第二十三章「傷ついた子ドラゴンを前にして思ったこと」

 愛姫子はロビホンから見せてもらった構造図を頭の中で思い描きながら、水の中を早いスピードで進んでいた。

 七色プリズム・の杖ロッドは、杖自体が水の抵抗を受けない不思議な光に包まれている。光は海中を静かに照らし、さながら愛姫子の周囲だけ暗闇の中で懐中電灯が灯されているかのようだ。

 海中から塔の内部へと入る通路は、入り組んでいる。


(まあ水の中なら、どんなに複雑な迷路だって楽勝だけどね。何しろ、人魚なので)


 感覚が冴え渡っている。ちょっとした水の流れで、音で、匂いで、道が全て分かる。

 やがて、空気の流れが近づいてきたので、スピードを落として慎重に浮上すると、事前に把握していたとおり塔の一階と思われる部分に出た。

 円形のフロアの端に位置する池のような場所から上半身を出して、観察する。


(あった!)


 一階の中央に位置する魔法陣の真ん中に、水の神殿でウェンディゴンから託されたものと同じ形状のもの──石板が浮遊していたのだ。

 続いて、愛姫子の瞳に石板に守られるように横たわっている存在が映る。


(子供のドラゴン?)


 白色の、小さな竜だ。

 すぐに現在外で由々よしよしたちと戦っているであろう、白翼ホワイト・ドラゴンとの関係に思い至る。外にいるのが母竜、塔の中にいるのが子竜であると推定された。

 子供のドラゴンは、背中に矢が刺さっていた。

 白翼竜が凶暴化したということで、今回の依頼を受けた流れであったが。


(たぶん、子供が傷ついていて、母竜は心が不安定なんだ)


 人間モードに変身して海水から上がり、改めて塔の構造を確認するべく上方を見やる。

 塔は十三階まであるが、中心が吹き抜けになっている。壁際の階段を登って上の階に行く構造となっている。

 中央の子ドラゴンは、浮遊する石板の力を借りて傷を癒しているようにも見える。しかし十分に癒やされているとは言えず、矢が刺さった背中からは血が流れている。

 中心の吹き抜けは、子ドラゴンの大きさなら塔の屋上からここまで一気に降りてこられる広さがあるが、親ドラゴンの大きさでは引っかかって降りてこられない。つまり、しばらく親ドラゴンと子ドラゴンは分断されていたのだろう。

 愛姫子が子ドラゴンのもとへ近づくと、頭に声が響いてきた。


「あなたは、人間? 少し、違うようだけれど」


 声色に怯えが含まれている。


「半分人間。半分は人魚っていう……その、おとぎ話に出てくる何かかな。人間が、怖い?」

「行ってはならないと言われていたのに、興味がまさって、人間に会いに行ってしまった。そして、射られたんだ」

「私、あなたの敵じゃないわ。お母さんのところ、行こう?」

「でも、傷が痛くて動けないんだ」


 矢は、抜いてあげることができる。しかし、その後吹き出てくる血をどうすればよいだろうか。出血に、この子ドラゴンの体は耐えられるだろうか。


(私を食べさせれば、完全に治癒するのだろうけれど)


 愛姫子は思案する。この身全てでなくとも。指の一本くらいなら、と。

 しかし、脳裏に浮かんだのは、昨日のロビホンの酒場での楽しい時間や、宿の部屋に入った後にヒーリアと会話を交わした時の楽しい気持ちであった。

 すると、愛姫子には自分を傷つけるということが、何だかあってはならない後ろめたいことのように思われてきたのだ。


(氷の魔法を使うのはどうだろう)


 出血は、傷口を凍らせることで止めることができるのではないか。氷は、やがて溶けるだろう。だが、その前にこの子ドラゴンを外に連れ出して、傷口を縫合して止血処置を施せば。

 愛姫子は、矢を抜こうとシャフトを握った。傷口から流れる血の勢いが増す。子ドラゴンが感じる不安の感情が伝わってくる。

 こんなにも不安で。こんなにもお母さんと離れてしまって。

 不安は不安を呼び、愛姫子の中の不安な思念をき立てる。

 愛姫子は自分を食べさせれば助けられるのに、それはしたくないと思っていて。誰を助けて、誰を後回しにするのか、選んでいる。


(お母さん。私一生、「無償の愛」は見つけられないかも)


 そもそも、矛盾している。

 水の神殿にいた大蜘蛛の魔獣は殺した。この子は助けようとしている。何が違う? 何を殺し、何を生かすのか。判別ジャッジしている。愛姫子自身も、そのジャッジをこれまで幾度となく向けられ、傷ついてきたというのに。


(ムカついていた、「生存券」で生きるものと死ぬものを選別しようとしてるアスガルってやつと同じだ。私、同じことしている)


 愛姫子が迷いでうなだれそうになった時だった。

 子ドラゴンの後方の石板から、涼やかな風が吹いてきた。

 風は優しいオーラをまとっていて、不安に苛まれていた愛姫子の心を幾分軽くした。

 やがて、風は小さな人型の姿をとった。

 水の神殿で出会った水の妖精ウェンディゴンと同じ、どこか不思議で、どこか陽気さをたたえた佇まいだ。


「私は、フーリンゲン。風の妖精です」


 チョビヒゲの風の妖精は、たしなめるように愛姫子に言った。


「ネガティブな心で、魔法を使ってはいけません」


 威厳はあるが、どこか親しい友人に語りかけるような口調で、フーリンゲンは愛姫子に言った。


「マーメイヤ様ならこう仰るでしょう。『心よ、ありのままであれ』と」


──ありの、ままに?


 フーリンゲンを通して、マーメイヤの言葉を聞いた時だった。

 愛姫子の心に、風が吹き始めたのだ。

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