこもっている。態度には、出会った時から感じていた誠実さが変わらずに感じられる。嘘を言っているようには思えない。

 また、由々自身がすぐに思いつく範囲で頭を働かせても、いくつかの可能性に思い至る。たとえば、ヒーリアが現実世界の破滅を救う情報を知っているとする。その情報を異世界で由々が入手し、現実世界に戻ったとして。由々は私的な理由で・・・・・・現実世界が救われないように立ち回るということがあり得る。


「そういうことも、あるのかもしれない」

「ええ。ですから、私の身元の話とかは一旦置いておいて、今は愛姫子さんの話、イイですか?」

「何か、分かるのか?」


 ヒーリアはこくりと頷いた。


「『制限条項』が解除されたことで、分かることがあります」


 ヒーリアは椅子から立ち上がると、ベッドの方に近づいて、熱で苦しんでいる愛姫子に寄り添うように方膝立ちになった。


「失礼」


 ヒーリアは一言断ると、愛姫子の左目のまぶたに優しく触れて、中の瞳が見えるように動かした。


「『人魚のマーメイド・天眼サファイア』でしたでしょうか。愛姫子さんの左目に、『次元陣』が浮かんでいます」

「それは、どういったものなんだ?」

「私は『召喚士』と名乗りましたが、要は次元と次元を繋げる専門家です。『次元陣』は異なる世界へと通じるホールだと思って頂けたらと思います」

「こんなに小さなものなのか?」


 ヒーリアがペガサスやシルフを召喚した時のものよりも、愛姫子の瞳に浮かんでいるものはとても小さい。


「ええ。ですから、こちらから向こうに渡るには、『小人』になってもらう必要がありますね」

「向こうに渡る?」

「はい。よく聞いてください。この愛姫子さんの左目に浮かんでいる『次元陣』は、愛姫子さんという存在と深く関わる場所へと通じている。おそらく、その『世界』に愛姫子さんの高熱の原因があります。由々君が向こうの『世界』に渡って、その原因を解消することができれば……」

「愛姫子の熱は治るってことか」

「ええ、その可能性が高い。この熱は感染症じゃない。存在の内側に何らかの熱源が愛姫子さんの身体と調和しないかたちで荒ぶっている、魔法的・時空的な現象に起因する熱です」

「僕が、小人になって、向こうの『世界』に渡る方法はあるのかな?」

「行く気に、なってるんですね。」


 由々は頷いた。


「僕、愛姫子が苦しいままっていうのは、無理なんだ」

「由々君、やはり、あなた、愛姫子さんのことを?」


 由々は静かに微笑んだ。伝えることができていない気持ちだ。でも、胸の中にあるだけで温かさを感じられる気持ちだ。


「そう、ですか。ならば、私も今の私で最善を尽くしたい」


 ヒーリアは万能のシルフレッド風の型・スターから糸で繋がるチョークを手に取った。

 愛姫子が横になっている手前の空間に、大きく円を描く。

 すると描かれた円は、愛姫子の左目を頂角として円錐えんすい状に展開・収束してゆき、淡い光を放ち始めた。


「このサークルをくぐることで、由々君は小人になって、愛姫子さんの左目から繋がる『世界』へと行くことができます。しかし、向こうがどんな『世界』なのか、何が熱の原因なのか、今の時点では分かりません」


 確かに、情報が不足している。しかし、その点に関しては由々にはヒーリアとは少し異なる見解があった。


「『人魚のマーメイド・天眼サファイア』が鳴いてる。懐かしい感じがするんだ。愛姫子の体の一部なんだ。ありのままに捉えたい。呼ばれてる気がするんだ。行けば分かる、みたいなね」

「由々君が楽天的な見解で未知の『世界』へ赴こうとしているの、ちょっと意外です。分かりました。ただ、これだけは持って行ってください」


 すると、ヒーリアは万能のシルフレッド風の型・スターの中心から糸をスルスルと引き出して、由々の右手の親指に結びつけた。


「『アリアドネの糸』です。万能のシルフレッド風の型・スターって、その本質は『糸紡ぎ機』なんです。時と風の魔法でつくり出された、時空を超えてどこまでも伸びる糸です。向こうの『世界』で迷子になりそうになったら、この糸を辿って、必ずここに戻ってきてください」


「アリアドネの糸」か。ギリシャ神話のミノタウロスの迷宮のお話で、英雄テセウスが迷宮から帰還するために、アリアドネから託された糸だ。


「それは、ありがたい。向こうの『世界』は迷宮になっているかもしれないし、愛姫子の熱の原因は怪物ミノタウロスで、戦わなくてならないかもしれないからね」

「私の元へ戻ってきてくださいとは言いませんから、愛姫子さんの元へ戻ってきてください。私は愛姫子さんと、ここで待ってますから」


 由々は頷くと、ヒーリアが描き出したサークルの前に立った。


「じゃあ。行ってくる。愛姫子がうなされるようなら、手を握ってやったりしてくれるとありがたい」


 意を決して、サークルに一歩踏み出していくと、途端に不思議な力で由々は小人になって、人魚のマーメイド・天眼サファイアに浮かぶ小さな「次元陣」に吸い込まれていく。

 愛姫子の左目に飛び込む最中、由々はこんなことを思った。


──キミの苦しみを、とってあげたい。


 思えばずっと、大城由々という男は、そんなことを考えて生きている気がする。


 /第六部「新たなる冒険への召命」・完


 第七部へ続く

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