第二十六章「キミを救うための戦い」

 愛姫子あきこは目を丸くして、言葉が出てこなかった。いかにここが魔法が存在する世界といえど、それはあまりにも超常の力であるように思えたのだ。


「私の隠し属性は『時』って言ったでしょ。いつでも使えるってわけじゃないんですけどね。むしろ、使うとすごい疲れるんですけどね」


 続いて、ヒーリアよりは遅れたかたちで由々よしよしが愛姫子の側に降りてくる。


「パっと二人が消えたように見えた。時間、本当に止めたんだね」


 由々も、あらかじめヒーリアが時の魔法を使う旨は聞いていたようだ。


よしちゃん!」


 愛姫子の胸に、安堵が広がる。


「由ちゃん、私、子ドラゴンに死んで欲しくなくて。でも、私が弱ければ助けられなくて。それなのに、まだ親ドラゴンも殺したくないって思っていて」


 我ながらまとまっていない想いを、由々の胸に抱きつく勢いで向かっていきながら吐き出す。


「あの時、私が死んでいれば、由ちゃんものどかも辛い想いをしないで済んだのに」


 愛姫子の瞳に涙が浮かんでいる。ついつい弱い言葉を口に出してしまう。ずっと自分を責めていることを、由々に分かってほしいなんて思ってしまう。

 由々は愛姫子の肩に手をかけると、優しく言った。


「誰かが犠牲になって誰かが助けられるなら、誰が犠牲になればいいんだろう。それは、考えていかなくちゃならないことかもしれない。でも、愛姫子、今は素直になろう」


 由々の言葉に混乱はない。こういう時の由々は、たいてい迷える愛姫子よりも何か確かなものが見えていて、そっちに力強く進んでいくための準備ができている時だった。


「できることがもうないなら、足を止めて悩むのも手かもしれない。でも今は、親ドラゴンを殺さないでしずめること、できるんだから」

「できるの?」

「できるさ。僕と、愛姫子と、ヒーリアが力を合わせればね」


 由々は愛姫子の肩に手を置いたまま、上空の暗黒ブラック・ドラゴンを見上げた。その瞳は優しい。愛姫子は由々が暗黒竜を助けるつもりなのだと理解する。


「『人魚のマーメイド・天眼サファイア』で、暗黒竜の胸の下あたりを見てみて」


 暗黒竜は空中で静止し、身体を鳴動させ始めていた。大規模な攻撃の前触れであるのが愛姫子にも直覚される。その巨体の中心を「人魚のマーメイド・天眼サファイア」で観察すると、おそらく由々が意図しているものが見えた。


「『黒い何か』が、あるわ」

「それで暴走しているんだ。あれを、あれだけを斬る」

「そんなことができるの?」

「大城一刀流の奥義の一つがそういう技なんだ。ただ、傷が残るけど、愛姫子はその子ドラゴンの傷を氷の魔法で縫合ほうごうしたわけだろう?」

「でも、氷はいずれ溶けるわ」

「ヒーリアの隠れた魔法は『時』なんだろう?」


 愛姫子は由々が言わんとしていることを理解した。

 明確なイメージが頭に浮かんでくる。親ドラゴンを殺したくないという愛姫子の気持ちはまだフワフワとしたカタチが曖昧なものだった。それに、由々がしっかりとした土台をつけて、実現可能な計画にしたのだ。


「お父さんが言ってた。斬る力だけでは、世界はバラバラになって壊れてしまう。大事なのは、う力なんだって」


 暗黒竜の身体の鳴動が収まった。極大規模の大火炎ブレスがくる。

 愛姫子は左腕に子ドラゴンを、右腕に七色プリズム・の杖ロッドを抱えて言った。


「由ちゃん、私、この子とあの親ドラゴンに、後悔を残して死別してほしくない」


 由々は力強く頷いて、よろずを暗黒竜に向かって構えた。

 今まで、愛姫子が見たことがない構えだ。刀を右手だけで持って、剣尖けんせんをドラゴンに向けている。左手を竜に向かってかざして、そこから弓矢の矢を引き絞るように右腕の刀を引いている。


(片手突きの技? 初めて見る)


「ヒーリア、少しだけ時間をかせいでくれ。集中が必要なんだ」

「はいな!」


 ヒーリアが由々を守るように進み出る。

 ヒーリアは万能のシルフレッド風の型・スターの糸の部分を大きく展開して、盾となるものを編み始めた。


「『空鳴りの糸』!」


 糸は無尽蔵に発生するかのごとくであり、かつ風の魔法を帯びていた。

 いよいよ、暗黒竜は極大火炎を吐き出した。

 絶対的な焼き尽くす力が迫る中、ヒーリアが大きな風のかごを編んで展開する。由々を僅かな時間守ってみせるという彼女の強い意志がほとばしる。


「『ふう結界』! 愛姫子さん!」


 愛姫子もヒーリアの隣まで歩み出て、七色プリズム・の杖ロッドを迫りくる大火炎に向かってかざす。ヒーリアの風の魔法に、自分の風の魔法を共鳴させる。

 暗黒竜のブレスが、愛姫子とヒーリアで展開する風結界に直撃する。甚大な衝撃が周囲に伝播する。

 しかし、風の結界はかろうじて暗黒炎の奔流ほんりゅうき止めていた。


(押されている!? 熱い!)


 あと何秒もつであろうか。でも信じている。ここを耐えれば、由々は必ずやってくれる。

 ヒーリアが、一歩大火炎に向かって歩を進めた。押し返せないまでも、必ず由々が奥義を放つタイミングの一点に至るまで守るという強い意志がみなぎっていた。

 ヒーリアの肉が熱でかすかに焼ける。万能のシルフレッド風の型・スターを持つ手が高熱で火傷する。


「どうして、ここまで!? ヒーリア、私たち、出会ったばかりで」

「それは、私たちが『なかよし』だからです」

「ええ!?」


 ヒーリアの瞳は、襲い掛かる炎に敢然に立ち向かいながらも、澄み渡っている。


「昨日の夜、ベッドで尾鰭おびれを触らせてもらった時から、私と愛姫子さんは『なかよし』になったのです!」

「そうなの!?」


(ヒーリア、なんか、由ちゃんみたいなこと言い始めた!)


「力むでなく、甘えるでなく、愛姫子さんの尾鰭のように『ぬたっと』大事な人の力になりたい。そんなことありませんか? 私は、あります!」


 ヒーリアはイイやつだった。

 こんな状況なのに愛姫子は少し嬉しくて、己も意志を込め直してブレスを押し返す。


「アリアブル・フル・フェイト!」


 愛姫子が七色プリズム・の杖ロッドに新たに念を込めると、風の結界は同時に水をまといはじめた。風と水で編まれた籠が、大火炎を僅かに押し返す。


「愛姫子さん、二つの魔法を同時に!?」

「私、七色プリズム・魔道士ウィザードだから!」


 何か、コツを掴んだ感覚がある。竜のブレスに対して風と水の魔法の二つを展開しながら、抱き抱える子ドラゴンイグナに熱が行かないように、こちらも水の泡で守る。

 その時、静かに由々の声が場に響き渡った。


把握したとらえた


 大火炎の喧騒けんそうが、止んだような錯覚を覚える。


「月が円を描く夜と。太陽が数多あまたの線を差す朝と」


 そんなはずはない、依然炎の勢いは強く、魔法の結界でかろうじてしのいでいる状況のはずだ。それでも、全てが静止して、ただ淡々と由々の心の中の静かな風景──「雪降る街」がこの場に展開されているかのような幻を愛姫子は見ている。


(「雪」の属性?)


 愛姫子も知っている、故郷の「エス市」の冬の風景だ。


「全天は一点と一致し、絶剣を穿うがつ」


 しんしんと、しんしんと雪が降る中、由々が祝詞のりとを唱え終えた。

 次の瞬間、世界は再び迫りくる大火炎の喧騒に包まれる。

 ギラリと、由々は眼光を鋭くすると、炎の奔流に向かって片手突きをくり出した。


「大城一刀流自在剣・第二奥義、極点きょくてん活中牙かっちゅうが!」


 あまりにも、一瞬の刺突。

 暗黒火炎を突っ切るように、雪の剣線が走る。

 細く、鋭く、速い雪の光は、暗黒竜の心臓下部に到達すると「黒い何か」だけを破壊する。

 そのまま光は暗黒竜の巨体を突き抜け、天まで至る。


「愛姫子! ヒーリア!」


 分かっている。ここからが、自分の出番であると自覚している。愛姫子は今日いちばんの集中力で「人魚のマーメイド・天眼サファイア」を光らせ、ドラゴンの体の構造を見極める。

 炎は既にやんでいた。あとは、癒すだけだ。


「氷の糸!」


 愛姫子は七色プリズム・の杖ロッドをふるい、由々の第二奥義によってドラゴンの体に小さく穴が空いた腹部から背中までを、氷の糸で縫合する。


「時の調べ!」


 続いて、愛姫子が握る杖にヒーリアが手のひらを重ねた。

 すると、愛姫子が縫った氷の糸の時間が止まっていく。


「世界を全部止めるのは3秒が限界ってところなんですけど、糸の周囲だけという限定なら、傷が癒えるくらいまでは保つと思います!」


 ヒーリアは同時に子ドラゴンの方にも同じ魔法をかけていて、先ほど塔の中で愛姫子が氷の魔法で縫ったイグナの傷の周囲の時間も止まっていた。

 体の内部にあった「黒い何か」が霧散した暗黒竜は、淡い光を放つとその姿を変容させ始めた。

 同時に、ゆっくりと塔の上に向かって降りてくる。

 大きな巨体を包む光から別れた、たくさんの小さな光が、雪のように降っている。

 愛姫子はその光景を前向きに捉えていた。心の中でずっと降っている後悔を宿した雪とは違う、ちょっと温かい印象の雪である。

 竜が塔の屋上に降りてきた時には、姿がもとの白翼ホワイト・ドラゴンに戻っていた。瞳は閉じたままだが、呼吸をしている。

 生きている。ただ、体のダメージを癒すための休息の状態に入っているように思われる。

 愛姫子の腕からイグナがはい出し、白色に戻った親竜の元へと歩んでいった。

 その小さな体を白翼竜の体に埋めると、


「お母さんありがとう。ごめんなさい」


 とイグナは言った。

 由々が刀をさやに収めて、その様子を見守る。

 愛姫子は大きく息を吐いて、蹌踉よろめきながら杖にもたれかかる。

 愛姫子の背中に、ヒーリアが言葉をかける。


「さっき、由々君に言っていたこと。世界の残酷なルールを前に、この親子ドラゴンは助け、他の魔獣は殺した。その矛盾を前に、自分を責めますか?」

「分からないの。今私、なんでこんなに必死だったんだろうって思ってる」

「愛姫子さん、あなたが罪の意識を感じることはない。私が、愛姫子さんを守りたかったように、愛姫子さんはドラゴンを守りたかった。ただそれだけのことなのです」

「ホッとしている自分もいるの。何なんだろう。この気持ちの名前を知らない」

「それはたぶん、愛姫子さんが生まれた時からずっと一緒にある心のかたちの名前でしょう」

「何、それ?」


 ヒーリアは少し眩しそうに、淡く降り続ける光に包まれた愛姫子と由々を見ながら言った。


「『愛』ってやつだと、私は思いますよ」

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