第十八章【過去編】「昔好きだった男子にマッサージをしてもらうこと」

 ◇◇◇


 こうして、のどか愛姫子あきこを食べなかったから、愛姫子は医者を目指すことにした。

 現代の医学や科学とは違う位相の現象って言ったって、未来のことは分からない。愛姫子は、現実世界の普通とは「違う位相」の人魚である。そんな自分が医学を志せば、どこかで何かが交わって、気がついたら和の足も治せるようになっていた。そんなこともあるかもしれないと、淡い希望にかけたのだ。


──でもそれは、半分は嘘。行動することで、贖罪しょくざいの意志を示さなければ、私は罪の重さに耐えられなかった。


 心が昔の方へと向かっていた愛姫子に、湯船に浸かっていた和が声をかけた。意識が現実へと引き戻される。

 和が口にした、思いがけない言葉にハッとする。


「愛姫子さんを食べなくても、私の足、動くようになるかもしれない」

「どういうこと?」

「後でお兄ちゃんからも話があると思うけど。今日、倉から『約束の場所』の地図が見つかったんだ」

「『約束の場所』?」

「古文書に書いてあったんだ。昔、ご先祖様にも足が動かなくなった人がいたんだけど、その『約束の場所』へと行ったら、すっかり治ったって」


 まだ、話の輪郭りんかくがボヤけている。本当に和の足が治るのだとしたら、もちろん喜ばしいことなのだけど。


「お風呂上がってから、ちゃんと話すね。説明するのに、準備もいるし」

「分かった」


 和が、十分に温まることができたというので、愛姫子はお風呂から上がる介助の準備をする。

 その日、お風呂場から出る一連の過程を終えるまで、和はいつもよりよく喋った。

 ポン、ポン、ポン、と心地よいリズムで愛姫子に言葉を投げかけてくる和に、他愛もない相槌あいずちを返したりしているうちに、いつしか愛姫子の心の中も明るくなっていったのだった。


 ◇◇◇


「じゃあ、私は一旦部屋に行って準備するから、その間愛姫子さんはお兄ちゃんにマッサージしてもらっているとイイよ」


 入浴後、愛姫子の手を借りながら着替えを終えた和は、そう言い残して自分の部屋に繋がる廊下の方へと消えていった。


「愛姫子、体ほぐしてやるよ」

「はい。お願いします」


 居間にある、和がリハビリ時に使っているマットに愛姫子はうつ伏せに横たわる。

 十七歳。男子が理由なく女子の体を触るのは問題があるだろう。ただ、愛姫子と由々よしよしの間にはマッサージの時は触れてオッケーという同意がある。特に大魔との戦いで愛姫子が由々に後ろめたさを感じるようになって以降、思うところがない訳ではないのだが、愛姫子が肩や腰が凝りやすいのは事実であり、また由々の確かな腕で行われるマッサージが魅力的なのも確かなのであった。

 愛姫子は、でろん! と人魚の姿になった。


「人間の姿でいるのは、ストレス?」


 由々は愛姫子の背中に指を触れて、彼が言う「気」のようなものの調整を始める。


「というか、学校の人間関係がストレス? 勉強がストレス? よく分からないけど、漠然とストレス?」

「愛姫子、疲れたOLみたいだ」


 由々が愛姫子の肩を指圧すると、愛姫子は首のあたりがほぐれるのを感じた。首だけではない、由々がいうには、体の部分と全体は関係し合っている。肩がほぐれると、体全体がなんだか調子が良くなったりもするのだ。


「もーみ、もーみ〜」


 由々が呪文のように唱える。特に意味はないらしいが、彼が「気」を扱う際に調子がよくなる言葉であるとのことである。


よしちゃん、私と和の前以外では、あんまりモミモミって言わない方がイイからね」

「なんで?」

「なんか言葉の響きがいやらしいじゃない、モミモミって」

「そうか〜?」

「おじいさん、おばあちゃん達にもマッサージしてるんでしょ?」


 いきなり若者に「モミモミ」言われて、戸惑ってないのだろうか。


「喜んでくれてるよ? 腰痛とれたって」

「う~ん。イイことなんだけど、由ちゃんが学校休んでるのに外出してマッサージとかしてるの、さらに少額とはいえお金も受け取ってるの、私、先生には言ってないんだよね」

「報告してないのがバレたら、愛姫子の内申に響く?」

「そんなことはどうでもイイんだけど、何、ちょっと隠し事をしてる後ろめたさ?」

「ああ、なんか悪いね」

「ま、イイんだけどね。隠し事がない人間なんていない訳だし?」

「愛姫子って色んなこと考えてるよね」

「けっこうね。私、何で常に頭使ってるの!?  って時々自分でビックリする」

「リラックスして生きなよ」

「由ちゃんは、楽天的だな~」

「愛姫子には愛姫子のイイところがあるんだから、優等生の仮面をかぶって自分をよく見せて、気苦労をためることなんかないんだよ」

「私のイイところって何?」

「姿勢がイイことじゃないか」

「私、姿勢イイ?」

「うちの居間にいる時、愛姫子正座していることが多いじゃない? 背筋伸ばして、武道家の人みたいに美しいと思ってたよ」


 本当に武道を追求している人間である由ちゃんに言われるのなら、かなり褒められていると受けとってよいのだろう。

 そこで、由々は少し強めに背中側から丹田に抜けるような位置に、指圧を加えた。「気」が全身を巡るような感覚に愛姫子は包まれる。


「んんんんんんん。あ、あああああああん」


 つい、子供の頃のように無防備な声をあげてしまう。安心できる人と場所があるってことはイイことだとは思う。


「ふぅ〜」


 ゆっくりと息を吐き出す。

 一通り体がほぐれたのを感じたところで、愛姫子は気になっていたことについて切り出した。


「由ちゃん、『約束の場所』の地図が見つかったって話、何?」

「ああ、和から聞いたんだね」


 愛姫子はうなずく。由々はマッサージがあらかた終わったので、マットの横に腰を下ろして足を伸ばしている。


「確かに今日、蔵で和は新たな古文書を見つけた。それには、紋様のようなものが描かれていた。でも、『約束の場所』の地図っていうのは和が言ってることで、僕にはよく分からなかった」

「紋様?」

曼荼羅マンダラのようなものだよ。それを見て、和は『世界だ』って呟いて、その『約束の場所』がどうこうという話をし始めたんだ」

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